聖剣は折れた
メリッサがニオンに敗北してから後日。ニオンの道場には彼女の姿があった。
メリッサも正式にニオンの稽古に参加していたのだ。
そして、その稽古は苛烈を極めた。新米冒険者の少年少女はともかく、騎士であるメリッサやメップまでもがゲン・ドラゴンにやって来てまだ一週間もたたないうちに音をあげそうになっているほどに。
しかし、それでも彼等はなんとか立直り稽古を続けていた。強くなりたい、という願望があるからこそ。
木刀同士を打ち合う稽古だけでなく、徹底的な肉体鍛練も行われていた。
高密度の木材である
そして、この日も稽古は行われている。
道場の中央で向かい合うは、ニオンと新米冒険者の少年。
「さあ、どこからでもきたまえ」
「はい! うりゃ!」
少年が声を張り上げ木刀を振り上げた瞬間、ニオンは一瞬にして少年の間合いに入り込み、彼の脇の下に木刀を押し当てていた。あまりの踏み込みの速さに、この場にいる誰もがニオンの動きを捉えることができなかった。
「勝負ありだ」
そこで勝負はニオンの勝ちだった。
「ふふ、予備動作が大きすぎるね。剣を担ぐようにしては駄目だ」
穏やかに笑うニオン。
しかし少年は少し不満そうだった。
「……でも、ニオンさん。脇の下に剣を押し当てただけでは、腕を切り落とすことはできないと思いますが」
「ちょっと、教えてくれる人に口答えしないの!」
少年の言葉を聞いて叱責を言うのは、メリッサやメップと一緒に観戦していた同じ新米冒険者の少女である。
「いやだがニオン、その子の言っていることには確かではないのか。剣を押し当てる程度では威力に欠けて致命傷を与えることができないと思うのだが?」
そう言ったのはメリッサだった。
ニオンの攻撃では、大きく振っていないぶん威力が生まれず相手を倒せないと考えたのだ。
それにたいして、ニオンは大きく頷く。
「たしかに腕を切断することはできませんが、もし私が真剣を持っていたらどうなっていたでしょうか。おそらく動脈を断たれていたでしょう」
「……む、たしかに」
脇の下、そこには動脈がある。そこを断たれようものなら大量出血は避けられない。
「剣術とは、なにも対象を寸断することだけではない。首のつけねや脇の下など動脈が通っている部位を狙えば、無駄のない動作で十分に致命傷を与えられる」
そして、押し当てていた木刀を少年から離し語りだすニオン。
「また、指や手首や足首を負傷させれば戦闘不能か戦力を大きく削ぐことができる」
すると今度は木刀を少年の指、手首、足首に押し当てた。どれも戦闘中に負傷すれば致命的な部位だ。
「大型魔物のように生命力が強い存在は寸断する必要もあるだろうが、小型の魔物や人間相手にはこれで事足りる」
その言葉を聞いて少年は顔を青くさせながらニオンに問いかけた。
「……に、ニオンさんは、今までに何人の人を斬ってきたのですか?」
「ちょ、バカ! なんてこと聞くのよ!」
またもや叱責するのは少女である。
少年は、どうしても気になったのだ。
なぜそこまで斬ることに詳しいのか? おそらく多くの人間を斬殺しなければそこまで知ることはできない。
言うなれば少年は「今までに何人の同類を殺してきたのか?」と聞いているもの。普通に考えれば聞いて良いことではない。
それでもニオンは隠そうともせず口を開いた。
「二〇六五人斬殺。四肢を切り落としての生け捕りが二十三人。腕を切り落としての生き証人が一人。素手でも多くの人間を打ち倒してきた」
彼の一言でその場の全員が凍り付く。この美青年は、いったいなんなのかと。
「そろそろ正午になるね。今日の稽古は、ここまで」
ニオンが一言告げると凍っていたその場がゆっくりと動きだした。
ニオン以外の一同がゆっくりと息を吐く。
そんな中、ニオンはメリッサに近づくと小声で彼女に言った。
「メリッサ殿、少しこのあとよろしいですか? 話があるのですが」
その言葉に彼女は首を傾げるのだった。
今道場内にいるのは、ニオンとメリッサだけである。
そして、二人は道場の真ん中で向かい合っている。
二人っきりでの話。メリッサは少しばかり緊張していた。
それほどに重要な話なのだろうかと。
「剣聖の弟子である、あなたには伝えておかなければならないと思いました。非常に言いにくいのですが……聖剣は折れました」
「……なんだとおぉぉ!!」
少し沈黙したあと、メリッサはニオンの襟首に掴みかかり彼を前後にガクガクと揺さぶる。
たしかに大切な話ではある、彼女は聖剣がどこにあるのかずっと気になっていたのだから。
しかし折れたなどと、聞きたくはなかった。
「貴様、なんてことをしてくれたんだ! 聖剣がどれ程のものか知っているだろぉ!」
メリッサが激怒するのも仕方なかった。
聖剣には歴代剣聖達の剣技の記憶が刻まれており、その剣を壊したと言うことは彼等の技術の数々をこの世から消し去ってしまったことを意味している。
彼女に乱暴にブンブン振り回されるなか、いつもどおり冷静かつ穏やかに話だすニオン。
「いやはや、本当に申し訳ない。正確には、折られてしまったと言うべきか」
そのとたん、ニオンを振っていたメリッサの腕がピタリと止まった。
「……聖剣が折られた、だと」
冷静になって考える、そもそも聖剣は折れるはずがないと考えられていた。
しかし、目の前の男はそれが折られたと語る。
じゃあ、いったい誰が折ったと言うのか? そもそも人の手で折れるのか? それほどの怪物がこの世に存在するのか?
いずれにせよニオンが壊した訳ではない。なら、彼に怒りをぶつけるのは間違いだ。
メリッサは、ゆっくりとニオンから手を離した。
「すまん、取り乱した。……では聞くが、聖剣を折ったのは誰なんだ?」
その問いに目を閉じるニオン。
「まず、この話をしておきましょう。……剣聖との戦いでおった傷が癒えたあと、私はある人と戦いました。そして負けたのです」
それを聞いて、メリッサは驚愕のあまり目を見開いた。
「何だと! お前程の男が負けたと言うのか?」
ニオンは歴代最強の剣聖さえも倒した剣士。そも彼をも上回る存在がいると言うのだ。
最強をも倒す存在よりも、さらに上の者が。
「……三日三晩の死闘のすえ、私は敗れました。圧倒的な剛力と体力の前に。その戦いの最中で聖剣を折られました」
「……お前を破った者の名は?」
「ムトウ・オボロ。そうです私が所属する雇われ部隊の隊長。……あの人の剛力の前には聖剣さえも」
剣聖をも越える剣技を誇るニオンでも、オボロには勝てなかったのだ。ニオンの剣技も聖剣の切れ味も、オボロの強靭な肉体の前に敗れたのだ。
彼は今でも覚えている。聖剣を鷲掴みにされ、力任せにへし折られた瞬間を。
その後ニオンはオボロの下につき二人で石カブトを作り上げたのだ。
話を聞いたメリッサは何故か笑みをみせた。
「ふふ、伝説の剣が馬鹿力に負けるか。よくよく考えれば歴代剣聖の剣技の数々でも、ニオンお前一人にも敵わなかったのだ。そんな聖剣が今更折れたところで……」
伝説の聖剣が、一人の剣士に破れ、あげくには腕力に負ける。そんな武器に、どれ程の価値があるだろうか。
今さら折れたと聞いたところで、どうという話ではないのだ。
メリッサは最愛の師であるアルフォンスの手紙に書かれていた言葉を思い出したのだ。
“もう英雄は必要ない”彼の言ったことが現実になりつつある。
そもそも自分が愛したのは師であるアルフォンスであって、剣聖の地位でもなく聖剣でもない。そんな英雄の証が踏みにじられようが、今更どうでも良かったのだ。
彼女は自分を縛りあげてた鎖が切れたような気分であった。
おそらく剣聖や聖剣という言葉に縛られていたのではないかと。
今自分がやるべきことは、特別な力などに頼らず強くなること。それを改めて胸に誓うのだった。
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