不穏な気配
草原には風がそよぎ、天を見上げれば星が輝く。どこにいても夜は美しいもの。
しかし、そんな夜景の元にいるのは不安な表情をした数百の毛玉人である。
「……いったい、何があったのだろう?」
そう震えた声で呟いたのは犬の毛玉人の青年であった。都市ゲン・ドラゴンから北方へ約一キロ、その街道に毛玉人達は気がかりな様子で佇んでいた。
「魔物でも現れたのかしら?」
「いや、しかし……その程度のことで都民がこんな大規模は避難など行うか?」
「きっと、大群なんじゃ……」
「それ以前に、この周囲にはあまり魔物は出現しないと聞いた。なのにいきなりに魔物の群れが現れるものか?」
そんな彼等は今何が起きているかなど理解できていないようであった。ほとんどの者達は魔物の襲撃と勘違いしている。
彼等は別の国からの難民なのだから、この領地の事情を知らないのは仕方ないことだろう。
北門付近に設置された難民キャンプで寝静まっていた彼等は、突如として鳴り響いた不気味な警報音と不規則な大地の揺れで叩き起こされ、そして都市から避難する住民達の呼び掛けでここまで逃げてきたのだ。
そして目先にある都市からは現在進行形で住民達が都外へと逃げ出している。
「……いずれにしても、何かとんでもないことが起きてるのだろう」
逃げ出す人々を見ながら壮年の猫の毛玉人が言った。この都市に一番最初にたどり着いた避難民を率いていた男性であった。
「レオ様は、無事であろうかぁ……」
そう心配げな表情をしていると、いきなり大きな煽る音が真上から聞こえてきた。
そして強い風を発生させながら、それが毛玉人達の目の前に降り立った。突風から身を守るため思わず毛玉人達は姿勢を低くした。
「……希竜?」
猫の男性は顔をあげると、そこにいたのは二頭の竜。全身が美しい体毛に覆われた、竜の中でも滅多に目撃されることがない種であった。
「ありがとう、リズリ君!」
そして、そんな声が聞こえてきたのは左に立つ希竜の背中からであった。
それは聞き覚えのある声である。
すると、その声の主と思われる褐色肌の少年らしき人物が希竜の背中から滑るように降りて、大地に両足をつけた。
それと同時に二頭の希竜は全身を輝かせながら姿を人間体へと変化させた。
竜体と人間体の両方を使い分けできるのは希竜の特徴である。
左の希竜は白髪の小柄な少年、右の桃色の体毛に覆われた希竜は美少女の姿へと変わった。
「皆さん大丈夫ですか?」
そう言って毛玉人達の元に褐色肌の少年が駆けてきた。しかし、そんな見た目の彼は子供ではない。
ただ少女のような愛らしい姿をした青年である。
「アサム様! 私達は大丈夫です。……しかし、いったいこれは?」
返答してくれた猫の男性を見て、アサムは安堵したように息を吐いた。
すると男性は不安そうにアサムに寄って来た。
「アサム様、レオ様は……レオ様はご無事ですか?」
「はい、王子様は無事です」
自国の王子の身を心配する人々を落ち着かせようとアサムは抱きかかえている白き獅子の赤ん坊の顔を、ソッと見せるのであった。
警報音で泣いていたが、今は落ち着いた様子である。
王子の無事を確認すると、毛玉人達も安心したように大きく息を吐いた。
「……え、エリンダ様」
「きっと大丈夫ですよトウカ様……エリンダ様なら」
しかし、そんな彼等とは正反対に不安げな顔をする二人がいる。
領主に従える竜であるトウカとリズリはゲン・ドラゴンに目を向けながら悲しげな言葉を発することしかできなかった。
従者である彼等にくだされた領主の命令は、主人である自分を置いて都市から脱出することだったのだ。
つまり最愛の主人を屋敷に置き去りにしてきた事を意味していた。
「……エリンダ様」
青ざめるトウカと、それをなだめるリズリを見てアサムは小さく呟く。
二人の不安や辛さは分からないでもない。
今、都市には五年前以上の恐怖が降りかかろとしている。命令とは言え、そんな場所に領主を置いて避難してきたのだから。
ふと、何かを思い出したかのようにアサムは毛玉人達へと向き直った。
「どなたかミアナさんを見かけていませんか?」
ミアナがオボロに完敗した時が最後で、それ以降は彼女との接触はなかった。
彼女は隻腕ゆえに心配ではあったが、オボロに徹底的に精神を折られた心境を察して落ち着くまで一人にしておいてあげようと思ったのだ。
しかし、それが裏目に出てしまい彼女の居場所が分からなくなってしまった。
「いえ、こちらでは見かけておりませが」
猫の男性は即答であった。
「……ミアナさん」
そして、アサムも心配そうな表情で都市を見つめた。
ミアナは聡明な魔術士。きっと都民達と一緒に避難したに違いないと思いたいところである。
しかしアサムは妙な胸騒ぎを感じていた。
彼女は確かに賢い、しかし強い正義感と使命感も併せ持っている。
アサムは、ミアナのその善意が彼女自身を無茶へと招かなければと願うのであった。
すると、再び大地に大きな振動が伝わってきた。
ゴドルザーの角の一撃を受けて空中を舞っていた巨体が地面に激突し土や草を巻き上げながら数十メートルも転がった。
「ぐあぁ……
魔獣の小癪な手段に怒りを覚えながら、土煙が漂うなかでオボロは立ち上がる。
あれほどの巨大な化け物から攻撃を受けたにも関わらず大事ないのだから、さすが超人と言えるだろう。
そして数百メートル先にいるゴドルザーを睨みつけた。
「ギュアァァ」
蘇生した魔獣は低い鳴き声をあげる。
すると目玉が抜けて空っぽになった眼窩からミミズのような無数の赤い繊維のような物を伸ばし、それで大地に転がっている眼球を絡め取った。
グネグネと動く赤い繊維は目玉を引き上げると手繰り寄せるように眼窩の中に戻っていき、そして最後にグジュリと湿った音をあげて絡めていた眼球が眼窩の中に納められた。
そして魔獣は視覚を確認するかのように、はめ込まれた眼球をギョロギョロと動かす。
どうやら負傷した眼球を修復したようであった。
「……野郎」
魔獣のあまりにも不快感タップリの回復のしかたを見てオボロは濁った声を漏らした。
明らかに普通の生き物とは、かけ離れているのが分かる。
「ギュアァァオォォォン!!」
そして地底の暴獣は咆哮を響かせると、オボロに向かって駆け出した。
また大地が大きく揺さぶられる。
だがしかし異様であった。
「は、
オボロは驚愕し目を見開いた。
こちらに突っ込んで来るゴドルザーの速度があまりにも速いのだ。
先程までの倍以上はある。おそらく時速三百キロは楽々と越えているだろう。
(くっ! さっきのは、ただ不意打ちを噛ますために擬死をしていたわけではないようだ)
するとオボロの頭の中に、男の言葉が響いた。
「どう言うことだ?」
(移動速度や瞬発力と言った肉体的な能力が、さっきまでより向上している。おそらく仮死中に体質強化が起きたんだ。ある種の超回復だ)
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