あの日もこんな天気だった。快晴、と言えるほどの晴れではなかったけど梅雨の割にはよく晴れていて雲も数えるほどしかなく子供が外で遊ぶにはもってこいの天気だったような気がする。

 その日は確か誰かに誘われて、いっぱい遊んで、誰に言われたかは忘れたけど「夜もここで集まろうな」って言われて、集まって、それから。それから。


 それからのことはあまり思い出したくない。



 

 肩から落ちそうになったリュックを担ぎなおしながら自転車をこぐ。やけに重いペダルを足の裏に感じながら忘れたい思い出を噛みしめる。

 そのあとの記憶は忘れたい思い出だけど忘れてはならない思い出だった。苦い経験というのは楽しい思い出よりも粘着性があっていつまでもいつまでもあやふやな形になってもこびりついて離れない。

 でも僕の言う思い出は苦い、なんて言葉で済ませてはいけないものでずっと。それこそ一生背負っていかなければならないものなのだと思う。平たく言えばそれは…


「やめよう。着く前にぶっ倒れる」


 ただでさえこの日差しだ。あんまり頭を使いすぎると熱中症になってしまう。

 無心を心掛けながらも道沿いには田んぼが続く道路の端を自転車で進む。懐かしい景色が続く、断片的な楽しい思い出をスライドショーのように頭の中で垂れ流す。

 そうやって心を落ち着けながらも進んでいると、道の先に同い年だろうか学生服を着た男子高校生二名が並んで歩道を自転車で進んでいるのが見えた。

 

 僕はそれが目に入った瞬間、すぐさまかぶっていた帽子を深くかぶり直し、なるべく顔を見られないよう視線を下にして俯き、早く通り過ぎれるように静かにスピードを上げてさっと通り過ぎた。


 どうやらなんとも思われなかったようだ。二人は楽しく談笑しながらこちらを振り向きもせず去っていく。

 ほっと息を吐いた。それと同時に嫌な思い出と吐き気、頭痛を思い出し、苦虫を潰したような顔になる。

 一刻も早くこの場を去りたい。目的なんて放っておいて今日は帰ろうか―。そんな気持ちが湧いてくるが振り払うようにペダルを強く踏む。ぎしっと軋む音。いつもなら中古おんぼろ自転車がいつ壊れるか心配するところだが、今だけはなんだかそのいつも通りの音に少し安心感を覚えた。


 田んぼの風景を一気に突き抜けて山のふもとにたどり着く。山火事防止を注意づける看板を目印に山へと続く道路が二手に分かれている。

 毎年通っている道だ。迷わず左の道を選ぶ。手前のほうは緩い坂だったので何とかペダルを踏んでいたが、捨て犬捨て猫、その他ペットを捨てる行為に対しての注意喚起のポスターを境に斜面がきつくなりゆっくりと自転車を押していった。

 少し進むと見覚えのある小屋のようなものが見えた。なんだか無性に懐かしくなって自転車を止めて、階段を上りそれに立ち寄る。

 それはよく見たら小さな神社だった。簡素な賽銭箱がおいてあり、申し訳程度に「山の神」とこの神社に宿っている神を紹介していた。


「そういえば…ここに神社なんてあったな」


 毎年、ここに来るのはちょうど暗くなる夕方ごろだったから気付かずに通り過ぎていたのだろう。今年は公共交通機関ではなく自転車で、それも早足気味で来てしまったせいか例年より早く着いてしまった。


 何もせずにここを去るのもなんだか悪い気がするのでなけなしの財産から賽銭を放る。チャリンと小気味いい音が鳴る。それから手を合わせてお参りした。

 数秒たつと少し小さな神社を一歩下がって眺めるが、懐かしい感じだけがして明確な思い出は何も降ってわいてこなかった。


 自転車をそのまま置きっぱなしにして坂を上り始める。ゆっくりゆっくり踏みしめるように上る。

 呼吸のテンポが速くなり、吐く息は荒くなる。汗は異常なほどに出てくる。動機が早くなり、思わず胸を抑える。吐き気と頭痛も再発した。誰がどこからどう見ても体調が悪い、そう指摘されてもおかしくはない様子だった。

 だが歩みだけは止めない。この体調不良は毎年のことだ。痛みに慣れることはできないけれど、逃げようとする自分を叱責して歩行を強制するのにはもう慣れた。


―逃げてはいけない。逃げていいわけがない。逃げていいはずがない。逃げるな。逃げない。逃げちゃいけない。逃げては駄目だ。逃げちゃだめだ。逃げたいと思うことすらいけない。逃げたら負けだ。逃げてはいけない義務がある。逃げずに歩を進めろ。


―逃げずに向き合え。


 呪文のように反復する。その頭の中を人がのぞけるのならきっと狂気する感じることだろう。


 蜃気楼のように揺れる視界の中にうっすらと橋のようなものが見える。ゴールもすぐそこだ。そう考えた瞬間に一歩一歩踏みしめるごとに足が重くなる。背中に何かが乗っているのではないか、そんな気持ちになってくる。

 それでも足を止めない。操られているかのように足だけは動かす。いつ倒れてもおかしくはないぐらい体調は優れないけど、そんなものは知ったことではない。胃液が逆流しそうだが奥歯と唇を強く噛み、抑える。

 最悪の気分になりながらも歩く、歩く、歩く。そしたら―


―こちらに背を向ける女の影が見えた。


 堪えきれずに道路をはけて木々が集まるところに嘔吐する。草木の上でうずくまって嘔吐く。それとビチャビチャとした液体の不快音が混ざり合って脳に溜まる。


 そのせいで一つの足音がこちらに向かっていることに気づかない。


「あの」


 聞き心地のいいそれも聞き覚えのある声。僕はとてつもない、だけど言い表せない負の感情を感じた。


「大丈夫ですか?」


 そこには夢宮鏡華がいた。


―卯月一実の罪がまた一つ増えた。

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