生死の境

 倒れたオボロは、集落の長であるロッパの家の一室に運び込まれた。

 街から医師をつれてきて、今は診察中である。

 運び込まれた時のオボロは息こそしていたが、意識は完全になかった。つまり死んではいないのだ。

 一室の前には、ロッパ、ニコ、ロッパの妻だけでなく、集落の大人達も集結していた。

 脚を負傷していたニコも医者から治療魔術を受けて、今は普通に歩行が可能である。

 しばらくしたころ、医師が一室からゆっくりと出てきた。だが、その表情は暗い。


「先生! オボロはどうなんですか?」


 ロッパの問いに医師は、やや俯きながら話し出した。


「手のほどこしようがありません。魔物の針が脳の深部まで入り込んでいます。下手に抜けば、さらに脳組織を傷つけてしまいます……」


 針を抜くことができないと語る医師に、ロッパはおそるおそる尋ねた。


「助かるんですよねぇ?」

「はっきり言って……今生きていること事態が不思議なくらいです」


 医師の言葉を聞いたロッパは視線を床にむけ、もどかしそうに拳をギュッと握りこんだ。

 すると、ニコは両膝をついて涙をこぼしだした。自分が全て悪いのだと思い。


「うぅ。……ぼ、僕のせいだ。……僕が森に行ったりしなければ……」


 他の大人達の表情も曇り出す。集落で一番の頑張り者のオボロが、なぜこんなことに。

 集落の人々も、幾度かオボロに助けてもらったことがある。

 重い物の運び出しや、子供達の面倒など、彼はこの集落の輝きだった。

 その場にいた全員が俯いた時だった、一室から絶叫が響き渡ったのだ。


「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!!」

「何事だ!」


 地獄にでも落とされたような声に、慌てながら医師は部屋の扉を開けた。

 部屋の真ん中に寝かされていた包帯だらけのオボロが体を弓なりに折り曲げて苦しんでいたのだ。

 まるで何かに取り付かれているようだった。

 なにかの発作のようだが……。


「誰か、手を貸してください! もの凄い力だ!」


 医師がオボロの体を押さえつけながら叫んだ。

 その指事に従いロッパや大人達も部屋に飛び込みオボロの四肢を押さえつけた。

 ……医師の言うとおり、とてつもない腕力だ。

 集落の人々は、オボロが力持ちだと言うことは理解している。しかし、本当の力を見た者はいない。


「うわぁ!!」


 オボロの右腕を押さえていた、巨漢のヒグマの青年が部屋の壁に叩き付けられた。

 オボロに振り払われただけで、青年は吹っ飛ばされたのだ。明らかに子供の筋力じゃなかった。

 オボロの本当の剛力を知ることとなった。


「くそっ! 日頃は力を抑えていたのか!」


 ヒグマの青年は立ち上がると、今度はガッチリとオボロの右腕にしがみついた。

 ロッパや他の男達も、振り払われないように全力で押さえ込む。少しでも力を緩めると、大人の体でも床から浮き上がりそうだった。

 そして、一分程で発作は収まった。

 しかし押さえ込んでいた大人達は皆息を荒げていた。まるで十分位、しがみついていたような疲れだった。

 ニコは恐怖しながら、その一部始終を目撃していた。日頃から、常に見ていた自分よりも年下の子供が、これほどの腕力を持っていたとは思いもしなかったのだろう。


「うあぁ……。オボロ、死なないで」


 ニコはまた涙を流し、両手を自分の胸にあてた。今は祈るしかできなかった。





 その日から、戦いの連続だった。オボロは時おり痙攣発作を引き起こした。原因は不明である。

 その絶叫たるや、集落に響き渡たるものだった。

 オボロの声が響く度に、集落の大人達はロッパの家に駆け込み、発作が収まるまでオボロを押さえ込む。

 縄での拘束も試してみたが、あろうことか容易く引きちぎられてしまった。

 そのため、彼の体を押さえ込むこと方も命がけだった。

 いつ発作が起きるのか分からないので、大人達は交替でオボロの看病に当たっていた。

 そして、この日の夜も。


「う゛あ゛あ゛ああぁぁぁ!!」

「オボロ、しっかりするんだ!」

「気を付けろ! 全力で押さえつけるんだ!」


 発作を起こすオボロを大人達は押さえつけにやって来る。

 ニコは、その状況を毎日耳で聞いていた。

 そして一人自室で両手を合わせて拝んでいた。そうすることしか、できないのだ。

 今のオボロに近づくのは大変危険なため、父ロッパから絶対にオボロの部屋に入ってはいけないと言いつけられていたのだ。


「誰でも良いから、オボロを助けてよぉ」  

 

 しかし少年は気づいていなかった。

 オボロの声質が徐々に変貌していることに。





 その日のオボロには発作が現れなかったのだが、また別の症状が現れていた。

 部屋の床が赤黒く汚れている。

 その原因は大量の吐血だった。

 オボロは、ごぼごぼと血を吐き散らかしていたのだ。その中には、粘土のような赤黒い塊も含まれていた。


「しっかりするんだ、オボロ!」


 ロッパは桶を持ってくると、そこに血を吐き出させた。

 血と一緒に、ぼたぼたと赤黒い塊が桶の中に落ちていく。

 しかし桶はたちまち満杯になり、血と塊が溢れだし床にビシャビシャとこぼれ落ちる。


「……くそ、待ってろ」


 ロッパは桶の中の血と塊を外に捨て、また空になった桶を持ってくる。

 それを三回程繰り返すと、吐血が止まりオボロはまた動かなくなった。

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