小さな願い

「お前の言うことを信じてみたい」


 強制的に口から流されたそれは嘘偽りのない本心からの言葉だった。いや、本心だったというより本心のようだと言った方が正しい。

 夢宮が持つ(本人によると催眠術に近い)力によって自分でも認識していなかった本心があぶりだされた。

 だがその不思議な力を信じたいという稚拙な願望が自分の本心だという事実は意外にも自分の中にストンとパズルのピースがはまったように腑に落ちる。

 認識していなかったというのは嘘だ。認識はしていたが認めないようにしていた。否定していた。本心を押し殺して理性と常識と世論に道を開けた。

 

―あの時、あの時、あの時の映像がフラッシュバックする。

 

 後悔とか懺悔とかが必死に訴えかけてくる「またあの時みたいに―」と。遅れてやってきた負の感情や吐き気に襲われるがグッと奥歯をかみしめた。荒ぶる不快感と戦いながら目の前の少女に焦点を合わせる。

 

 夢宮はその吸い込まれそうな大きな瞳を綺麗に丸くしていた。どうやら俺の発言に対して驚いているようだ。ここまではっきりとした動揺を見せたのは初めてだったのでなんだか物珍しく感じてしまう。

 

「ど…して」


 掠れた声が宙を漂う。それは雨音にさえ負けてかき消された。再度変わらぬ声で問う。


「どうして、信じてくれるの?」


 信じてみたいだけで信じると決めたわけじゃない。そんなやわなことは口走らない。その掠れた、今にも泣きだしそうな声にそんな残酷なことができるほど、僕は非情な人間ではなかったみたいだ。

 かといって「どうして」と問われると返答に困る。自分の感情もさっきまで分かりきっていなかった僕だ。半強制的に気づかされた願望に明確な理由なんてあるはずもない。

 それども口は勝手に動く。使命感に駆られたようにすぐさま脳の情報を読み取り整理し理解して的確な本心を並べ立てる。要約された感情は言葉によって統一された。


「そんなこと知らねえよ」


「…ぇ?」


 俺の本心はたった一言でまとめられた。分からないことは分からないのだ。不思議な力を使っても。

 昔のこととか、希望とか、後悔とか小さい要因は色々あるかもしれないけれど、結局のところ、本心は、今回『本当』を持っていたのは「分からない」っていう感情だった。ただそれだけで単純なことだった。

 それを自覚してからは速かった。先走ろうとする『不思議な力』に抗うことなく浮かんできた言葉を如実に語る。


「わかんねえもんは分からないし、知らねえもんは知らない。そんなもんいくら考えても無駄だってさっき気づいた」


 それは夢宮の質問に対する返答ではなく、後悔と懺悔を繰り返す自分に言い聞かせているような口調だった。


「僕は今この瞬間、信じたいものを信じる。やりたいと思うことをやる。ただ、それだけ」

 

 また後悔するかもしれない。なんであんなことをしたのかと嘆く日が来るかもしれない。

 それでも僕は本心を語った。本当に思っていることだけを口にした。


 夢宮は口をポカンと開けて呆けているようだ。それもそうだろう。僕が放ったそれは理由でも何でもなくただの宣言となってしまったから。だから僕はこの自己完結な宣言に単純な理由を付け足した。


「それに…お前は嘘が嫌いなんだろ?」


「そう、だけど」


「ならお前は嘘をつかない。だから僕はお前を信じる。これでどうだ?」


 静寂が空気を抱く。雨音だけがこの場の音を支配したその数秒間が僕にはすごく長く感じられた。やばい今凄い恥ずかしいこと言ったと後悔したのは秘密だ。墓までもっていく。


 それを破ったのは夢宮の「ぷっ」と吹き出すところから始まり堪えきれずに続いた笑い声。


「あなた、変な人ね」


 現れた笑顔を絶やさずに優しくなった声音でいう。あの寂しげな感じよりこっちのほうが断然いい。


「ねえ」


 ひとしきり笑って明るくなった夢宮は何気なく友人とする会話のようにサラッと僕の手に持ち続けていた本を指さして聞いた。

 

「あなた、その本買うの?」


「いや、今日はあんまり金持ってないから一冊だけにしとこうかと…どっちが面白いかとか分かるか?」

 

 あまりにもサラッと聞いてくるものだからこちらも何の考えもなしに返す。


「どちらも面白いと思うのだけど…そうね。しいて言うなら右の『星は君とともに消える』は感情描写が繊細で私は好きだわ」


「じゃあ左は?」


「『夜空にかけるあなたと彗星』は主人公に共感できて面白かった。だけど人気なのは右の方ね。映画化もするらしいわよ」


 夢宮の解説を参考に「ふーむ」と二つの本を交互に見ながらどちらを購入するか思案する。五秒ほどの脳内討論の上、右の本をもとの場所に戻し左の本を購入することにした。


「そっちにするのね」


 その光景を夢宮はどこか意外そうに見ていた。やはり猫を被っているのなら大衆受けする方を選ぶとでも思ったのだろうか。


「映画になるなら内容は知らない方が面白いしな」


 俺はどっちかというと映画が先、原作は後、のほうが好きだ。まずは映像を大まかに楽しんで詳細やカットされたシーンは活字で見たいな感じ。


「星、好きなの?」


 僕の持っている二冊の本が偶々どちらも星や夜空、彗星といった星に関係する感じのタイトルだった。


「詳しくはないけど結構好きだな。特に彗星。昔見に行ったけど天気が悪くて見えなかったから死ぬまでには見てみたい」


 少し間をおいてから「そう」と夢宮も当たり障りのない平凡な相槌を打つ。

 そのあとそっと目をつむり耳を澄ましていた。


「雨、止んだみたいよ」


 目を開きながら雨音が聞こえなくなったことを僕に知らせる。通り雨が去ったようだ。真似するように耳を澄ましてみると数秒前までは鳴いていた雨音が今では消え去ったようにピタリと止んでいた。


「それじゃあ私は帰るわ。さようなら」


 別れを告げる夢宮を見て少しだけ名残惜しく感じる。とても密度の濃い時間だったとからだと一人で納得する。当初の目的は夢宮さんと最低限のコンタクトをとれるようにすることだったっけ…猫かぶりが看破されてからすっかり忘れてしまっていた。結果的には果たせたような気がするので結果オーライだと思いたい。


 僕の横を通り過ぎ足音を立てながら去っていく後姿を見て何かを言わなきゃいけない気になってくる。呼び止めたいわけでもない、でも吉田からの依頼とか俺の猫かぶりのこととか不思議な力のこととか関係なしに人として言わなきゃならないことがある気がした。

 僕はその言葉に夢宮が言うところの「不思議な力」が働かないか一抹の不安を覚えた。

 ただそのどこか寂しそうな後姿をそのまま無言で見送るわけにもいかず、僕はただ思うがままに人として当然の行為を果たそうと喉を震わせた。


「また明日な。夢宮」


 声は形と成り彼女に届く。

 夢宮はその挨拶を聞いた途端に立ち止まる。

 何か言い残したことでもあったのか、こちらを振り返りながら「今日」と僕にも聞こえるように呟いた。そしてその鮮やかな唇を微笑ませながら寂しさなど感じさせない声音で放った。


「見えるといいわね。彗星」


 それは不思議な少女が初めて人に送ったあまりにもささやかで小さな願いだった。




 その日の夜、突如現れた彗星が夜空を駆けた。


 

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