問い

『昨日、各宇宙局全てが予測していなかった彗星が突如として観測されました。事前に接近を予測されなかったのは宇宙局創設以来、史上初の出来事であり…』


 テレビの中のアナウンサーが業務的な声で言う。そのテレビにはというと『突如現れた謎の彗星‼何かのメッセージか⁉』と面白おかしくレイアウトされた見出しの下に昨日の夜見えた彗星の映像を流していた。


 その映像を寝ぼけた顔で朝食のパンをかじりながら流し見した。

 まとわりつく睡魔を振り払うためコーヒーを口の中にゆすぐ。広がる甘みと少々の苦みを感じながら昨日立てた一つの仮説を思い出していた。


『夢宮鏡華が放った言葉はすべて現実になる』


 一昨日の僕が聞いていたら鼻で笑うぐらいの陳腐な仮説だ。だが、今朝の僕にとっては笑い飛ばせるほどありえない話じゃなかった。とてもではないがあの現象の数々を偶然で片付けるのは難しい。

 最後の一口サイズとなったパンを口に詰め込むと今日必ず夢宮に彗星のことを問いただすと心に決めた。

 飲み込んだパンは塗りたくったバターと口に残ったコーヒーの味がした。


 教室に入るとそこに変わった光景はなくていつも通りの眺めが広がっていた。

 俺は教室の真ん中らへんで駄弁っている吉田達やその他の友達に軽く挨拶をしてから自分の席に鞄を置いた。

 俺の席から二つほど離れた角の席が視界に入ったが誰も座っておらず鞄も置かれていない。どうやら夢宮はまだ来ていないようだった。


 何もしないのもあれだから吉田達のもとへと行き、他愛もない話に興じる。猫を被っているなら彼らとも無理にいるのではないかと思われがちだけど実際はそうでもない。明るく振舞うのもバカ騒ぎするのも疲れはするがまあ楽しい。たまにノリについていけず愛想笑いを挟んだりはするけれどもそれはどの学生にもよくあることだろう。ちょっとその「たまに」が人より多くて裏表の落差がひどいってだけであって…そこまで特別でもないのだ。


 そうやっていつものように談笑をしていると不意にドアを開ける音を聞き取った。

 ちらりと音のした方を横目で見る。他にも俺と同じ方向を向いている人を何名か発見する。学校あるある、朝の登校時間、教室のドアが開いたら何人かそっち見る。

 そこには雪景色のように真っ白な肌が清潔感のある長い黒髪と絶妙にマッチしている女子、夢宮鏡華がそこに堂々と突っ立っていた。


 束の間の間、静寂が教室を支配した。「チッ」とどこからか小さな舌打ちと思えるものが聞こえた。ちょうど夢宮には聞こえるか聞こえないかぐらいの音量で。それを気にせず夢宮が足音を鳴らすと許しを得たかのように何人かが止まっていた話を再開した。こういうことをナチュラルにするから女って怖えよ。


 俺は少し恐怖に震えたがなんとか談笑を続けながら夢宮の様子を探る。善は急げだと機会を探しているとガラガラと元気のよい音が鳴った。


「おっはよー!」


 明るい太陽光みたいな声が冷え気味だった教室の雰囲気を温める。茶髪ポニーテール超リア充系女子、夕暮薫である。次々と色んな人と挨拶を交わす姿がまさにその証拠といっていいだろう。尚、色んな人の中には『氷の女王』も含まれる。


「夢宮さん、おはよう!」


「…おはよう夕暮さん」


 ニコニコと笑顔を振りまく夕暮と表情一つ変えず事務的に挨拶を返す夢宮はまるで北風と太陽のようだった。端的に還元すると温度差がすごい。真冬のお風呂並みにすごい。


「夢宮さん」


「…何かしら?」


「今日お昼一緒に」


「ごめんなさい」


「即答⁉もうちょっと考えてよお」


「遠慮しておくわ。昨日も言ったけど大人数は苦手なの」


「…じゃあ私と二人っきりなら?」

 

 もじもじしだす夕暮。いやお前は乙女か。*注)乙女です。


「ごめんなさい」


「さっきより即答⁉」


 そんな漫才みたいなやり取りを見守っているとドアを開ける音と同時に教師の朝のHRを告げる声が聞こえた。追うようにチャイムが鳴り響く。結局、朝の布陣は何もしないまま終わってしまった。


 時は移ってお昼頃。午前中は不運なことに一限目から体育、その次は実験で理科室と移動教室が多く、そのたびに夕暮に先手を打たれ中々機会を持てずにいた。

 このままではマズイ。今日何もできずに終わったらそのままズルズル先延ばしになってますます問い詰めにくくなることが目に見えている。

何か打開策をと、授業そっちのけで作戦を立てては却下、立てては却下を繰り返す。


 ちらと左横の夢宮を見る。背筋をピンと伸ばし真面目に授業を受けているようだ。彼女の成績の優秀さは生まれつきの頭だけでなくこういう生真面目なところからきている部分もあるのだろう。

 だが、その模範となるような集中して授業に取り組む姿には一欠としておかしな様はない。この感じだと彗星の件もただの偶然だったのではないかと思わせられる。

 だが彼女は体質なのか、わざとやっているのか定かではないがポーカーフェイスがお得意なのは周知の事実。ただそれだけの要素ですんなり完結させるのも無粋だといえるだろう。


 そして次に宿敵である夕暮薫をチラ見した。

 腕を枕にうつぶせになって堂々と寝ているのが視界に映った。コツコツと先生が歩いてきて教科書の角で優しくノックするように起こされているのが見えた。

 夕暮の成績は見たらわかる通りあまり芳しくない。よくて中の下、悪くて下の上ほどだ。にもかかわらず、あんなに堂々と寝れる精神はもはや呆れを通り越して尊敬に値する。

 代わりといっては何だが彼女は生粋のスポーツマンである。我が校自慢のチアリーダー部に所属しており噂によると全国大会出場も夢ではないほどの強豪らしい。

 

 その正反対な二人を交互に見て思考を巡らせていると前の席から突然俺に声がかかった。


「卯月ー?」


「ん、何?」


 声の人物は気遣い爽やかイケメンこと山下である。山下は怪訝そうな顔で俺を見て続ける。


「さっきからキョロキョロしてどうした?カワセンすごいこっち見てるぞ」


「え、マジ?」


 事実を確認するためカワセンがいる方向に向くと、夕暮を夢の中から引きずりだし終えたカワセンこと現文の川原先生と目が合う。カエルを睨む蛇のような目だ。俺は委縮したカエルのごとく苦笑い。引きつる笑顔。蛇はそのまま「授業に集中しなさい」とでもいうようにこちらを見据え。黒板という名の巣へと帰っていった。

 ふう。と安堵のため息を漏らす。


「俺、そんなわかりやすかったか?」


「若干な」と山下は感想を述べる。そうして思春期特有の質問を笑いながら投げつけてきた。


「気になるやつでもできたのか?」


「…挙動が気になるやつなら」


「それはお前だよ。挙動不審者」


 ハハハと小さく笑いながら山下はツッコミを入れる。「それで…」とこの話題を継続させた。


「夢宮さんと夕暮どっち?」


 「ぶっ‼」と噴き出す漫画みたいなことはしない。

 まあ何となく分かってたからね。この山下はこの手の話題が大好きで得意手としている。だから俺がターゲットと宿敵を交互に見ていたことに気づくのは最早必然ともいえる。


「やっぱ気づいてたか…」


「当然。僕の観察眼をなめてもらっては困る。全校生徒の恋愛事情はだいたい把握しているよ」


 グッと親指を立てニッカッと歯を吊り上げる山下。


「冗談だと言い切れないのが怖いんだよな」


 物好きな友人に少々呆れながらも頭の中では未だに夢宮と夕暮をどう引き離すかを考える。すると一つのアイディアが思い浮かんだ。「山下さ…」と。昼休みまで残り五分。早速、作戦の実行に移ることにした。こいつにこんなこと聞いたら変な噂が立つリスクが生じるが背に腹は代えられない。


「夢宮さんがどこで昼飯食ってるか、わかる?」



 時は転じて昼食時間。太陽は僕らの真上へと昇り青い空で白い雲たちを牛耳っていた。本日は晴天なり。梅雨にしては珍しくらしいそう時報が響いてもおかしくないくらいの晴天であった。


「…どうしてあなたがここにいるの?」


 その晴れ晴れしい空の下、学校の頂上、普段は閉鎖されている屋上にて弁当を一人で広げて食べる夢宮に辛らつな言葉を投げつけられる僕がいた。

 その言葉は少なくとも、吉田達の昼の誘いを断り、もうすでにいなくなっている窓側端っこの影を追いかけてわざわざ屋上まで来た男子に言うセリフではない。


「それはこっちのセリフだ」


 道理で昼休み見かけないわけだ。まさか屋上にいるなんて思いもしない。高校の屋上なんて普通立ち入り禁止でわが校もその鉄則に反さないわけだが。どうやら屋上のカギが壊れているらしく、来るときは簡単にドアが開いてしまった。まあ普段屋上なんて使わないし管理者たちが気付かないのも仕方ないのかもしれないが…それでもちゃんと点検しろよとは言いたくなる。


「それで私に何か用かしら?」


 あくまでもしらを切るつもりなのか、それとも本当に自覚がないのか、その冷たい視線からは何も感じることができない。

 俺は前置きも置かず単刀直入に聞いた。


「昨日の彗星はお前の仕業か?」


 夢宮は少し目を開く。少々の驚きと僕には読み取れない感情が入り混じったような表情。それがなんていう感情か夢宮本人にしかわからないだろう。

 その問いの答えは数秒の間をおいて返ってくる。僕の仮定を裏切らずに。


「そうよ。それがどうかしたの?」


 彼女の声は風鈴のごとく風の中でよく響いた。

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