ランチタイム

よく聞きなれた学校のチャイムが鳴る。それと同時に数学科教師が授業の終わりを告げた。

 促された学級委員が気の抜けた声で「起立~」ガラガラと椅子を引き立ち上がる。「礼」一拍置いて「ありがとうございましたー」そろった声で生徒たちが通常業務を終えると、打ち合わせしたかのようにざわめきが広がる。

 いつものメンバーのもとへ駆け出すもの。授業の残りがあるのか席に座ってペンを走らせるもの。黙々と弁当を取り出し、机に広げるもの。

 そのなんてことない日常の光景を眺めながら、俺、卯月一実うづきひとみはいつも昼食を共にするやつらのもとへと歩いた。


「今日飯どうするー?」


 何気なく松本が聞く。松本正文まつもとまさふみはザ・体育会系の男子。よく言えばムードメーカー。悪く言えばただのうるさい奴だ。


「僕、弁当」

「俺も」

「まさか学食と思ってたの俺だけ?」


 三人の男子がテンポのいい会話を繰り広げる。

 最初に松本の質問に答えた爽やかなのが山下直樹やましたなおき。そしてその流れに乗るようにしてダルそーにスマホをいじりながら簡潔な返事をしたのがうちのクラスのリーダーこと吉田遊司よしだゆうじだ。ちなみにいうと学級委員である。


「悪いな、松本。俺も本日は某大手コンビニの愛情弁当だ」


 そう俺は言いながら近場の椅子を引き寄せ、三人の近くに置いて座る。


「マジかーッ。じゃあ俺、食堂パンダッシュするしかねーじゃんかー」

「あ、食堂行くならジュースよろしく。午後のやつで」

 午後のやつとは、つまり午後に飲むティーのことである。

「俺も頼むわ。五分以内で」

「お前ら図々しいなぁ!?」


 そう文句を上げながらも松本はバックから財布を取り出し、着々と準備を進める。


「遊司、注文は?」

「あ?あーなんか適当に炭酸のやつ」

「りょーけえー。卯月は?」

 

 吉田からの注文を聞き取ると流れるように俺のほうを向いて注文を取ってきた。

 ただあまりにもナチュラルに聞いてきた完全に気が抜けていた俺はやや反応が遅れ気味になる。


「…え?あ、俺?いや、俺はいいよ」

「そうか?…なら行ってくるわー」


 後方のドアを通って走り去っていく松本。その後ろ姿を見送りながら山下が声をかけてきた。


「別に変な気、遣わなくていいんだよ卯月。ついでだし。遠慮はしなくても…」


 流石(俺の中で)気遣い爽やかイケメンと呼ばれているだけのことはあるな山下。俺の戸惑いをすぐフォローしてきやがった。ふう。危ない危ない、俺が女だったら惚れちゃうところだったぜ。


「ああ。大丈夫、大丈夫。…いやーちょっと今月金欠なんだよなー」

「そう?ならいいんだけど」


 山下は俺に向かって探るような目を向けてくる。そのせいで俺と山下の間にあまりよくない感じの沈黙が流れる。


「ま、卯月はチキンだからなー。教師にばれるのがコエ―んだろ」


 スマホをポケットにしまった吉田がそのよくない空気を意図的に壊すようににやけながら急に話に入ってきた。


「あー確かにそれはあるね。先にリスクを考えるところとかまさにだ」

「うっせー。根が真面目なんだよ。根が」

「ただいまー!!…ってなになに何の話―?」


 パンとジュースを両腕に抱えながら元気にうるさく帰還を宣言した松本は飲み物を注文者のところに分配しながら今の話題について尋ねる。

 というか速いな松本。出て行ってから三分もたってねーじゃん。ウル〇ラマンかよお前は。


「卯月が童貞チキンだって話」

「童貞は関係ねーよ」

「いや、チキンの部分も否定しなよ」


 山下が爽やかに笑い、松本が豪快にうるさく笑い、吉田がいたずらっ子のような笑みを顔に作る。俺もそれを見習って笑った。


「吉田ー」


 やけに明るい、まるで光を凝縮したような声が吉田を呼ぶ。


「あ?なに?」

「先生が呼んでるよー。ほら」


 そう言って前方のドアを指さす。全員がそちらの方を見ると軽く手招きしている我ら二年三組の担任教師が視界に入った。


「なにやらかしたんだ遊司?」


 山下がにやにやしながら吉田に尋ねる。


「知らねえよ。あー…くそめんどくせえ」


 それから吉田は本当に面倒くさそうに後頭部を掻きながら立ち上がる。


「正文これ金。昨日の分込みでつりいらねえから」


「しゃっ!!ラッキー!」とガッツポーズを見せびらかしながら五百円玉を受け取る松本。横では山下がお釣りなしピッタリの百四十円を渡しづらそうにしていた。


「じゃ、行ってくるわ。先飯食べといてくれ」

「了解」

「いってらー」

「生きて帰って来いよ!!」


 取り残された三人は適当な声を発しながら吉田を見送る。

 だらだら歩いて行った吉田を尻目に吉田を呼びに来た女子生徒がこちらに話題を振ってきた。


「あんなにダルってしてるのに吉田ってなんで学級委員やってんだろーねー」


 俺は改めて話題を提供してきた女子生徒のほうに向きなおる。

 地毛だろうか少し茶色がかかったポニーテールの髪や男子はもちろん女子からも評判のいい明るい性格に若干の幼さを残しながらも文句の付け所がない整った顔立ち。

 俺が一年の時から仲良くさせてもらっている唯一の女子。それがこの夕暮薫ゆうぐれかおるである。


「前、内申目当てだって言ってた気がするぞー。ま、今時学級委員する奴の理由なんかそんなもんだろ」


 廊下に出て何か話している様子の吉田と担任の姿を眺めながら俺は答える。


「へー。吉田って意外と内申とか気にするタイプだったんだ」

「遊司はあれでいていろいろ考えてるよ。たしか大学は推薦で行くとかなんとか」

「あ、サッカー上手いんだっけ?」

「おう!あいつ二年で一人だけレギュラーなんだぜ!来年のキャプテン筆頭ナンバーワン!!」


 胸を張る松本。なんでお前が自慢げなんだ…


「あははは。なんで松本が自慢げ?」

「とーぜん!!ダチだからな!」


 ふふん!と腰に手を当て先ほどの二倍ほど胸を張る松本。胸筋すげーなーおい。だが、残念だったな松本。男がない胸を張ってもそこに需要はない。それが世界の定め、不変の真理だ。


「まあ、正文の遊司自慢はいつものことだから置いといて」


「え、いつものことなんだ」


「なんで遊司は呼ばれたか、夕暮知らない?」


「うーん…先生からは吉田呼んできてくれとしか言われてないからわかんないや」


「そっかー…ふーむ」


「そんなに気になるか?学級委員だから雑用とかじゃねーの?」


「いや、あいつ学級委員っていうのもほとんど名ばかりで実際、仕事はほとんど女子にやってもらってるんだ」


「たしかに!遊司が学級委員の仕事やってんの見たことねー!!」


「といっても学級委員の仕事も言うほどあるわけじゃない。雑用といっても時間割の確認と号令くらいだよ」


「単純に授業態度が悪くて注意されてるとかじゃない?」


「いや、あいつはあんな感じだけど授業中は結構まじめだよ。むしろそっちは松本のほうがマズイ」


 松本は体育の時間と何かの実習の時以外はほとんど夢の中に入り浸っている。知能指数もこういっては何だが見たらわかる通りだ。


「こいつと比較したらダメだろ」


「うづっきーひでぇ!!」


「それもそうだね」


「うん。私もそう思う」


「二人まで!俺に味方はいねえの!?」


 大声で嘆く松本。これに関してはお前の自業自得だとしかいえない。


「かお~?何してんの~?早くご飯食べよ~?」


 左前方の窓側の席から数人の女子がこちらの方を見ている。夕暮が所属しているグループだろう。


「あ、みいたちが呼んでるから私行かなきゃ。じゃあねー」


 早々に去っていく夕暮。あいつらのグループからは「早くしないからご飯冷めちゃったじゃーん」「もーお弁当だから最初から冷めてるでしょ」とかなんとか楽しそうな会話が聞こえてくる。


「…遊司、遅いね」


「そうだな。軽い頼み事程度なら一言二言で終わりそうなもんだけどな」


 弁当から小さなコロッケを箸で取り出しながら答える。

 するともぐもぐと咀嚼していたパンを飲み込んだ松本が提案する。


「俺、見てこよっか?」


「いや、やめとこう。遊司も家庭の事情とかだったら嫌がるだろうし」


 「そうだよなー」と松本が机の上で脱力しながら捜査を断念する。


「お。話、終わったみたいだぞ」

 

 右前方の廊下側のドアが開き吉田がダルそうに入ってくるのを確認し二人に報告する。

 こちらへと歩いてくる吉田のもとへと嬉しそうに松本が駆け寄る。犬かお前は。しっぽがあったら絶対嬉しそうに振ってるぞこれ。


「遊司ー?なんの話だったー?」


「なんでもねえよ。雑談だ、雑談」


 吉田はどかどか歩いてチラッと窓側後方の席を見る。


「?」


 その視線をたどるように俺は窓側後方の席を見たがそこには誰の姿もなかった。


「卯月」


「ん?」


 呼ばれた気がして振り向くと俺が座っている椅子の前に吉田が立っていた。お、おう。やっぱり背が高いからかすごい威圧感。


「な、なに?」


「頼みたいことがあるから放課後空けとけ」


「えーと、他の二人は?」


「お前だけでいい。とにかく空けとけ。いいな?」


「お、おう」


 有無を言わせぬ迫力で俺の放課後の予定は半ば強制埋められる。

 な、なんか機嫌悪くないっすかね?吉田君。

 その後、放課後の「頼み事」とやらの恐怖で俺は午後の授業に全く集中できなかった。



 ついにやってきた放課後。善は急げ、俺は早速吉田に声をかけた。


「吉田ーそれで頼みって…」


「わり。場所変えて話すって伝え忘れてたわ。俺もちょっと時間かかるからお前も帰る準備しといてくれ」


「お、おう。わかった」


 場所も変えて話すのか…な、なんか緊張してきたな。首筋に変な汗とか流れてる気がする。

 重い足取りで俺は後方真ん中の列にある自分の席へと向かった。机の横にかけてある通学用かばんを手に取り宿題などが出ている教材だけを詰め込む。

 その作業の途中で夕暮が俺の視界を横切ったのでなんとなく目で追っていると珍しい光景が映った。


「夢宮さーん」


 ポニーテールを揺らしながら窓側後方へと駆け寄る夕暮、それが呼ぶ者の人物像を思い出して少し驚愕する。今の心境をありのままにさらけ出すと「珍しい組み合わせだな」だ。


「何か用?…夕暮さん、だったかしら」


 窓側後方最後列のクラスの端っこ、そこに鎮座する生徒こそが何を隠そう<氷の女王>の異名を持つ夢宮鏡華ゆめみやきょうかである。

 真っすぐに下ろしたつやのある長い黒髪。清楚という言葉が一番しっくりとくる身なりに、可愛いというより美人よりの大人っぽい容姿。

 容姿端麗、成績優秀、運動は…よく知らないが、とにかくよく目立つステータスを持った少女である。だが、夢宮鏡華の真骨頂はそこではない。


「名前覚えてくれたの?うれしい!」


「それは何回も誘われたらいい加減覚えるわよ」


「二、三回目はきれいさっぱり忘れ去られてたけどね…」


 夕暮はいつも通り明るく表情豊かに話す。だが反対に夢宮は表情一つ変えずに淡々と話すのだ。温度差が昼の砂漠と夜の砂漠並みにすごい。



「で今日もなんだけどこれからみんなで


「行かないわ」


「…まだ言い終わってないんだけど」


「ごめんなさい。私、人多いの苦手なの」


「じゃあ明日少人数で


「悪いけど明日は外せない用事があるの」


「あさっ


「明後日は病院に行くの」


「うぐー…」


 即答、即答、即答で遊びの誘いをぶった切る。

 そうこれこそが<氷の女王>と呼ばれる所以。『交友関係を一切作らない』だ。

 先ほどのように事務的だが会話もできるし、コミュニケーション能力がないわけではない。人間として性格が破綻しているわけでもない。ただただ作らないのだ。

 作ろうと思えばいくらでも作れるのだろう。事実、二年三組発足当時彼女に声をかけたクラスメートは何人もいた。だがそのクラスメートたちを夢宮はばっさばっさと斬り捨てていったのはちょっとした伝説である。俗にいうこれを二年三組百人斬り事件という(諸説あり)

 ぶっちゃけもうあいつに近づくやつはいないと思っていたが夕暮はまだ懲りなくアタックしていたのか…カースト勇者夕暮畏るべし。


「かお~そんなやつほっといて早く行こうよ~」


 夕暮グループの筆頭格っぽい、みいと呼ばれている奴がこっちに近づいてきた。


「ちょっと、みい。そんなやつとかいわないの」


「だってさ~。ねえ?」


 『ねー!』とみい(仮)の取り巻き二人が声をそろえる。まるで事前に作戦会議でもしたのかと疑うほど息があった連係プレイ。

 集団攻撃。どこの学校でもよくあることだ。浮いた生徒をみんなで取り囲んで撃退する。害虫駆除ともいっていい。


 とはいえ、みい(仮)がやっていることはまだまだ序の口、というより集団攻撃といっていいのかどうかも微妙だろう。グループの中心人物である夕暮の誘いを何回も断っていることへの嫌味。もしくは威嚇のようなものなのだろう。

 しかし、こういう小さないざこざが積み重なって大きな問題へと発展していくのもまた事実である。


「そこらへんにしときなよー」


 いつもの声に少し重みが加わった夕暮の声が耳に響く。やわらかい口調で表面上は笑ってはいるけれど目は全く笑っていないし「ああ、こいつ怒ってるな」と一年足らずの付き合いの俺でも聞いただけで体感的に理解した。


「で、でもさ~」


「でもじゃない。そんな嫌がらせみたいなことして無理やり連れて行っても気分悪いし、なにより私たちも楽しくないよ?」


「そ、そりゃあそうだけど~」


「ならやめる!それにほら、そんなことしてたらみい、彼氏に愛想憑かされちゃうよー」


「げ。それはヤダな~」


「でしょ?だからこんな非生産的なことしない!こんなことしている暇があったら料理の一つや二つ覚えなさい」


 夕暮はポコンッと間抜けな音をみい(仮)の頭の上で立てる。


「うわ~ん。叱られたよ~」と取り巻き二人に泣きつくみい(仮)。少しだけ場に和やかな雰囲気が流れる。

 夕暮は「ふう」と安堵したかのように息を吐き、夢宮のほうを振り向き目を合わせる。


「夢宮さん…ごめんなさい!」


 そして勢いよく頭を下げた。


「みいもね、私が夢宮さんばっかりにかまっちゃうからちょっと嫉妬しちゃっただけで根は良い子なの。だから…」


「大丈夫よ」


 どことなく申し訳なさそうにうつむいていた夕暮は顔を上げる。

 夢宮が何かをこらえるようにこぶしを握り締め、こう言った。


「もう…慣れたから」


 初めて見た彼女の笑顔はどこか寂しげで…なぜかとても薄っぺらく感じた。





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