第一生存者
「……こ……こんなところで」
その女性は息をきらしながら、広大な夜の草原を走っていた。
衣服は所々が破れて汚れており、それを纏う体はひ弱そうに痩せ細っている。そのせいか若いはずなのに、やや老けた容姿に見えるのは仕方ない。
まるで貧困地にたむろする汚ない物乞いのような姿だ。
そして、そんな彼女を弄ぶかのように追い回す巨体があった。
長い首をしならせ、翼があるにも関わらず大地をかけて必死に逃げる獲物を追跡する人食いの不気味な竜。
獲物たる女に追い付くのは容易い、しかしあえて恐怖させながら追い回すのはその残酷な行為を楽しむためだろうか?
「……だめ……こんなところで死ねない!」
女性の痩せた身の体力は、もう限界で悲鳴をあげていた。
少しでも身軽になるために、逃げる最中にやっとのことで採取できた僅かな山菜や茸は網カゴごと投棄したが、たいして走る速度があがるわけもなく。
とてもじゃないが蛮竜を相手に逃げ切れるわけもなかった。
「……あっ!」
そして、まともに整備もされてない道とも言えない場所を無理に走っていたためだろう、右足を捻り転倒した。
「あぐっ!」
すぐさま走り出そうと立ち上がろうとしたが、右足首に痛みが走った。
おそらく靭帯あるいは腱を負傷したのだろう、とてもじゃないがもう人食いの化け物から逃げるなど不可能な話だ。
そんな彼女の様子を理解してか、蛮竜は走るのを止め追い詰めるように女性ににじりよる。
「うあぁぁぁ……寄るな! 来るな!」
女性は腰につけていた山刀を引き抜くと悲鳴のような言葉を発しながら、それをブンブンと振り回した。惨めな最期の抵抗と言えようか。
無論、蛮竜にたいしてそんなものが威嚇になるはずもなく。
何人分の肉をたいらげたのかも分からない顎から腐臭の吐息を吐き出すと、伸縮する舌を伸ばして女を叩き飛ばした。
「きゃあっ!」
女性は叩かれた衝撃で手にしていた刃を落とし、数メートルも転がる。
彼女が死ななかったのは蛮竜が加減をしたためだろうか、あえてなぶりながら食い殺すために。
「……いゃあぁぁ……やめて……子供がぁ」
そして自身の最期の時が来たことを告げるかのように、唾液で糸を引く蛮竜の口が開かれ近づいてくる。
女性は必死で命乞いを喚く。
しかし彼女を獲物としか認識していない化け物に、そんな慈悲などあるわけもない。
(そこから動かないでくれ!)
……しかし、その時だった。女性の頭の中に声、いや音ではない言葉が理解できたのは。
その言葉は救いの手なのか、彼女は本能的にすがるように言葉を聞き入れ体を硬直させた。
とたんに眼前の蛮竜も何かを察したのか長い首をもたげ、慌てて翼をバタつかせ飛び立つ。
そして人食い竜が少し上昇した瞬間、極めて細い光の線が一直線に突っ切り蛮竜を縦に振り払った。
「きゃあっ!」
彼女は思わず悲鳴をもらす。
なぜなら臓物をドロドロと溢す縦二つに両断された蛮竜の死骸が音を響かせて墜落したのだから。
女性はその目の前の亡骸に不快を覚え、口もとを押さえる。
脅威がなくなった喜びよりも、そのあまりにも生理的嫌悪感あふれる死体に吐き気がしたのだろう。
「……うあぁぁぁ」
そして蛮竜の死体から視界を外し、閃光がやって来た方へと見やると、遠くにそれは佇んでいた。
彼女は震えるように小さな声をもらす、その驚愕の姿にもう悲鳴をあげる気力も体力もないのだ。
月光に照らされたそれは竜。しかしその体は城塞よりも遥かに巨大であった。
× × ×
「これで一五六体目か」
道中で殺した蛮竜の数だ。
ギルゲスに入って多少経過したとは言え、もうこれだけの蛮竜を始末した。
この調子だと、あと何体出てきやがるのやらだ。
いずれにしてもこの国いる蛮竜どもを一匹残らず狩りとるのは少々骨が折れそうだぜ。
「ムラト、女の人は?」
と、コンテナの上にいるアリシアが女性の安否を問いかけてきた。
「ああ、少し動転してるようだが無事なようだ」
俺の超視力なら遠く離れた小さな女性の様子も鮮明だ。
多少なりケガしてるようだが、命に関わるような負傷はない。
もう少し遅かったら、彼女は間違いなく蛮竜の胃袋におさまっていただろう。ギリギリだった。
……ただ俺の姿に驚愕してはいるようだがな。
ひとまず危険が去ったことと、こちらに害を与える気はないことを伝えんとな。
俺は女性のもとへゆっくりと歩みより、彼女に近づきすぎない所で足を止めた。
「安心してください、周辺の蛮竜は掃討済みです。ウェルシ姫の依頼により助けに来ました」
「……ウェルシ……様が?」
俺の言葉に女性は呆然とした様子で返答してきた。
やはり怪獣である俺の言葉で信用させ安堵させるのは無理か。
諦めて両手に持っていたコンテナを置き、彼女に任せることにする。
「アリシアたのむ」
「任せて」
アリシアはコンテナの上から飛び降り、女性のもとへと駆け寄った。
「さあ、もう大丈夫ですよ。助かったんです、あなたは助かったんですよ」
そう言いながらアリシアは女性に優しく抱きついた。
「あ……うあぁぁぁ!!」
人肌に触れ、そして人の声を聞いたことでやっとのこと状況が理解できたのだろう。
命が助かったことと、苦しみから解放されたことに。
やっと得られた安堵ゆえにか、女性もアリシアの首に手を回し一頻りに嗚咽を響かせた。
「立てますか?」
「……すみません、ちょっと足を」
そして女性が落ち着くと、アリシアは彼女の体の具合を尋ねた。
「足をケガしているのですかな?」
そう言って俺は頭部の触覚と彼女の足に意識を集中する。
怪獣の触覚は複合型センサーのような物で、遠隔・遮蔽場にある物体を探知したり、敵の存在の察知や物体の探査・走査に用いるが、応用すれば精密なスキャナーのように使用することも可能だ。
それによって女性の負傷部を検査する。
「……腱を負傷しているな。捻挫だ」
これなら冷やすのが一番だ。
確か支援物資の中に氷があったはず。
「アリシア、物資の中のクーラーボックスに氷が入ってる。それを氷嚢に入れて、患部に当ててやれ」
「……えーと、クーラーボックス? 氷嚢?」
とアリシアは首を傾げた。
そうだったな。彼女がそれらの用具を知るはずがないか。
そしてどうにか彼女に説明をして女性に処置を施してやることができた。
「処置が済んだな。よし、行くぞ」
落ちいたことが分かり、俺は目的の方角へと顔を向けた。
「……ど、どこへ向かうのですか?」
と、そんな俺を見上げて処置を受けた女性が恐る恐るとした様子で尋ねてきた。
「この先に多くの人々が隠れ住んでる場所があります。そこに向かいましょう」
多数の人間の生命反応が感じられる、恐らくどうにか生き延びた人達が身を寄せあっているのだろう。
支援物資も届けないといけないし、女性のためにもそこにつれて行ってやるのが一番であろう。
「待って、ください!」
「んっ?」
どこか焦ったような女性の声に俺は頭を彼女へと下げる。
生存者のためにも、あまりモタモタはしたくないのだが。
「あのその……子供がいるんです」
「子供が? どこに」
「実は食糧を探しに来ていたのですが……蛮竜に襲われて、場所が分からなくなって」
なんの特徴もない草原だ。そりゃあ方向が分からなくなって迷ってしまうのも有り得る。ましてや、ただの一般人が蛮竜から必死に逃げ回っていたのだから。
「ムラト、探せる?」
アリシアも心配気に見上げてきた。彼女のどうにかしてあげたいと言う気持ちがよく伝わってくる。
「ああ、もちろんだ。任せておけ」
怪獣の超感覚なら造作もない。
頭部の触覚に再び意識を集中させ、より精密に広範囲の環境や情報を把握する。
「……場所が分かったぞ。いそぐぞ」
おかげで蛮竜どもが妙な行動をとっていることも理解できた。
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