大賢者
……とても、美味しい。
サンドイッチを口したミアナが感じたのはそんな単純なもの。
単純ではあるが、それだけで説得力は十分。
それほど手のこんだ料理ではないが、材料の鮮度はよく、そしてなによりアサムの手作りなのだ。
彼の料理の腕前は、この地域でも随一。至福の美味しさであるのは当然。
ゆえにか、さっきまで暗い顔をしていたミアナは表情を少しばかり緩めた。
どんなに落ち込んでいようとも、旨い物は旨い、味覚がそう告げてくれる。
そうしてひとつ食べ終えると、ミアナはバスケットの中に左手を突っ込み、ふたつ目のサンドイッチを掴み出しガツガツと貪るように食べ始めた。
「本当に、美味しい」
品がある食べ方とは言えないが、それだけサンドイッチが旨いのだ。
そして恐らく不安を少しでも紛らわせるために、そうした食べ方をしているのだろう。
そんな彼女の様子察したのか。
「どうぞ」
アサムは肩にかけている水筒から金属カップにコーヒーを注ぎ、ソッとミアナの傍らに置いた。
「ありがとう。うん、いい匂い」
ふたつ目を食べ終えたミアナは置かれたカップを持ち上げると、いきなりに飲もうとはせず、その芳香を鼻で吸い込む。
そして、ゆっくりと味わうように啜った。
まもなく季節は夏をむかえる、ゆえに少々日射しが暑い。
しかしそれでも温かいコーヒーはいいものだ。
「コーヒーには志気向上作用がある。深部から気力を覚醒させてくれる」
そんなことを教えてくれたのは、さて誰だっただろうか。
ちょっとした知識を囁くと、またミアナはコーヒーをズズッと啜った。
そして、やや落ち着いたのか元魔導士少女は大きく息を吐き、となりに座り込んだアサムに問いかけた。
「……ねえ、大賢者ムデロのことは知ってる?」
「大賢者ムデロ様。歴史上最高の魔導士のことですよね? あなたと同じく、バイナル王国の魔導士」
ミアナがいきなりに伝説的な偉人の名を口にし、アサムは反射的に言葉を返した。
「強力無比な数多の魔術を操り、万能の術士ともうたわれましたね」
万能と言われる程に、その大賢者は多彩だったのだ。
突っ込んでくる百の敵兵を一瞬で葬った。
傷付いた百の味方を瞬時に癒した。
どんな攻撃にもビクともしない障壁を展開した。
荒ぶる大火災を一夜で消し止めた。
高度な魔術を、いくつもあみ出した。
幾人もの優秀な魔導士を育て上げた。
その所業は数知れず。それほどの才知を持った、黒豹の老魔導士であったのだ。
そして、その大賢者はミアナと同じくバイナル王国に深い忠誠を誓う者であった。
「そう、その行いはどれもが後々まで語り継がれるものばかりだったの」
そう言ってミアナは、みっつ目のサンドイッチを食べ始める。
「そして、あの戦い。大陸西側で勃発した野獣大戦、あるいは西方世界大戦で大武人オボロと共に毛玉人達を勝利に導いた、と言う大偉業を最後に残したの」
「……最後の偉業」
アサムも、その出来事は知っている。
それは、苛烈な差別が原因で約十五年前におきた歴史上最大の戦争。
五千にも満たない毛玉人と西側諸国の推定八百万もの連合軍の壮絶な戦い。
どう考えても毛玉人達には勝目がないと思われていたが、結果的に勝利したのだ。
そして、その圧倒的に不利だった戦いを覆してしまう程の働きを見せたのが、大賢者ムデロと大武人オボロとされている。
つまり、今近くで男根をさらけ出してる超人はこの戦いで、勝利に大いに貢献した存在なのだ。
「見ていろムラト、オレの
と、いきなりにその大武人たる男を声が聞こえてきた。
大量の食料を平らげたらしく、大皿は空になっている。
そして、また下劣な発言をしていた。
「んなもん、ここっで
「そうか、そうか!
「そっちのぼうじゃない! あんた
オボロの下品極まりない発言と、それを叱るムラト、先程と同じ光景。
それを見てアサムは、苦笑いをうかべて頬をかいた。
「えーと、ミアナさん。なんだか、すみません。けして悪い人ではないんですけど……幻滅しましたか?」
誰が信じようか、いや信じたくもないだろう。
さきの大戦で英雄的な活躍をした男が、今現在マンキニを着てハミチンを見せびらかして、はしゃいでいるなどと。
「彼の力を目の当たりにしたムデロも、今のわたしと同じ気持ちだったのかな?」
よっつ目のサンドイッチをかじりながらミアナは、男根を出して戯れるオボロに視線を向けた。
「えっ? それはどう言う……」
となりで呟いた彼女の言葉に、アサムは思わず顔をむけた。
そして、重々しくミアナは語り出す。
「ムデロが故人であるのは、もちろん分かっているよね」
「……ええ、はい。半妖精以外の種族と交流することで、歴史など色々と学びましたから」
今だに未知の種族と語られる半妖精の知能は非常に高いらしく、ならばアサムが別種族達の歴史を熟知しているのは当然と言える。
そして褐色肌の半妖精は言葉を続けた。
「西方世界大戦の後、しばらくして亡くなられたんですよね。だいぶご高齢でしたから……」
しかしミアナは、その言葉を聞いて頭を横に振った。
「死因は、病でも老衰でもない。……彼は自ら命をたったの」
「自殺! そんなこと……」
驚きの内容にアサムは目を見開く。
大賢者と言われた程の強き者が自殺など考えるだろうか?
ミアナは大きく息を吸うと、また重々しく語り出す。
「
そう言うと彼女は、いつつ目のサンドイッチを口に運び、味わうように咀嚼して飲み込む。
「毛玉人のレジスタンスの戦死者は約三〇〇〇。連合軍の戦死者約五〇〇万。それが、あの大戦の損害」
そして再びオボロに目をむけた。
「おっおっ! この服の効果が現れたぞ。見てみろ、この
「あんた、いいかげん
今だに下品なやり取りが続いていた。
そんなオボロとムラトの様子をアサムも見ていたらしく、また苦笑いをうかばせる。
「ほんと食事中に、すみません」
本来なら彼が謝罪すべきことではないのだが、謝れずにはいられなかったのだろう。
そしてミアナは不気味な雰囲気で先程の続きを語り出す。
「……連合軍の死者は約五〇〇万。その内九割以上がオボロ単独によるもの。あの大戦は、けしてレジスタンスと連合軍の戦い、とは言えなかった」
語られるは戦慄の内容。
それを聞いてアサムは恐る恐るとした様子で彼女に顔を向ける。
「ムデロ様が遺言としてそれを……」
「そうよ。あの大戦は実質的にはオボロたった一人と西側諸国の総戦力の交戦と言ったものだった。戦後の混乱に乗じて、真実は隠蔽されたけど。その様子だとアサム、あなたもこの事実は知っていんでしょ」
彼女の言葉にアサムは、ゆっくりと頷く。
「はい、オボロさんから直接聞きましたから。……どう考えても、表沙汰にはできない内容です」
「だからこそよ。自らの命を断つ程にムデロを追い詰めたのは、オボロと言っても過言ではないの」
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