回想
思い出というのは時々何かをきっかけに突発的に蘇る。例えば、鉄棒を見て小学校の頃の体育の授業を思い出したり、サッカーをしていたら小さいころ一緒にサッカーをしていたやつの顔が浮かんだりとか。デジャヴともいえるのだろうか。
今の僕は目の前で堂々と鎮座する猫。その猫の吸い込まれそうな大きな瞳を見て、昔の頃の思い出を思い出していた。
「今度、いこいの森でみんなで遊ぶけど…ひとみも来るか?」
「みんなって誰?」
「俺のいとことか、友達とか」
「うーん。暇だったら行く」
「オッケー。ひとみは来るっと」
勝手に行くことになってしまった。まあどうせその日も暇だろうし行くつもりだったけど。
「それでいつ遊ぶの?」
「今週の土曜」
えらく急だと思った。まあ小学生の予定の決め方なんてそんなもんだろうとも思うけど。
「集合は?」
「いつも通り。俺がひとみの家に呼びに行く」
「わかった」
小学四年生の頃。その時はいつも一つ年上の近所のお兄ちゃんと遊んでいた気がする。
特段、同学年に友達がいなかったわけではない。ただ、家の近所に住む同学年の友達がほとんどいなかったため、放課後や休日はほとんど近所の兄ちゃんに連れまわされていた。
その兄ちゃんは交流が広く人気者で。よく自分が知らない人と談笑しているのを見かけていたのを覚えている。
でも毎日のように遊ぶほど仲が良かった割には、僕は兄ちゃんの名前をあまり呼ばず、一方的に兄ちゃんのほうが僕のことを「ひとみ」と名前で呼んでいたので不思議と兄ちゃんの名前は雲がかかったように覚えていなかった。
ピンポーンとチャイムが鳴る。今日も今日とて僕の家を訪ねてきた。「暑い中、いつもごめんね」とドアを開けた母が言った。それに対して「お兄ちゃんですから」と子供らしく胸を張っている姿は、子供の頃の僕からするとなんだか少しこそばゆかった。
ずかずかと母と兄ちゃんの間に割り込むように靴を履き玄関を出る。
「いってらっしゃい」と母の声がしたので、そこは律義に「いってきます」と返した。家を出るときは「いってきます」と言ってから行かないとなんだか忘れ物をしたような気分になってしまう。そう思う程度には僕はいい子に育っていた。
外に出てみると「暑い~」ともだえるほどでもない。暑くないわけではないが、日差しもそんなに強くなく過ごしやすい天気だと思った。昨日降った雨のせいで湿気が多めなのが残念だったが、梅雨なのでそこは目をつぶる。雨が降らなかっただけましだった。
そのまま流行りのゲームや漫画の話を適当にしながら坂を上った。見えた階段を下りて小さな神社を素通りして道路に出たらまた上り、見えた大きな橋を渡った。
ダムの上にある橋から見える景色はさして綺麗というわけでもなくどこでも見えるような平凡な眺めだ。子供の興味を引くわけもなく通り過ぎる。
橋を渡り切り少し歩いたところで景色が開ける。上へ下へと均等に並べられている草はそれだけで人の気配を感じさせる。
もう少し歩を進めるとちらほらと遊具が見えてきた。アスレチックなものや単純に長くうねっている滑り台、直進の滑り台、ベンチ、上へと続く階段等、立派に公園と呼べる風景がそこにはあった。
一通り見渡してから先を歩く兄ちゃんを追いかけた。兄ちゃんは階段と併設しているアスレチックをよじ登っていた。階段の上にはより本格的な遊具があることを僕は知っていた。シーソー、鉄棒、雲梯、その他もろもろである。おそらくそこが待ち合わせ場所なんだろう。兄ちゃんの足取りが早くなっているのがわかる。
アスレチックを踏破すると自動的に階段の上にもつける仕組みだ。上り切った僕は休む暇もなく兄ちゃんの背中を追った。
中央の広場へと行くと四人ほどの子供たちが固まっていた。その中の最年長だろう女の子がこちらに向かって手を振っているのが見えた。兄ちゃんはそれを気さくに返す。
今日の団体は僕らも含め、男三人:女三人の構成比らしい。集まった途端兄ちゃんを中心にするように輪ができた。いつもの光景だと思ったが僕ともう一人だけ輪の中に入り切れていない子がいた。大人しい子なのか輪の中には入らず一歩引いたところでその輪をじっと眺めていた。
兄ちゃんの友達はいつも活発な人たちばかりだったからそういう子をなんだか新鮮で珍しく思った。
初対面同士が多いため簡素に自己紹介をした。それによるとさっきの大人しい子は最年長女の子の友達らしい。
そのほかに女の子一人、男の子一人が兄ちゃんのいとこだと紹介された。なんでもいとこたちが家の近くのキャンプ場に遊びに来るからと提案されたのが今日のことらしい。
そんなことは置いといてとみんな抑えきれずにすぐに遊びへと向かった。アスレチックで鬼ごっこしたり、長い滑り台を何回も往復したり、
持ってきたボールでドッヂボールをしたり、なぜか神社まで行ってお参りしたりと子供らしい休日を満喫した。
初対面であったことなど忘れたようにすぐに仲良くなるのが子供のいいところだ。僕も少し大人し気なあの子も最後のほうには人の目などはばからずに思いっきりはしゃいでいた。
日が暮れてきた。夕焼けとなり、帰宅のチャイムがご丁寧に鳴る。
いとこ組はキャンプ場へ、現地組はそのまま帰宅にと思われたがまだまだ遊び足りない様子の兄ちゃんがこんなことを言い始める。
「なあ知ってるか?今日、彗星が見えるんだぜ」
「知ってる~」とか「そうなの?」「いや知らない」とかいろんな相槌が返ってくる。
「だから今日さあ、夜ここで集まってみんなで彗星見ようぜ」
その提案に各々違った反応を示す。「いいねー」やら「…夜」やら「でも今日夜になったら雨が降るってテレビのお姉さんが言ってた」とか。だが一つとして「嫌だ」と拒否する反応は見られなかった。
その時点で夜の予定は決まったようなものだった。
各々両親に説明と帰りの迎えに来てもらうように通達された。尚、送迎がない場合、夜の部の参加は禁止とされた。手馴れていると感じた、兄ちゃんなら親の了承ありで夜も遊んでそうだと思った。
結果から言うと、全員参加した。各々の良心の説得にも兄ちゃんは一役買ったらしい。かくいう俺も兄ちゃんがいるならと母は快く了承してくれて父が送迎をする約束すらも取り付けた。兄ちゃんはどこからそんな信頼を得たのかと疑問すら抱いた。まあ、いこいの森が家からさほど遠くないというのもあるのだろうけど。
午後八時ごろ、夕食を食べ終えた僕は兄ちゃんと一緒にいこいの森へと向かった。時間になると一人を除いて全員がピッタリに集合場所に集まった。一人、あの大人しめの女の子が十分、十五分ほど遅れてやってきた。「何かあったのか」と兄ちゃんが聞くと「何でもない」と答えた。遅れた理由も詳しく言わない。ただ「何でもない」と答えるのだ。
何度聞いてもそう答えるだけなので、誰も深くは聞かなかった。
お目当ての彗星はというと予報通り雲に隠されて見えなかった。僕としては少しがっかりしたが、他の人たちは彗星を見ようとしている時間すら楽しかったらしく、「残念だったねー」と言葉とは裏腹に満足そうだった。
次々と親が迎えに来て、残ったのは僕と兄ちゃんと大人しげな子だけとなった。弾んでいた会話が途端に短くなる。僕と大人しげな子をつなぐように兄ちゃんは話を盛り上げようとしたが、疲れてしまった僕と大人しげな子は口数がめっぽう減ってしまい、最後にはセミの音が響き渡るぐらいに静かになった。
ついに兄ちゃんの車が来た。兄ちゃんのお母さんは僕と彼女に「乗っていくか?」と聞いてきた。僕は正直乗ってもいいかと思ったけれど、彼女が頑なに乗ろうとしなかったのでなんとなく僕もそのまま残ることにした。
僕がその旨を伝えると兄ちゃんは嬉しそうに僕の背中をバシバシと叩いたと思ったら「お前もでっかくなったな」なんて言われた。正直意味は分からなかった。
橋渡しだった兄ちゃんも消えてぱったりと僕と彼女との間で会話がなくなった。どちらも気を利かせて何か話題を探そうともしない消極的だな性格だったせいか、長きにわたって沈黙は続いた。
「みゃー」
その沈黙をぶち壊すかのように一匹の猫の声が通る。手持ち無沙汰でただ待つだけだった僕らはそれに反応する。
猫はこちらに怯える様子もなく、ゆっくりと僕らの前へと立った。
「おいで」
薄く微笑んで彼女は猫を腕を広げて迎えた。猫は引き寄せられるように彼女に甘えに行く。彼女は近づいてきた猫を手馴れた手つきで抱きかかえ膝元に置いた。
その慣れた動作を見て僕は問う。
「猫、好きなの?」
突然の質問に彼女は少し驚いたようだが、慌てる様子もなく淡々と返す。
「うん。買いたいんだけどお父さんが許してくれなくて…」
「そうなんだ」と相槌を打つ。
「ここら辺は野良猫多いよね」
独り言のように呟いた。彼女はそれに律義に反応する。そうやって拙い雑談を短くない時間繰り返した。
その間、僕は彼女をなんとなく眺めていたがやはり彼女の様子は昼よりも沈んでいるように見えた。猫を撫でる手は優しいが猫を見る目は少し悲しそうだった。
「何かあったの?」
気付いたらそう聞いていた。
でも彼女はさっきみたいに「何でもない」とは言わずに「実は…」と事情を語り始めてくれた。
僕に少しは心を開いてくれたのか、それとも単に人が減ったからなのか僕にはわからなかった。多分、半々ぐらいだと思う。
「お父さんと喧嘩しちゃって…」
僕は彼女から事情を聴いた。彼女のお父さんはとても厳しいということ。いつも外で遊ぶことを許してくれず、今日の昼もこっそり抜け出してきたこと。夜もこっそり抜け出そうとしたらバレてしまって口論になったこと。口論になって去り際にひどいことを言ってしまったこと。だから迎えに来てくれるかどうかは分からないということ。
「私、どうしたらいいのかな…」
そう問われて考えてみる。いろいろ考えてみたけど所詮小学四年生の脳みそ、打開策など思い浮かばず普通のことしか頭に浮かんでこなかった。
「とりあえず謝ろう」
「え?」
「とりあえず謝ってから後のことは後で考えよう」
「で、でも何も考えずに帰ったら、私はもうずっと外で遊べなくなるかも…」
「本音でしか心には響かない」
彼女は目を丸くした。おおよそ僕が突然、哲学書に載ってそうな言葉を言ったからだろう。実際、どこかで読んだ本から引用したものを今言っているだけ。受け売りである。
「多分、あらかじめ説得の言葉を考えてたら、いざいうときに頭の中真っ白になっちゃうと思う。だからその時その時の本心を言った方がお父さんには届く…はず。多分」
僕の展開された持論を熱心に聞いていた彼女は「うーん」と少し頭を悩ませてから頷いた。
「わかった。私、後先考えずとりあえずお父さんに謝ることにする」
彼女の決断に外野の僕は「頑張って」とエールを送ろうとしたとき、噂をすれば何とやら…「おーい」と誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。
「お父さんだ」と彼女がつぶやいたところを見ると彼女のお父さんで間違いはないだろう。
嬉しかったのか彼女は手に猫を抱えていることを忘れて放してしまう。
猫は突然手放されたことに動じず着地して数歩前に出た。
それが間違いだった。
父の後ろから走る乗用車に気づいていない彼女は逃げ出した猫の後を追いかけた。
「ぇ?」
飛び込んだ彼女が気付いたのは乗用車からの距離が1mも満たない位置。山の中だからと飛ばし気味の機械ではブレーキはもう間に合わない。
「-きょうか‼」
押しのけられた彼女の体は軽々しく吹き飛ばされる。
次にドンと衝撃音に生々しい音が加わった。
血しぶきは絵の具のようにばらまかれ、むせかえる程の血の匂いがあたりを包む。軋む音がした体は車のライトの光に反射され物々しく彼女の瞳に映る。
雨が一粒ポツリと落ちた。
皮肉にもこの時、彼女の願いが叶ったことを僕はまだ知らなかった。
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