ひさしぶりの外の世界

 自分の足でまともに歩行するのは何日ぶりだろうか。


「……うぅ」


 やや辛そうな声をあげて、レッサーパンダの少女は街路に出るのであった。

 あの白い剣士が言ったとおり、杖が必要ではあるが数日程で歩くことができるまでに回復することができた。

 そして外の世界を見るのは、しばらくぶりでる。だがしかし、ここは故郷ではない。

 視界には別の国の街波が広がり、現地住民達の賑わう声が聞こえる。


「ここが、サハク王国の辺境にある最大の都市」


 ミアナは、その情景を見渡す。

 療養中に、ここがサハク王国の北の辺境地で都市ゲン・ドラゴンであることは、ニオンとアサムから説明されていた。

 ……とある任務で、しばらく前にこの地域を訪れたことはある。しかし、その時はこの地がどれほどの規模なのかまでは探らなかった。

 だからこそ、こうして初めて深部を見たミアナは驚きを隠せなかった。

 二人が、ここは辺境地の都市などと言うから、それほど活気だっていないと思っていた。しかし予想に反してとてもにぎやかであった。

 毛玉人と人間が入り乱れてる光景が広がっていた。

 歩きながら談話する人間と犬の毛玉人、店の商品を吟味する青年、魚屋を眺めている猫の毛玉人、そして見たこともない乗り物。

 その、二つの車輪がついた乗り物がミアナの前を通りすぎていく。


「あれは?」

「自転車ですよ、ミアナ様」


 彼女の問いに答えたのは、褐色肌の少年、ではなく青年である。

 その彼はミアナの横に進み出た、アサムの腕には白獅子の赤ん坊が抱かれている。

 そして抱きかかえるレオ王子を、アサムは愛おしそうに見つめ優しくゆっすてやるのであった。


「……レオ様」


 アサムにあやされるレオ王子を見て、ミアナは呟く。彼に抱かれているときは非常に上機嫌である。

 ミアナは今だに周囲の状況や人々には馴染めず警戒していた。

 しかしアサムだけには心を許して、レオ王子を任せているのだ。

 自分が療養中に看病をしてくれたのはアサムであった。

 滋養のある手料理を振舞ってくれたり、避難して来た毛玉人達の状況を報告してくれたり、レオ王子をつれて来て頻繁に合わせてくれたり、ここまで他人に優しくされたのはいつ以来だろうか?

 彼女は人間至上のギルゲスと戦っていたのだから、本当の意味で人間達や他の種族に気を許したことはなかった。

 そんな中、初めて毛玉人以外の種族に心を開いたのだ。それがアサムであった。


「歩けますか?」

「ああ、問題ない。少しふらつくが、歩ける」


 アサムが心配気にミアナに声をかけると、少女はやや重そうに一歩踏み出す。

 歩けるまでに回復したミアナには、やらなければならないことがあった。

 体力や筋力が衰えたため、元の生活基準に戻るためのリハビリ。

 それから避難して来た国民達と対面して状況確認。療養中にも、何人もの避難者がここにたどり着いたらしい。今では四百人近いと聞いていた。

 そして……。


「避難されてきた方々は、今北門の近くで野営をしています。それと……本当にお会いになられますか?」


 アサムは言い淀むと、南門がある方角に顔をむけた。

 そして、気をしっかり持ちながらミアナも彼と同じ方向に目をむける。


「……うっ」


 南門の辺りに佇むそれを見て、ミアナは苦しそうな声を漏らす。無き右腕が痛むのだ。

 都市の南門の辺りに暗い緑色の山がそびえていた。だが、それは山ではない。とある生物の背中なのだ。

 周囲にある建物では比較にもならないため、なおさら巨大に見える。


「ムラト……あの時よりも」


 一目でミアナは理解した。サンダウロで戦った時よりも、あの怪物がさらに大きく成長したことに。

 その姿は恐ろしい、しかしどこか偉大さも感じられる。破壊者でもあり守護者でもあるような……。

 そんな彼女の様子を見てか、アサムはまた声をかける。


「また、後日にしますか? あまり無理なさらないほうがいいのでは……」

「いえ、大丈夫。……アサム、あなたも知ってるんでしょ? サンダウロのことは」


 ミアナは、やや悲しげな表情でアサムを見下ろす。彼とでは約二十センチもの差があるためだ。

 そんな小さく非力な青年も、もの悲しげな顔を見せて頷く。


「はい、オボロさんから全てを聞かされてます。……僕は、あなたに何と言えばいいのか?」


 アサムは困惑することしかできなかった。

 自分は彼女の親友達を無惨に皆殺しにした雇われ屋の一員。石カブト側に予期せぬ事情があったとは言え、ミアナから全てを奪ったのは確かなこと。

 謝罪を言えばいいのか、何をすればいいのか、それは分からない。

 ただ、憎まれても仕方ないとは思っていた。


「ミアナ様……僕達を恨みますか?」

「分からない……」


 そう言ってミアナは、レオ王子に目を向けて沈黙する。

 そして少々間をおいて、アサムの顔をのぞきこんだ。


「でも、少なくともあなたのことは憎んではいないわ。でなければレオ様を任せたりはしないから」


 彼女のその言葉を聞いて安心したのか、アサムは愛らしい笑みを見せるのであった。


「それと、ミアナ様はやめて。ミアナと呼んでほしいの、もう魔導騎士じゃないから」

「分かりました、ミアナさん」





 アサムに案内されながら、ミアナは杖をカッカッと石畳に当てヨロヨロと歩く。

 右腕を失い、脚の筋力も低下しているため、遅いのは仕方ない。

 そんな彼女に、アサムは歩調を合わせて付き添う。

 そして時々、人間の女性達がアサムのナンパにやって来る。女ならまだしも、まれに男まで来たりするしまつであった。

 ちょうど今のアサムは赤ん坊を抱いているため、とんでもない勘違いをする輩が多かった。


「……アサム……あなた、いったい誰の子を産んだの?」

「いえあの、これはちょっとした任務です。それに僕は所帯を持っていませんよ」


 驚愕と嫉妬を纏った様子で若い女性が言うと、アサムは苦笑いでかえすのであった。

 ミアナは、その有り様を呆れたように見るだけであった。

 そして、しばらく歩き続けていると唐突にミアナが口を開いた。


「この国は、いったい何なの」 


 道中不思議な物だらけだったのだ。

 食欲をそそる匂いを漂わせる見たこともない菓子や料理を売っている出店。

 紙などは高級な品だと言うのに一般人でも普通に買える価格で書物が並ぶ本屋。

 子供達がはしゃいでいる玩具屋。

 簡単な魔術並の機能を備えた家電製品を販売する電気屋。

 建物の作りはバイナル王国と差ほどかわりないが扱ってる品物は数世代先をいっていそうな物ばかりであった。

 あまりの未知との遭遇により、ミアナは唖然としかできなかった。


「……この国は、こんなに発展しているの?」 

「とある理由で、この地域だけ異常に発達しているんです。すみませんミアナさん、ちょっと買いたい物があるので待っててください」


 そう言ってアサムが足を止めたのは、木造の薬屋であった。そして、アサムはレオ王子を抱えて店に入っていくのであった。


「ん?」


 ふと、ミアナは薬屋の隣の小さな店に目をむける。その店が異様だったからだ。

 店の建物が全てピンク色に塗装されていたのだ。

 ミアナは好奇心に負け、その店の中を覗きこむ。

 そして、そこには得体の知れない品物が並んでいた。


「なに、これ?」


 彼女が見つめたのは、イボイボだらけのキノコの置物のような物体であった。


「オォーイエァー、なんだいお嬢ちゃん。その鼈甲製の高級張形が欲しいのかい?」


 すると店の奥から、狼毛玉人が姿を現した。しかし、その容姿たるや異常であった。

 ブラジャーを装着して、腰でフラフープを回していたのだ。


「……な、なにをしているの?」


 男のあまりの異質さにミアナは後ずさる。


「オレが考えたエクササイズ、その名もブラフープってんだ。ところで他にも色々あるぜ『女王様の蝋燭』に『強力媚薬スケベエキス』に『薄膜避妊具うすまくひにんぐコンちゃん』など、今買ったらサービスでSMビシバシ用の鞭とスケベ保証をつけちゃうぞぉ」


 ミアナは悪寒に襲われながら思うのであった、この店は別の世界の入り口であると。


「ミアナさん! そのお店は大人しか入れないところです!」


 買い物が終わったのだろう、薬屋の方からアサムの声がするのであった。

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