依頼

「それで頼みってなんだよ?」


 あのちょっとした騒動の後。

 俺は普段使っている校舎から離れた人気の少ない棟の空き教室に呼び出されていた。

 『頼みってなんだよ』と強がってはいるものの内心はビビりまくっていた。だって無人の教室じゃん。誰だってこれはとうとうボコボコにしめられるパターンだと思いますよ。

 そんな足がちょっと震え気味な俺に気づいたのか吉田はわざとらしく「はぁ」とため息をついた。そしていつものように頭を掻きながら口を開く。


「俺も部活があるから単刀直入に言うわ。頼みってのはな…」


 俺は思わず身構える。わざわざ人気のない場所まで連れ出したんだ。きっととんでもないことに違いない。そう確信していた。


「二年三組 夢宮鏡華。そいつをクラスで孤立させないようにしてくれ」


「・・・・・へぇあっ?」


 あまりにも予想の範囲外すぎる頼み事で自然に口から変な声が漏れだしてしまった。


「手段は問わねえ。お前がよろしくやってもいいし、知り合いの女子に頼んでやってもらっても構わない。ただ『夢宮鏡華は誰が見てもクラスで孤立していない』そう思わせるだけでいい。それが俺からの頼み事だ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!理解が追い付かないんだが…え、えっとひとまず…」

「why?なぜ、か?」

「そう!なんで英語で言ったのかわかんねえけどそれ!」

「さっきの教室でのやつみたよな?あれが最近…先週ぐらいからか、似たようなのが結構起きてる。担任が察して何とかしてほしいんだと」

 

 あのマウント行動先週からやってたのか。全然気づかなかった…


「あんなあからさまなのは初めてだろうが、女子によると裏はもっとひどかったらしい」


 うへぇ。女ってやっぱ怖えー。

 まず女子Aが「ねえねえクラスの中で誰が一番嫌い?あ、ウザイでも可(笑)」って聞いて女子Bは(お前だよ)と内心思いながらも悪目立ちしている夢宮をとりあえずみんながわかる共通の話題として出し、取り囲む女子C、D、etc.が同じような意味の悪口を壊れた機械のように延々とリピートするに違いない。

※以上すべてが卯月一実の被害妄想でお送りしました


「わかったか?じゃあ俺は部活があるから…」

「待て待て待て!ちょ――っと待て!」

「あ?なんだよ?」


 気だるさ6割めんどくささ3割怖さ1割ぐらいの顔で全力で呼び止めた俺を見る。あれ?気だるさとめんどくささって一緒じゃね?

 俺は吉田の1割にビビりながらもさぞ何も感じていないように冷や汗をぬぐいながら解決されていない疑問を話す。


「具体的にどうすればいいのかのwhatとなぜ俺なのかのwhyを説明してくれ」


 吉田は顔面で「めんどくせえ」と語った。わかりやすいなコイツ。


「…whatはさっき言ったとおりだ。自分で考えてやってくれ」

「さっき言ってた…『夢宮鏡華は誰が見てもクラスで孤立していない』という状態にすればいい…つまり、夢宮鏡華の友達を作れってことか?」

「少し違うが…まあそんなところだ」

「あとwhyの部分だけ

「なんとなくだ」

「ど?」

「なんとなく、で…俺が担任に推薦した」

「す、推薦?」

「最初は俺が頼まれたんだ。だけど俺は部活が忙しいからって断った。そしたら誰かこの件で頼れそうなやつはいないか?って言われた」

「そ、それで俺?」


 why?なぜ?


「ぱっと思い浮かんだのがお前だった」

「そ、それだけが理由?」


 吉田は重苦しいため息を吐いた。少し吉田がまとう雰囲気が変わったような感覚に襲われる。


「逆に聞くけど…これ以上言っていいのか?」

「…っ」


 吉田は気だるさを少し払い代わりにほんの少しの真剣さを取り戻したような顔つきで問う。

 その言動に俺は動揺して息がつまる。数秒の沈黙。息苦しさを感じる中、俺はごまかすように返事をした。


「それは…ちょっとご勘弁願いたいなあ」


 吉田はそんな俺を一瞥して唾でも吐き捨てるように言った。


「別にやらなくてもいい。お前がダメならほかのやつに頼む。でもな・・・後悔しても俺は知らねえぞ」

 吉田のその言葉には確かな重みがあった。その言葉の意味を俺は遠慮して聞かない…普段ならば。今は焦燥感に駆り立てられて問う。

「それはどういう…」

「そのままだ。俺はお前が断ってからどう思おうが責任はとらねえ。だが一個人の意見としてはお前はこの依頼を受けるべきだ。それだけはいえる」


 言葉の端々に真剣みが帯びているのがわかる。同じクラスになって二か月ほどだが吉田のこんな顔は初めて見た。

 俺は焦燥感を振り払い落ち着きを取り戻してから口を開いた。


「わかった。お前がそこまで言うなら…やるよ」


 吉田は俺の返事を聞くとさっきまであった真剣みを消しいつもの気だるそうな雰囲気に戻した。


「そうか。ありがてえ…じゃあ、俺は部活行くからあとのことはよろしく。わかんねえことは担任に聞いてくれ」


 そう言い捨てて吉田はカバンを持って教室を後にしようとする。


「・・・まじかよ」

 

 ボソッとつぶやいた独り言はさっきぬぐったはずの冷や汗と一緒に静かに蒸発した。



「失礼しましたー…‥‥はぁ」


 ガラガラと音を立てながら職員室のドアを閉め、閉め終わったと同時に意図せずため息がこぼれてしまう。

 憂鬱。今の俺の心情を表すのにそれ以上に的確な言葉はないといっていいだろう。


 吉田の頼みを聞いてまず一番最初に取った行動は『疑う』だ。別に吉田を信用していないわけではない。あいつが嫌うのは笑えないジョークと面倒ごとである。その二つの条件が揃っている頼み事とやらが今更「ドッキリでした~」なんてオチは最初からないとわかっていた。

 ただ念のため、いや一縷の望みにかけて担任に話を聞きに行った。

 結果は思った通り、むしろ担任の期待と吉田の推薦という重荷を職員室で押し付けられた分、結果は想定より悪かった。


 俺は活発な部活動の喧騒を聞き流しながら二階にある職員室から一回にある二年専用の下駄箱へと向かう。


 受けたからにはやらなければならない。俺は階段をゆっくりと下りながら懸命に頭を回した。

 吉田から与えられた依頼は『夢宮鏡華は誰が見てもクラスで孤立していない』状態にする。これは始まりかけている「いじめ」を止めろという任務ではなく、夢宮鏡華に友達を作らせろってことだ。それならば「いじめ」を止めるという依頼よりも難易度は低いような気はする。


 まあ、とりあえず今日は帰ろう。その夢宮ももう帰ってるだろうし、今日ここでできることは何もない。

 中央らへんに位置している自分の下駄箱から学園指定の革靴を取り出し空いたスペースに上履きを乱雑に突っ込んでふたを閉める。

 靴を履き外に出て正門へと向かう。六月特有の湿り気のある空気を肌で感じる。


 梅雨は嫌いだ。雨だと濡れるし、洗濯物が干せない。気分もなんだか晴れなくなるし、なんとなく憂鬱になる。そして何より雨の匂いが嫌いだった。理由は明確には覚えていないがとにかくあの匂いが嫌いだった。

 遠くの方に雨雲が見える。それは自宅がある方向と同じだった。

 自然と足は早まる。寄り道もせずに早足で帰路をたどったが天は俺を見限ったらしい。


 学校と自宅の半分ほどの距離に差し掛かったころ、恐れていた事態が発生した。雨が降ってきたのだ。それも急な土砂降り。ゲリラ豪雨ってやつだ。ぽつぽつと降ってきたかと思ったら5秒後には雨粒が大量に落ちてくる。長い間日照りにさらされていたコンクリートが急な雨のせいで独特の匂いを発する。


「げ」


 俺はうんざりした表情になりながらも頭上をカバンで守り近場にあった本屋に逃げ込むという適切な処理を行った。その判断のおかげかあまり体は濡れなかった。

 屋根の下から雨をにらみながら一人ぼやく。


「洗濯物…大丈夫だったよな」


 今日の降水確率は70%だったから室内で干していたはず…と何の根拠もない推測をしてみる。70%と知っておいて傘を持ってきていない時点でその推測も危ういことになりそうだが。


 雨をにらみ終わったところで本屋の入り口を見る。映画のポスターや人気シリーズの新刊の張り紙などそれっぽいものが無規則に貼ってある。

 もう一度、無遠慮に降り続ける雨をにらむ。ゲリラ豪雨だとしたら短時間でやむ可能性は高い。それまで一人ここでスマホをいじっておくのもなんだか物悲しい気がするし、何よりここは雨の匂いがして嫌だった。


「入るか」


 そう一人小さく宣言して本屋の敷居をまたぐ。自動ドアが横にスライドして俺を歓迎した。

 中に入ってみて第一に感じたのはクーラーの涼しさ。六月といってもそろそろ半ばに差し掛かる。七月に入ったらもう完全に夏だ。今年もあの暑苦しいのが来ると思うと憂鬱になる。憂鬱になってばっかだな俺。


 クーラーの快適さをかみしめながら向かうのは文庫本コーナーだ。

 読書は嫌いではない。むしろ好きだ。中学生の頃はよくお世話になった覚えがある。高校に入ってからはあまり行かなくなったが、暇なときに近くのデパートにある本屋へと足を向けていたりする。

 ここの本屋に入るのは初めてだったが文庫本コーナーは若者向けなのか手作り感満載のポップがその居場所を示してくれたためすぐにわかった。

 

 一通り本を眺める。自分の目線から一段低い本棚に視線を送る。気になる本があったら手に取って開いたりもしてみる。そうやって本の楽しさを思い出していると不意に横から聞き覚えのある声が聞こえた。


「あ」


 聞き心地のいい、それもつい最近聞いた声だ。声色的に女子。同じクラスの人だろうか。でもうちのクラスの女子に放課後から本屋へと向かう文学少女なんていただろうか。まあ、百聞は一見に如かず。見ればわかることだ。

 そう思考を巡らせながら俺は手に取っていた文庫をそのままに振り返る。


「あ」


 そこには正直今一番合いたくない相手。夢宮鏡華が本を手にして立っていた。







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