鬼熊の目覚め

 怪物の咆哮のごとき音が聞こえてきたのは、ロッパの家からだった。

 集落にいる一同が、音が聞こえた家に視線をむける。明かりが灯っていない暗い家に。

 これには野蛮なオーク達も驚いたのか、一斉に静かになった。


「い゛ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 みなが呆然としていると、いきなりロッパの家から悲鳴が響き渡る。

 すると、家の中を物色していたのか一人のオークがフラフラと玄関から姿を現した。


「う゛あ゛ぁ゛……腕がぁ、俺の腕がぁ」


 玄関から現れたオークは情けない声をあげるが、それもそのはずだった。

 ロッパの家から出てきたオークの右腕が付け根あたりからなくなっていたのだ。

 その腕の切断面は、ささくれていた。まるで、無理矢理にちぎりとったようだ。

 ちぎれた面から血が吹き出て、玄関の周囲を真っ赤に汚している。


「うあぁ、ボス助けてぇ! ……う゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!」


 腕を失ったオークがベクトスに助けを求めた瞬間だった。

 ロッパの家の中から包帯に巻かれた巨大な腕がいきなりのびてきて、玄関前に立っていた腕を欠損したオークの頭を鷲掴みにして家の中に引きずり込んだのだ。

 巨体のオークが何の抵抗もできずに、暗闇の中につれていかれるような光景だった。


「うあぁ! やめてくれえ! ……ぐがっ! ……う゛げぇがっ!! ……ふぅっ……ふあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」


――メキ、ビキッ、ゴリッ、ビチッ


 物凄い苦痛を伴っているような悲鳴のあとに、息が詰まったような声。

 それに合わせて、想像もしたくない生々しい音が聞こえた、肉が千切れ骨が砕かれるような。

 声と音が止んだ後、周囲は静寂に包まれた。

 オーク達の呼吸が荒くなり、冷や汗が流れる。

 いったい、家に何が潜んでいるのか。凄まじい緊張がはしる。

 そして静けさに耐えられなくなり、ベクトスは近くにいた部下のオークに指示をだした。


「おい、お前! あの家の中を見てこい。用心しろよ。危ないと思ったら引き返してこい」

「……へ、へいっ!」


 部下に下した命令は危険なことを任せる内容だが、けして無理はしないようにと言うあたり、冷静さを欠いてなければ、部下への思いやりもあった。

 ビクビクしながらもオークは、ベクトスの指示に従い手斧を構えながらロッパの家に歩を進める。

 そして玄関近くに来ると、凄まじい臭いが鼻を刺激した。血と大便が入り交じった臭い。

 はらわたが放つ、独特の臭気である。

 家の中は真っ暗で、中の様子は分からない。臭いだけで何も見えないためか、一気に恐怖が襲ってきた。

 オークはすっかり青ざめてしまう。自分の身を案じて引き返そうと思ったときだった。


「ぐあっ!!」


 暗い家の中から、いきなり巨大な何かの塊が飛び出してきたのだ。それを胴体に食らったオークは、吹き飛びゴロゴロと地を転がった。


「いでぇ、なんだこりゃ? ……ひぎゃあぁぁぁぁ!!」


 自分の体に着弾したものを確認したとたん、オークは甲高い悲鳴をあげた。

 彼だけでなく他のオークや、毛玉人達までも飛び出してきた塊を理解したとたんゾッとして恐怖に飲み込まれた。

 ロッパの家から飛び出してきた塊の正体は、オークの上半身だった。その死体には右腕がないため、さっき引きずり込まれた奴だろう。

 亡骸を見るからに、無理矢理に胴体を半分に引きちぎられたのが分かる。


「……ば、バカな。化け物か?」


 上半身だけの死骸を見た、ベクトスは息をのんだ。

 強靭な肉体を持つオーク族をこんな風に殺すなど、一体どれ程の膂力を持っているのか。

 その時、ロッパの家の裏から凄まじい破壊音が聞こえた。

 オークを引きちぎった怪物が家の壁を破壊して外に出てきたようだ。

 フゴーッ、フゴーッと獣の荒い息のような音が聞こえる。

 家の裏から迫ってくる足音から、かなりの重量を持った奴が歩いているのが理解できる。

 そいつが家の裏から姿を見せたとき、オーク達は一斉に叫んだ。


「お、鬼だ!」

「……一角の鬼」

「で、でかい!」


 その身の丈はオーク達を軽々越え、体に巻かれた包帯を今にも破りそうな程に隆起した筋肉、そして眉間には角のような針がそびえ立つ、まさに鬼としか呼べない何かだった。


「……オボロ」


 オネェオークに口を塞がれていたロッパは頭を振ってオークの手を払いのけると、そう呟いた。

 見た目は変わっていたが、それは紛れもなくオボロだった。

 しかし、もはや六歳の少年などと言える姿ではない。

 その鬼のごとき少年が巨大な口を開いた。


「……で、出ていけ。こ、ここはオレ達の家だぞ」


 声質も幼い男の子のものではなく、まるで巨人が話してるような野太い声だった。

 その姿にオークも毛玉人達も震え上がった。


「でてけぇ!」


 オボロは周囲のオーク達を睨み付けて威嚇する。


「……オ、オボロ、目を覚ましてくれたんだね」


 その場に不似合いな、愛くるしい声が聞こえてきた。


「ニ、ニコ。どこだ? 必ず助けてやる」


 オボロは声のした方へ視線を向けた、そこには裸にされてベクトスに押し倒されたニコが涙を溢している姿があった。

 無理矢理に犯されたような光景だった。

 それを見たオボロは目を血走らせ、とてつもない怒りを込み上げさせた。

 まるで血液が煮えたぎるような熱さだった。


「うおぉぉぉぉ!!」


 オボロは鼓膜を破壊しそうな咆哮を上げると、真っ赤になった目でオーク達を見渡した。

 そして、全身の包帯を破く程に筋肉が一気に膨脹させた。もはやオークが細身に見えるほどだった。


「……もう、いい。出ていけとは言わない。……全員ここで死ねぇ」


 オボロは、そう言うとロッパを押さえ込んでいたオネェオークに向かって大胆に足を進める。


「……こ、こっち来るんじゃないわよ! てめぇ!」


 オネェオークは慌ててロッパから手を離し、短剣をオボロに向けた。脅すように粗暴な口調になるが、体の震えは止まらず、剣を振ろうにも肉体が言うことを聞いてくれなかった。

 目の前に佇むのは、自分よりも巨大な鬼。

 すると、いきなりオボロはオネェオークの股間を巨大な手で鷲掴みにした。


「いだだだ! バ、バカ! 離しなさいよ! ちゃんとつい……ぐぎゃあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」


 オボロはオネェオークの陰部もろとも下腹部周辺の肉を握力と腕力に任せて、ちぎり取った。

 オネェオークの骨盤が丸見えになり、重力にしたがってドロリと腸が漏れ出てくる。

 下腹部を千切られたオネェオークが倒れると、オボロはその頭を踏み砕いた。眼球と脳髄が勢いよく飛び出し、地面に鮮血が滲んでいく。

 オボロの手には下腹部の広範囲の肉と膀胱が握られており、そこからボタボタと血と尿がまざった液体が流れ落ちる。

 

「うがあぁぁ!」


 オボロは唸り声を上げると、周囲のオーク達に襲いかかった。

 オーク達の断末魔が深夜の星空に響き渡る。

 脊椎ごと頭部を引き抜かれ、内臓を掴み出され、両足を左右に引っ張られて真っ二つに裂かれ、殴られて顔面を砕かれ、貫手で胴体に風穴を開けられ、まるで腐りきった果物のようにオークの頑強な肉体は砕かれ、潰され、破壊されていく。

 オーク達も必死に抗うが、オボロの肉厚の体には自分達の武器がまるで通らなかった。

 血飛沫が舞う戦慄の時間。集落の大人達は身を震わせながら、女子供達は耳と目を塞ぎながら、その時が終わるのを願うことしかできなかった。

 さっきまではオークが恐ろしかったが、今はオーク達を解体する鬼のごとき少年が恐怖の対象である。


「……うあぁ、なんなんだ、てめぇは! お前は人じゃない、化け物だ! 鬼だぁ!」


 最後の一人となったベクトスは震えながら棍棒を構えた。

 しかし棍棒は無理矢理にオボロに奪い取られ小枝のようにへし折られてしまった。

 もう、ベクトスは丸腰である。


「……はぁ、ひぃ! 近寄るな、化け物ぉ……」


 ベクトスは尻餅をつくと、地面を小便で濡らし始めた。

 そんなベクトスに、オボロは無言でじわじわ詰め寄る。

 そしてオボロは自分の眉間にそびえ立つ角のごとき針を掴み引き抜いた。

 眉間からドロドロと血が流れ落ちる。

 ここに鬼熊が産声を上げたのだ。

 オボロは抜き取った針をベクトスの左側頭部に力を込めて突き刺した。針の先端は頭を貫通して、右側頭部から飛び出た。

 そして、オボロは貫通した針の両端を握るとハンドルのように針を回してベクトスの頚椎を捻り折ったのだ。

 砕けるような鈍い音が響く。


「くたばれぇ、ブタァ……」


 首が二七〇度まで捻れたベクトスの死骸に向けて、オボロはそう吐き捨てた。





 オークを一人残らず惨殺した。

 ここでやっと、オボロは正気に戻ったのか、自分の手や胴体を見て、自分自身の異変に気づき出す。

 巨大な手、異常に膨れ上がった筋肉。


「なんだよ、これ? オレの体、どうなってんだ?」


 困惑したオボロは集落の人達を見つめた。全員が自分に怯えている様子だった。

 大人達が子供サイズにしか見えない。

 意識を無くしていた間に、自分の体が変わり果てたのが分かった。


「オ、オボロ! オボロォォォ!」


 みんなが恐怖するなか、恐れず自分に向かって駆け寄ってくる愛らしい姿があった。ニコだ。

 しかし、オボロは大きな声を上げた。


「来るなニコ! オレに近寄るな! 力が……体が言うことを聞かない……今来たら、お前まで!」


 今のオボロは自分自身の肉体を、しっかりとコントロールできる状態ではなかった。

 異常な成長とオークへの収まらぬ怒り。力の調整などできない。

 ちょっとした挙動で、周囲の人達に致命傷を与えかねないのだ。


「……何言ってるんだよ? オボロ、君は……」


 ニコはオボロの叫びに驚くと、立ち止まり悲しげな表情をする。

 姿は変わってもオボロだ、ニコはしっかりそれを理解している。


「……ニコ。オレは、もう戻れない。オレは、化け物だ! 鬼なんだぁ!」


 オークの死体を見て、自分の異常性を理解するオボロ。オークのボスは死に際に自分を鬼とよんでいた。恐らく、そのとおりだろう。

 今までどおり集落で生活すれば、間違いなく膂力を抑えられずみんなに危険が及ぶ。


「オボロ、なに言って……」

「ニコ! 近づいてはダメだ!」


 それでもなお近づこうとしたニコをロッパは手をつかんで制止させた。

 そしてロッパは悲しみと恐怖を持った瞳でオボロを見つめる。


「すまないオボロ。……助けてもらったのに。だがもう、お前と一緒に暮らせない。長として言いつける、ここを出ていきなさい」


 その言葉が、オボロの心に深く突き刺さる。

 怪物であることなど自分自身がよく分かっている。だが人に言われると辛い。

 怪物に成り果てたオボロが、とる行動は一つしかなかった。

 もう普通の生活には戻れない。

 化け物は去るしかないのだ。普通の人と暮らせば、間違いなく彼等に危害がおよぶ。

 オボロはゆっくりと後を向くと重い足取りで歩き始めた。集落から徐々に遠ざかっていく。

 後ろから、ニコの声が聞こえた。


「どこに行くのオボロ! 行かないで! オボロォォォ!!」


 オボロを引き留めようとする声が夜空に響き続けた。

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