台無し
「私の父へのお供えでしょ」
そう言い当てられた僕は返事に戸惑う。
「そう…だよ」
少し悩んで肯定した。どんな罵詈雑言も甘んじて受ける覚悟だった。だって僕は加害者の息子で彼女は被害者なのだから。殴られても罵られてやり返す権利は僕にはなかった。
ただ待っていた罵詈雑言はいつまで待っても飛んでこず、彼女は小さく「そう」と生返事をしただけだった。
僕はそのあまりにも簡素な彼女の反応に困惑した。
「…怒らないの?」
「怒る?…私があなたに?」
首を縦に振って肯定する。すると彼女はますます訝し気な表情で「どうして?」と言う。それは嘘をついているような感じではなかった。意味が分からない、理解不能だと、彼女は本心からそう思っているようだ。
「むしろお礼を言いたいくらいよ。父は著名人だったから最初のほうこそお供えを置いていく人は多かったけど。年々、数が少なくなって忘れられて…だから、むしろお供えに来てくれてありがたいわ」
そう彼女のお父さんは有名な作家だった。数々のヒット作を生み出し、ドラマ化や映画化した作品も少なくないらしい。
それもあってか、あの事故はマスコミに大きく取り上げられ、僕や母などは容疑者の家族として異様に追い掛け回されたのだ。それだけではなく、彼女の父のファンにも嫌がらせやいたずらを受け、当時は鳴りやまない電話のコンセントをぶち抜き、郵便物は確認もせずに捨てたりしていた。
でも、この反応からすると彼女は僕が彼女の父を轢き殺した容疑者の一人息子だということを、いや僕がその場にいたことすら覚えていないのではないか…そう思った。
その予想は半分正解で半分間違いだった。
「それに…あなたはあんな惨い光景を見たのに。そんな気分を悪くしてまで、ここに来てもらって…本当にありがたいわ」
その夢宮の態度を見て僕は感づいた。そして確信を得るため、僕は再度質問する。
「あの日のこと、覚えているのか?」
「…ええ。私は入学した当初からあなたがいることに気づいていたわ。あなたは気付いていなかったみたいだけど…そして謝りたかった。あなたが励ましてくれたのに、私は全部…台無しにしてしまったから」
確信した。夢宮は僕が彼女の父を殺した容疑者、卯月和美の息子で、罪人の子だと、気づいていないということに。
そして、あろうことか、彼女は僕に謝りたかった、なんて抜かした。そんなことをしたら僕は激昂してしまうかもしれない。怒りをまき散らしてしまうかもしれなかった。
だってそれをしたら、被害者が加害者に謝罪するなんてことしたら。母の死が無駄になってしまうような気がしたから。
いたぶられ、殴られ、蹴られ、心身を傷つけられた自分が、なくなってしまうような気がしたから。
どん底から這い上がり、仮面をかぶってまで生きることに執着した自分が醜く思えてきてしまうような気がしたから。
絶対にそんなことはしてほしくなかった。
「謝るだなんて…!そんな…」
そんな馬鹿なことやめてくれ。そう言いたくなってぐっと堪える。それを言ったら問い詰められて、またバレてしまう。
さらし首にされ、サンドバッグにされ、生きた心地がしない生活を強いられる。
またそうなったとき、僕はちゃんと耐えられるのだろうか。母という支えもなしにやっていけるのだろうか、そう自問する。無理だと思う。
心が壊れ、体もボロボロ。母が死んでからようやく立ち直ってきたのに、また引きこもりたくはない。
でもここで何も言わず罪を隠して逃げるのも辛い。そう思う。逃げることは楽じゃない。自分の大罪から目を背けることは罪悪感と戦い続ける勇気と覚悟がいる。
殺人なんかしたら隠しきれずに自首してしまう、その行動原理と一緒だ。罪は自覚したら重い。傷が自覚したら痛くなるのと同じように。生きるには重責となり、負い目となる。それを隠しながら生きるのは辛いことだ。
「卯月くん?」
夢宮はいつの間にか抱いていた猫を撫でながら怪訝そうにこちらを見る。
その何処か無垢な瞳を見て、昔の、あのおとなし気な女の子を思い出した。彼女は結局、あんなにどうしようと悩んだのに、父と仲直りもできず離れ離れになったのだ。そして雨の中、もう動かない父の遺体に謝り倒しているあの小さな女の子を間近で見て、いま思い出して…罪を隠そうと思えるわけがなかった。
「あの夢宮…じつは
「ひとみ?…ひとみか?」
罪の告白は低音の渋い男性の声によって阻まれた。
最近は聞いていない。だけど聞き覚えのある、確かに聞いたことがある懐かしい声。
でも、それを聞いて最初に感じたのは、懐かしみではなく寒気だった。
だって僕を「ひとみ」呼ぶのは覚えている限りで三人しかいなかったから。
音のなる方を向くと、ひげが生えっぱなしで不衛生。そのせいか妙に老けて見える中年の男性が立っていた。忘れるわけもないその顔。昔は喧嘩しても毎日嫌というほど顔を合わせていた。久しく見たからか妙に歳をとったかのように見えた。
「お父、さん‥‥‥」
小さく小さく呟いたその声はぽつぽつと降り始めた雨によってかき消され、誰にも届かない。
ただ降り始めた雨はこの再会が感動の再会とはいかないということだけを静かに物語っていた。
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