憎しみ

 後頭部に柔らかい物を感じる。とても心地よい。

 誰かが頭を撫でてくれている。

 まるで、幼い頃に戻って母親に慰めてもらっているような気分だ。

 鼻孔に、いい匂いが流れこんでくる。

 最近、これ程までの安心感に浸ったことはあっただろうか?

 そんなことを思いながら、メリッサは重い目蓋を開いた。


「……ここは?」


 ここは、どこだっただろうか?

 そんな彼女の視界に一番最初に入ってきたのは、褐色肌の可愛らしい男の子の顔。

 彼が自分の頭を撫でている。

 そして後頭部に感じる柔らかい枕のようなものは、彼のむっちりした太股。

 膝枕されているのが分かる。

 なんて、いい気分だ。このまま頭を撫でていてほしい。

 メリッサの重い目蓋が閉じそうになったとき、一気に記憶がよみがえってきた。

 自分は、まだ道場にいるようだ。


「あの男は! ……ニオンはどこにいる!」


 ガバッと起き上がったメリッサは、アサムの両肩を掴みガクガクと揺さぶる。


「あわわわ! 落ち着いてください」


 彼の声を聞いてメリッサは落ち着きを取り戻したのか揺さぶる腕をとめた。

 取り乱したことを、反省するように彼女は小さい声をはっする。


「す、すまない。私ともあろうものが、こんな姿を見せてしまって」 


 彼女は視線を落とすと、さっきまで自分の枕になっていたアサムの太股が目にはいる。


(……女性である自分なんかよりもモチモチでスベスベしているのではなかろうか? いや、こんなことを考えてる場合ではない)


 メリッサは変な妄想を取り払うとアサムの顔を見つめなおす。少年にも少女にも見える顔だちだ。


「もう大丈夫そうですね」


 そう言ってアサムは笑顔見せた。

 その一言でメリッサは気がついた。体に痛みがないことに。


「これは、君が治してくれたのか?」


 くの字に曲がっていた腕は正常な形に戻っており、胸にも腹部にも痛みはない。

 折れた前腕、粉砕した胸骨、捩れた内臓。全てが完治していた。

 メリッサの問いにアサムは頷く。


「治療魔術は得意ですから。まだ痛むところは、ありますか?」


 彼の優しい言葉に、メリッサは頷き再びアサムを見つめる。


「大丈夫だ、ありがとう。君らと初めて会った時に聞いたが、国一の治療魔術を行使できると言う話は嘘ではないようだな」


 癒しの魔術を扱える者はそれなりにいるが、あくまでも止血したり傷を塞ぐ程度。

 それゆえ痛みが残ったりもするし、無理もできない。

 しかし、アサムのそれは時間でも戻したかのように元通りに治っているのだ。 

 そして、メリッサの表情が暗くなった。


「……私は、負けたのだな。……格が違いすぎる」


 剣聖の弟子の中でも剣技に優れているからと言って、勝てるような相手ではなかった。

 腕を折られ、胸を粉砕され、内臓を捻られた。まるで地獄のごとき苦痛だった。

 そもそも、ニオンは歴代最強の剣聖をも倒した男。今思えば、勝てる道理など皆無。

 復讐心にとらわれて、愚かなことをしてしまった。

 心を乱して冷静さを欠いた、隊長としては失格だ。

 メリッサは心の中で自分を戒めた。


「……すまん。少しいいか」


 そう言うとメリッサはアサムと自分の額を密着させた。

 彼の吐息が顔に触れるのが分かる。

 王都での戦い以来から部下達は、アサムの近くにいると心が和むと言っていた。

 どうやら、そのとおりだ。

 数十秒程しただろうか、ゆっくりとアサムから自分の顔を離す。


「あのう?」


 いきなり顔を近付けられたためだろう、アサムは困惑していた。


「ありがとう。落ち着いたよ」


 恨みと憎しみで蟠っていたものが、少し抜けたような気がする。

 メリッサは笑みを見せて、優しくアサムの頭を撫でるのであった。

 しかし、そんな和やかムードに邪魔が入ってきた。


「うおぉぉぉ! メリッサ隊長、もう大丈夫なんですか? もう動けるんですか?」

「なっ! メップ! 分かったから、離れろ!」


 メリッサの体に衝撃が走る。横からメップが抱きついてきたのだ。

 よほどメリッサを心配していたのだろう。しかし、その顔は涙と鼻水でテカっている。

 気持ちはありがたいが、近寄ってほしくない顔だ。


「メップ、お前いつから?」

「ずっといましたよ。もう心配で心配で」

「……ずっとだと?」

「はい。治療のために隊長がアサムの魔術で眠らされてから、今に至るまで」


 するとメリッサの顔が紅潮しだす。

 とんでもないところを見られてしまった。

 アサムに膝枕されて撫でられながら子供のように安眠しているところも。

 心を落ち着かせるために、アサムと額同士をくっつけていたところも。

 彼女は頭から湯気がでそうになる。


「いやあ、それにしてもあの隊長があんな寝顔で、さらにアサムにあんなことをしてしまうとは。寝ているときの顔、すごい綺麗でしたよ。しっかりと乙女であることが分かり、少し安心しました」


 圧倒的な強さを持ち、自分にも他人にも厳しい隊長。日頃から鋼鉄の女性と見られていたが、けして冷血ではない、メップはそれを知ることができたのだ。

 悪気は無いのだろうが、メップの発言がメリッサを茹でダコのように真っ赤にさせる。


「それ以上なにも言うなぁ!!」 

「へぐぅ!」


 メリッサの強烈ビンタがメップをふっ飛ばす。

 そしてメリッサは倒れたメップを無理矢理におこしあげた。


「このこと口外しようものなら、貴様の命はない。覚えておけ」

「……は、はいぃ」


 メリッサに脅され、メップは震えながら返事をした。





 時は夕方。既に周囲が紅く染め上がっていた。

 ニオンと戦ったのは昼頃だったため、だいぶ眠っていたようだ。

 メリッサは道場のすぐとなりにある石造りの建物の玄関を開けようとしていた。

 アサムから、この建物の中にニオンがいると聞いた。これは彼の工房らしい。

 メリッサは、ゆっくりと玄関の扉を開けた。

 そして工房の中に入り周囲を見渡す。

 金属や木材などの材料と思われる物が綺麗に並べられ、見たこともない工具類がある。

 彼女はそれがなんなのか知らないだろうが、溶接機やグライダーや電動丸ノコなど。

 そして奥の方で、大きな何かを見上げるニオンの姿があった。

 その大きなものは、まるで人の手のような形をしている。しかし黒い頑丈そうな金属で作られているようだ。


「何を作っているのだ?」

「星の外より飛来する脅威に備えての力、そう言っておきましょう」

「……ほしのそと?」


 メリッサの問いに応じるニオン。しかし、その話を聞いた彼女は首を傾げることしかできなかった。


「申し訳ない。体の方はもう大丈夫ですか?」


 ニオンは巨大な金属の手から彼女に視界を移す。


「ああ、アサムのおかげだ。完璧だ」


 完治したことを教えるように、メリッサは折れた方の腕の拳を数回握ったり開いたりする。


「私は、あなたに本気で当て身を打ち込みました。失礼が無いように」

「分かっている、それでいいのだ」


 彼等のような戦いの中で生きる者達は、手加減こそ最大の侮辱であるのだ。手を抜くことは、対象を馬鹿にしていることを意味する。

 二人はそれをしっかり理解している。

 だからこそ無礼がないように、ニオンは本気で彼女に攻撃を加えたのだ。

 すると、いきなりメリッサが頭を下げる。


「頼みがある。私を鍛えてほしい。強くしてくれ。そのためなら、お前への憎しみも恨みも捨てる。師のためにも私は強くなりたい。そもそも師は復讐など望んでいなかったかもしれない、ただ私に強くなってほしかっただけかもしれない」


 そんな彼女の話を聞いて、ニオンは意外なことを告げる。


「いえ、あなたの中にある憎しみも恨みも捨ててはいけない」

「え?」


 彼の言葉を聞いて頭を上げるメリッサ。


「あなたのもつ憎しみや恨みは、逆に考えれば師である剣聖アルフォンスへの強い敬愛です。だからこそ私を一生憎んでくれても構いません。それだけのことを私は、やってきたのですから」

「……しかし」

「受けた恨みを返せない人間は、受けた恩を返すことはできないでしょう。……私もそうでした。怒りと憎しみ、そう言った負の感情を糧に自分を鍛えあげていた」  

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