勇者見参
ニオンは、うつ伏せの状態でもがき苦しむメリルを蹴り転がして仰向けにさせた。そして値踏みするように、血の泡で汚れた彼女の顔を見下ろす。
彼のその視線は恐ろしく、凍土のように冷たいもの。とても例えようがない。
恐怖心も罪悪感も欠如してるようにも、狂気で満たされているようにも、
「がはっ! ……ごほっ!」
血の泡を吐き出すメリル。転がされた時の反動で、肺に突き刺さる肋骨に衝撃が伝わったのだろう。
そしてニオンは彼女の額に剣先を突き立てた。
「もう私に関わらないでください。もし戦いを継続すると言うのなら、私は躊躇わず迎え撃つ所存です。間違っても、あなた方に従う気などありません。もう、この国がどうなろうと知ったことでもありません」
そう言ってニオンは、引っ掻くようにメリルの額に傷をつける。
「……ぐぶぅ……あ゙あ゙ぁぁ!」
痛みのあまり、メリルは声をあげた。しかし肺の損傷で絶叫が上げられず、息苦しそうな声しかだせなかった。
剣の先端が皮膚を裂き、額の骨を擦ってるのを感じる。そして、メリルの額には大きいバッテン印の傷が刻まれた。
「この傷は、あなたは一度死んだと言う証明です。あなたは私に生かされている、ということです」
彼女の額から剣先を離し、ニオンは大胆不敵に正面の扉から玉座を後にした。
美しい月の下、その城は賑やかであった。
しかし、宴などではない。行われていたのは血飛沫が舞う祭典であった。
城の中は、悲鳴が響き渡り、血の臭いで満たされていた。
城の各通路は負傷した騎士や兵士で埋め尽くされていた。むろん死者の数も多い。
いずれの者達も体は血塗られ、腕や脚が欠損し、骨や関節を砕かれていた。
もう彼らは二度と剣を振るうことはおろか、普通の生活に戻ることもできないだろう。
……たった一人の少年が、これ程の地獄を作り上げたのだ。
ニオンの猛威はおさまることを知らず、どんどん激しさを増していた。
彼に挑んだ城内の騎士達は次々に、その剣技にかかり蹂躙されていった。
そして、その人斬りの怪物は、今中庭にいるらしい。
その少年を倒すべく、城の通路を疾走する若い男がいた。
「まさかボクに要請がかかるとは。とんでもない奴が暴れてるようだね。敵は中庭にいるのだな?」
若者は、自分の後を追って走る騎士に問いかけた。若者の腰には豪華な装飾が施された剣が携えてある。
「はい! すでに賢者様達が交戦中との情報があります」
若者と共に通路を走る騎士は返答した。
「ふむ、彼女達が相手なら戦いは終わってるかもしれないな。ならば、あとはボクに任せてくれ」
「しかし、勇者ダレット様。相手は相当な剣の使い手と聞いています」
「おいおい、ボクを誰だと思っているんだ? 歴代最高の勇者と言われてるんだぜ。魔王だって倒したんだ、ボクに勝てる奴はこの世にはいないさ。だからボクを信用してくれ、必ず逆賊は討ち取るよ」
「……勇者様」
話を聞き入れ歩幅を緩める騎士。
そして足を止め、勇者が走り去る姿を見送るのだった。
彼の姿が見えなくなると、騎士は敬礼を捧げた。
「勇者ダレット様、ご武運を」
時は夜。
月は雲に覆われ、中庭には光が届いていない。そこは真っ暗闇だった。
そして、不気味な程に静寂している。
「いったい、どうしたんだ」
緊張によりダレットの胸は高鳴る。
かつて共に魔王を倒した仲間である賢者セシリィと武道家リーゼルが中庭で逆賊と交戦中と聞いたが、声どころか物音さえしない。鳴るのは風の音だけだった。
「……戦いは、終わったのか? セシリィ! リーゼル!」
たかが三流剣士の逆賊に彼女達が負けるはずがない。きっと静かなのは、戦いが終わったためだろう。
そう思いダレットは、暗闇の中で二人の名前を呼んだ。
すると微かだが、女性の声が聞こえた。
「……あ、あれっお……おこい……いるお」
「……その声はセシリィか?」
しかし彼女のしゃべり方は異常であった。まるで舌が回っていないような。
「どこかケガでもしたのかい、セシリィ?」
ダレットは彼女の声が聞こえた方向へと駆け出した。
すると勇者を手助けするがごとく、雲の中から月が顔を出した。周囲が月光に照らされ、視界が確保できた。
そして、杖を持った女性の背中が見えた。
「セシリィ! 大丈夫か? まあ賢者の君が負けるはずはないだろうがね。さあ、ことは済んだんだろ。リーゼルを見つけて城の中に戻ろう。……こんな大事があっちゃあ、ボク達の式は先伸ばしかな?」
ダレットとセシリィは、婚約の約束をした仲であった。勇者は妻になる予定の女賢者を抱きしめようと、彼女にゆっくりと近づいた。
「……あえっと……いげてぇ!」
そして背後から接近してくるダレットに気づいたのか、セシリィは顔を彼に向けた。
「……せ、セシリィ……お前……」
彼女の顔を見たダレットは、戦慄の小声を発する。
「うあぁ……ゔあ……」
女賢者は呻くような声を響かせた。彼女の目と口からは血が流れ落ちている。そして、力なく倒れこんだ。
「セシリィ!!」
泣きながら彼女を抱き起こすダレット。セシリィの顔の様子を見て、彼は歯を食いしばった。
彼女は両方の眼球を抉り出され、さらに舌を引きちぎられていたのだ。
「……ああ、そんな、こんなこと……どうして!」
ダレットは泣き叫ぶ。
彼女と結ばれ、家庭を持って、幸せになるはずだった。一週間後には結婚するはずだったのだ。
彼女とは、いつも一心同体だった。
魔族との戦いで、ともに助け合い、いつしか恋が芽生えていた。
魔王を倒して、やっと穏やかな日々が訪れ、ともに生きようと誓ったのだ。
ダレットは、かつてない憤怒と憎しみを燃え上がらせた。魔族相手でも、こんな怒りを現したことはない。
するとセシリィの口が、わずかながら動いていることに気づいた。
ダレットは彼女の口元に耳を近づける。
「……いげて……あえいは……あてない」
彼女は舌がないため、まともな言葉がだせなかった。どうやら、ダレットに逃げるように伝えているようだ。
「誰が逃げるか! 許さない! これほど相手に怒りを覚えたのは……うっ!」
しかし、ダレットの怒りは一瞬にして吹きとんだ。背後に、もの凄い殺気とプレッシャーを感じるのだ。
怒りで熱くなっていた体が一気に冷めてくる。これほどの禍々しさと不気味さ、魔王の比ではない。
……本当に、そこにいるのは人間なのだろうか?
ダレットは冷や汗を流し息を荒げながら振り返った。
「……お、お前か? これほどの殺気は?」
背後で佇んでいたのは、全身を真っ赤に染めた少年であった。
しかし少年は勇者以上に屈強な体格をしている。
ふと見ると、血濡れの少年の傍らには下顎が陥没した女性が横たわっていた。
「り、リーゼル!」
女武道家の下顎は潰れていた。
彼女の陥没部には管のようなものが突き刺さっている。そこから空気が出入りする音が聞こえた。
すると血塗られた少年は両手から球体のようなものを落とした。
ダレットは、それがなんなのか理解できた。
「ぐぅ! ……貴様!」
彼が両手から落としたものは人間の眼球だった。おそらくセシリィのものだろう。
そして少年は、ゆっくりとリーゼルに顔を向ける。
「殺してはいません。顎部が潰れて、喉がつまってしまったので呼吸確保のため管を挿入しておきました」
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