死を選んだ理由
大賢者の遺書に綴られた武勇の数々、いや……超人が巻き起こした殺戮と怪奇と言った方が正しいだろう。
初めて、これを呼んだ時は冗談かと思っていたが、今は実物を見て全てが事実であることが痛いほど理解できる。
しかし遺書だと言うのに、なぜか書かれている文章はオボロのことばかりだった。
おかしい。なぜ大賢者が自害を選んだのか?
その理由がどこにも書かれていなかったのだ。
……いや理由など、おおかた分かるだろう。
優秀な魔導士達の魔術が生身に負ける情景。
そして多くの魔術を操る大賢者でも、どうすることもできなかった絶望的な戦況を、武器も持たないたった一人の少年が覆してしまった現実を見たのだから。
ムデロが企てたオボロの謀殺は失敗、その結果によって連合軍は主力たる優秀な魔導士達を失った。
この世界では魔術を操る者の質と数こそが戦いにもっとも影響する。
そんな戦いの主力をいきなりに失った連合軍は、焦りのすえついに数の暴力にでたのだ。
魔術も破り、策も通用しないオボロを倒すためにとられた手段。
それは推定八百万にもなる連合の総戦力を、たった一人の少年にぶつけると言う暴挙。
……しかし、結局四百万半に及ぶ戦死者を出し連合軍は敗北したのだ。
「……たぶん、その時のムデロの胸中は、挫折、虚無、無力感だったんじゃないかな。今のわたしと同じく」
そう言ってミアナはコーヒーを啜る。
そして、またサンドイッチを掴み出す。具は卵であった。
「……」
アサムは、ただ無言で彼女の話を聞き入れていた。
自分は魔術は扱えど魔導士ではない。
だからこそ戦いの中で魔術を振るっていた彼女やムデロの考えに、何かを言う資格はないのだ。
ただ聞いてあげるだけ、できるのはそれだけなのだ。
「有力な魔導士達の殲滅。大賢者の魔術をも持ってしても、どうしようもできなかった絶望的な戦況の覆し。……オボロは、それを身一つでやってのけたのよ。そんなものを見たのなら、魔導士だったら自分の存在価値や意義に絶望もするわ」
と言って、ミアナは今だに男根を振り回して喜んでいる超人を見つめて、またサンドイッチを口へと運ぶ。
何千年もの時のなかで磨かれてきた魔術の歴史。
幾度もの戦乱の中で知将が練ってきた戦術や策。
腕ききの職人が作りした優れた武具の数々。
……この大戦で、それら全ての概念が蹂躙されたのだ。
原始的かつ野性的な
切磋琢磨された魔術や技術や知力が原始的なパワーに敗れた光景。
「自分の今までの努力や得てきた成果はいったい、なんだったのか?」
「魔術が歴史が、あんな原始的な野蛮ものに劣るのか?」
「なんのために魔導士は存在するのか?」
そんな有り様を見れば、大賢者でなくともこうも言いたくなるだろう。
相手が超人とは言え、魔術が丸腰に完敗したことには変わりないのだから。
……それゆえに、ムデロは今までの研究成果を焼き払い、そして自ら命をたったのだろう。
魔術の無力さと自分の存在価値に絶望して。
この物語は前述のとおり、まさに怪奇であろう。
もしも英雄と言う常人の物語なら、死闘と苦難の果てに巨大な悪の独裁者達を打ち倒した、と言う英雄譚になるはずだ。
しかしミアナが語ったものは丸腰のたった一人の少年が、魔術を食らっても死なず、魔導士達を怪力で惨殺し、軍勢をも薙ぎ倒し、知将達の策も力で捩じ伏せ、絶望の戦況を覆し、あまつさえ魔導士の最高峰である大賢者の心をへし折って死に到らしめる、そんな話など常軌をいした怪奇としか言いようがない。
「……僕からは何も言えません。どうしようもない、ことではあると思いますが」
ここで初めてアサムが自分の意思を口にした。
「……ええ、分かってる。どうしようもない」
そしてミアナは溜め息を溢した。
そう、どうしようもないのだ。
オボロは人類の枠から外れた超人、魔術など通用しない程の存在。
ゆえにこそ魔術を拠り所とする魔導士などでは、どんなに足掻こうが絶対に彼には及ばないのだ。
けして大賢者ムデロが弱かったわけではない、ただオボロと言う存在があまりにも規格外すぎたのだ。
どんなに自分達が競争して頑張っても、天や運が味方してくれても、オボロと肩を並べることすらできない。
差がありずきるとか、レベルが違うとかそんな問題ではないのだ。
あんな怪物さえこの世界に誕生しなければ、と言いたくなる魔導士もいるだろう。
だが……本当に、どうしようもないことなのだ。
そんな妄想の中にしかいないような存在が実在してしまっているのだから。
幾人もの魔導士達が時を重ねて魔術を磨き極めても、オボロはそれ以上のことを容易くやり遂げてしまうだろう。
「……だからと言って、いつまでも止まっていられないのも事実」
ミアナは弱々しい視線で空を見上げた。
天上よりさらに先、その領域からやって来た恐怖を知り。
魔術が役に立たないと言う無力感を知り。
あまつさえ魔力を破壊され絶望も知った。
少女のその精神は、どれほどすり減らされたか。もはや根本から折れてもおかしくないほどに。
「恐怖も絶望も味わった。……でも、わたしにはやらなければならないことがある」
国王より任された最大の使命、レオ王子を守りとおすこと。
そして、国を奪還すること。
それをなさずに、この世からいなくなるわけにはいかないのだ。
「でも、そのためには……やっぱりオボロの、超人の力が欲しい」
そう言って空を眺めていたミアナは視線を下げた。
魔力を失った今、レオ王子を守ることは何とかなるだろう。
しかし王国を奪い返すともなれば、現実的に考えて石カブトの協力が必要になる。
「……ミアナさん、もうそのような事は言わないでください」
すると、アサムが厳しくも悲しげな視線をミアナに向けた。
「オボロさんから聞きました。……昨晩、あなたが何をしようとしていたか。もう少し自分を大切にしてください、僕は心配なんです」
「……ごめんなさい」
囁くような小さな声をミアナは溢す。
恥ずかしい様を見せないのは、彼女が女としてよりも戦士としての心が上回っているためだろうか。
彼女が昨夜やろうとしていたこと、それはオボロと
体も女としての心も、あげくには自分の子供さえも戦いの道具にしようとした行為である。
「ムデロも同じことを考えてたから、それに影響されちゃったのかな」
「ムデロ様が?」
「うん……最後の頃になると相当に精神を病んでたみたいでね。オボロと優秀な女戦士達を交尾させることで超人達を誕生させ、最終的には超人国家を創造する計画も考えてたの」
魔術がもう無力であると理解し、ムデロはそんなことを考えたのだろうか?
せめて死ぬ前に、王国を絶対的な繁栄へと導く方法を。
超人の因子を人々に広めていき、最後には全国民を次の段階へ進化させる。
何とも妄想とも見える計画であろう。
「……そうだよね。今回のことで理解できていたはず、石カブトの力は、もう国家間の問題や人どおしのもめ事に介入させてはいけないこと」
アサムに説教されて心を改めたのか、理解したようにミアナは頷き最後のサンドイッチを頬張った。
まだうまくは理解できていないが、明らかに石カブトは今の世論に巻き込んではいけないものなのだ。
「……あ! いけねぇ。今日メルガロスに戻らねぇと、なんねぇんだった。その前に、ニオンとこいかねぇと」
不意に、そんなオボロの声が聞こえた。
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