雪解け

扉を開けるとそこにはスマホを耳に当てた夕暮が突っ立ていた。

 突然のご登場に流石の『氷の女王』も目をむく。


「夕暮さん…?」


「ち、違うの夢宮さん‼私は別に盗み聞きなんかしてなくて、電話が鳴ったから屋上前階段に偶々来ただけで…」


「夕暮、うちのクラスは三階だぞ」


 我が学園は四階建て。屋上への階段は当たり前だが四階にしかついていない。


「よ、四階のクラスの友達に会いに来てたの‼そしたら偶然…」


「ここの棟の四階は実習室しかないぞ」


「じ、実は科学部に友達がいて」


「科学部は木曜の放課後にしかないって勧誘してきた先輩が言っていたが」


「そ、その子はね。化学実験室でいつも一人でお弁当食べてて」


「実習室の鍵は特別な理由がない限り、放課後しか借りられないようになってるけど。おまけに化学実験室は危険なものが多々あるから教員しか借りられないはずだけどな」


 俺が次々と夕暮の逃げ道を潰していくと思いつく言い訳がなくなったのか、だんだん声が絞れて消えた。


「あー!もうっっ‼なんでそんなに詳しいのよ!あんたは学校の管理者か‼」


 やけくそ気味に夕暮は言う。それを俺はにひひと笑い「真面目に生きてたらこうなった」と返す。もちろんジョークだ。鍵のくだりなんかを知ったのはつい数分前である。

 ドタバタと流れる寸劇についていけていない状態の夢宮に向かって深く頭を下げた。


「夢宮さんごめんなさい‼私、二人の話を盗み聞きしてました。誤魔化そうとしてごめんなさい!」


 素直なところは夕暮の最大の利点である。即断即決即行動、そういったところが周りの人たちを引き付ける最大の要因となっているのだろう。

 そんな真摯な夕暮の態度と裏腹に夢宮は夕暮と目も合わせず俯いている。


「どこから…聞いていたの?」


 震えた声に胸の奥が罪悪感で針に刺されたようにちくりと痛む。


「えっと…卯月が、なんでクラスの人と距離をとるのかってところから、途切れ途切れに…」


 夕暮は申し訳なさそうに目を伏せながら正直に話す。

 話の大部分を聞かれていたことに対して夢宮は唇を噛んだ。強く強く噛む。その美しい桃色にあとが残るぐらいに。


「それなら…私とはもう関わらな」


「それは嫌」


 霜がつきそうなほど冷たく暗闇が浮かぶほど暗い声は、強くはっきりとした鋼の意志さえも感じる拒否の声に阻まれる。言葉は現実となる前に散った。


 夢宮は伏せていた目を上げる、視線がぶつかった。意志の強さの優劣ははたから見ても明らかだった。灼熱の太陽光とどこか朧げな雪結晶どちらが勝るかは言うまでもない。雪解けして春が来る。そんなの原始人でもわかる常識だ。


 「なぜ?」と夢宮は目で語る。理解不能、そう伝えたかったのかもしれない。


「だってあなた―震えてるじゃない」


 心は顕著に体を使って表現する。喜びを、悲しみを、感動を、そして怯えを。抑えきらなかった昂る感情たちを異常と称して脳が神経に伝える。喜びは笑顔に、悲しみや感動は涙に、怯えは震えに。

 彼女は現在、手が声が揺さぶられたように震えていた。これを怯えと呼ばず何と呼べばいいのだろう。怯えが彼女を震わせた、それは紛れもない事実だった。


「夢宮さん」


 夕暮は怯えている夢宮を母のような優しさに満ちた音で呼びかけそっと寄り添う。震える手を温めるように両手で包んだ。誰もそれを拒まない。小さな手で握りしめた小さな手を祈るようにおでこに当てる。そこには確かに春の匂いがした。


「何か事情があるなら話さなくていい。でも『私ともう関わらない』なんてそんな悲しい…」


 夕暮は途中まで言いかけて「ううん」と首を横に振った。そして言葉を、事実を訂正する。


「思ってもないこと言わないで」


 春の始まりを告げる風は冷え切った雪をも溶かす。


「私は本心、から」


「私の目を見て…私の目に映っている自分を見て」


 夕暮はおでこをくっつけたまま見やすいように目を大きく開く。のぞきこんだ瞳には怯えた少女が映っている。


「本当に人と関わりたくない人は…こんなに寂しそうな表情はしない。他人の名前も憶えないし、挨拶だって返さない。誰かに嫌われると思って、こんなに怯えた目の色にはならない。私が…断言する」


 見てきたような言い方だった。いや、彼女は多分実際見てきたのだ。社交的な性格を生かし、関わりを求めている人とそうでない人を見分けてきたのだ。そうでなければそんな確信を持ったような表情はできない。

 くっつくおでこが妙に温かくて心地いい。そう夢宮が感じていたらもう雪はもう溶け終わるころだろう。

 「だから」と耳をくすぐる声にはココアのようなあったかさが、緑茶のような安心感があった。身近なもので例えるなら、おばあちゃんみたいな感じ。


「寂しくなったら、私を頼って」


 無条件の友愛は余すことなく夢宮を満たした。雫が頬を辿る。大粒の涙は溢れんばかりに目に水面を作った。ゆっくりと滴る涙はやはり温かかった。

 雪は解け終え、春が来た。芽が出始め、花を咲かす準備をする。氷はとっくに姿を消した。もう春には女王はいない。

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