剣山嵐

 その魔物は、厄介な存在の一つに数えられている。

 ……剣山嵐けんざんあらし

 その身は鋭い体毛に覆われた、針の要塞と言える容姿である。

 しかし、もっとも恐るべきは、その体毛を矢のように撃ち出してくること。その威力は、並の防具を容易く貫く。

 ……鋭いとは言え、なぜ体毛で防具を貫くことができるのか? その理由は、最近になって分かった。

 だがしかし、その魔物と遭遇してしまった毛玉人の少年はそんなことは知らないだろう。




 どうして、こうなったのか。

 自分はできるとでも思ったのか? いや、思ったのだからこんなところにきたのだ。

 子供が魔物を倒せると? とある国でのみ生まれる勇者や英雄達ならできるだろう。

 だが、自分はなんだ? ただの集落に住む子供だ。

 オボロに強くなっていると言われて、魔物を倒せるようになったとでも思ったのだろうか……自惚れるなよ。

 ニコの頭の中に、記憶がよみがえってくる。これは、走馬灯なのか?

 周囲にたちこめている悪臭は、食われているグドレオンの内臓から放たれている。

 そのグドレオンの内臓を貪る巨大な針ネズミのごとき魔物、剣山嵐。

 一部の魔物を恐怖させ、街の冒険者三人を殺した元凶である。

 腕の立つ冒険者が複数がかりでも仕留めるのは困難な強大な魔物。

 初めて魔物を見たニコは、恐怖し動けなくなった。

 腰にナイフを下げているが、そんなものが役に立つはずがない。

 魔物は、まだこちらに気づいていない様子。

 助かりたくば、もはや逃げるしかないだろう。

 ニコは、なんとか勇気を振り絞り、息を殺しながら一歩後退した。

 しかし。


――ペキリ


 小枝を踏み折ってしまった。

 その音に気づいたのか剣山嵐は貪るのを止め、伏せていた頭をムクリと起き上がらせると、自分の後方に佇むニコをギョロリと睨み付けた。


「ジシャアァァァ」


 魔物は鳴き声を上げると、胴体もニコの方へとむけた。

 先程までグドレオンを貪っていたため、剣山嵐の口回りは血でベットリと汚れている。

 一歩一歩踏みしめながら、ニコに近づいてきた。


「……う、うあぁ……嫌だ……来ないで」


 涙をこぼしながら、低い声をもらすしかできない。

 しかしニコはここで、あることに気がついた。剣山嵐の歩行速度があまり速くないことに。

 遅い。これなら逃げ切れるかもしれない。一瞬ニコは、そう思った。

 だがその時、プシュッと空気が抜けるような音が聞こえた。

 その瞬間ニコは右脚に凄まじい激痛を感じて、その場に倒れこんだ。


「……うぐぅ……い、痛い!」


 倒れたニコは右脚を押さえて、自分の大腿部に目をやる。そこには、細長い針が突き刺さっていた。

 それは剣山嵐が放った体毛の一本だった。

 針の先端が脚の反対側にまで飛び出しており、完全に貫通している。

 押さえていた手が自分の血で汚れていく。痛みと恐怖が合わさり、叫び声もでない。

 それに、ニコの脚に刺さっている針はただの硬い体毛ではないようだ。先端部が鈍色にびいろに染まっていた。

 剣山嵐の針は、ただの生物的な体毛ではないのだ。

 この魔物は血液中の鉄分を針毛の先端に分泌し瞬時に凝結させることができるのだ。

 その金属に覆われた針を武器とする、そのため並の防具など容易く貫いてしまうのだ。

 さながら無数のクロスボウを装備し、針だらけの鎧をまとった難攻不落の要塞である。

 また、ニコの脚を狙ったのは確実に相手の動きを奪うためである。

 狙いにくい脳や心臓を攻撃目標とせず、手足を損傷させて逃げられないようにして、獲物にありつく。

 剣山嵐は高い知能も持っていた。


「……ぐっ……うぐぅ」


 呻きながらニコは立ち上がろうとするが、痛みと大腿部の筋肉の損傷で、どうしても立つことができず転げ回った。

 そして尻餅をついたとき、先ほどまで貪られ腹中を空っぽ寸前にされたグドレオンの死骸が目に入った。

 彼の中に、一気に死の恐怖が襲いかかってくる。

 分かってしまったのだ。

 自分も腹を破られ、生きたまま内臓を食い散らかされると。


「……い、嫌だあぁぁぁ!! 死にたくない! た、助けてぇ! 母ぁぁさぁぁん! 父ぉぉさぁぁん! ……うぅ、オボロぉ……」


 脚の痛みと死の恐怖に、ニコは泣き叫んだ。父を母を、そして小さくオボロのことも。

 だが誰も返事はしない。

 奇跡など、そうそう起きるものではない。


「ジシャアァァァ!」


 剣山嵐はまた鳴き声をあげると、数本の針を逆立てた。その先端部が鈍色に染まっていく。


「……う、うぁ。……こんなの……やだぁ」


 ニコは自分の最後の時が、来ようとしていることを感じる。思わず彼は目をつむった。


――プシュッ、パスゥッ、プシュッ


 針が放たれた音が聞こえた、だがニコの体に痛みはない。

 痛みが無いことに驚きつつ、ニコはゆっくりと目を開けた。

 目の前には剣山嵐に背を向けた大柄な熊の少年が立っていた。


「……オ、オボロ」

「ニ、ニコ。……この大バカ野郎。お前が、みんなを守るんだろ、こんなとこで死ぬ気かよ」


 間一髪、ニコが針で貫かれる寸前だった。オボロは間に合ったのだ。

 しかし、オボロの背中には複数の針が突き刺さり、足下に血が垂れていた。


「……オ、オボロ。君、血が……」

「大丈夫だ。オレは頑丈だからな」


 ニコは血濡れのオボロを見てオドオドしたが、オボロは心配無用とばかりにニコの頭を撫でた。

 そしてオボロはニコの今の状態を見た。脚をやられている、とてもじゃないが飛び道具を持つ相手では逃げきれない。

 そして、オボロは決意した。


「あいつは、ここで倒すしかない」


 オボロは剣山嵐に視線を向け、背中に刺さる針を抜き取り投げ捨てた。

 相手は腕利きの冒険者でも、手を焼く大物である。勝算などあるかどうか、しかし勝たねば二人は死ぬ。

 オボロは回り込むように動き、剣山嵐の様子を伺った。

 問題は、どうやって近づくか。相手は飛び道具を持っているため、不用意には近づけない。

 オボロが戦術を考えていると、空気が抜けるような音が複数回なった。


「あぶねぇっ!」


 オボロは横に飛び込んだ、ギリギリに射出された針を回避することができた。

 さっきまで立っていた地面には何本もの針が刺さっていた。

 そして、その攻撃でオボロは針攻撃に弱点があることに気がついた。

 一度針を射出すると、次の発射に時間を要することだ。

 針の先端部のメタルコーティング、射出用空気の充填、最後に狙いをつける、と言う流れだ。

 それに針先端に金属を分泌するため、月光で金属部分の光沢が見える。ならば針射出の予兆が分かる。


「んなら、今がチャンスだ!」


 体表の針に光沢が無い。針の射出準備が全くできていない証拠である。

 オボロは剣山嵐の背後に回り込み、駆け出した。

 相手の動きは鈍いため、オボロの機動力なら回り込むのは簡単だった。


「あいつの体は針に覆われている、攻めるなら頭しかない。だけど真っ正面から突っ込めば食いつかれる、なら背後からだ。背中を飛び越えて後頭部から掴みかかるしかない!」


 しかし魔物まで残り三メートルというところまで近づいたオボロは、宙をまった。

 地面に叩き付けられ、血を吐いた。


「がはっ!」


 いったい何が起きたのか? オボロは顔を上げ剣山嵐の背中を見つめる。

 太いミミズの様なものが、鞭のように動き回っていた。

 魔物の尻尾である。

 剣山嵐の尻尾は周囲の空気の流れに敏感で、何かが近づくと反射的に殴打してしまうのだ。


「……ちくしょう!」


 オボロは何とか立ち上がる。彼でなかったら、尻尾の一撃で倒されていただろう。

 剣山嵐は目をギョロギョロと動かしながら、オボロの方に向きなおった。

 胴体の体毛に目をやると、すでに二本程の針がコーティング済みであった。


「やばい! なんか投げる物を……」


 石でも枝でも良い、何かないかとオボロは足下を見渡す。

 そして、それはあった。回避したときに地面に刺さった、剣山嵐の針である。


「くらえぇぇ!」


 オボロは地に刺さった針を抜き、叫びながらそれを力に任せて投げつけた。


「ギシャアァァァ!!」


 魔物は空気を揺らす程の絶叫をあげた。投げた針が右目を貫いていた。


「へっ! どうだ! 自慢の針は? 自分で食らうのは初めてだろ!」


 痛みで暴れまわる剣山嵐を見て、オボロは嘲笑った。

 だが、目をやられたことに激怒したのか、剣山嵐が尻尾を高く持ち上げた。

 その尻尾の先端には、体表の針以上に長い針があった。

 剣山嵐の最大の一撃で、凄まじい初速を誇る針だ。

 オボロは少しよろめきながら右目の死角に回った。尻尾の一撃のダメージが残ってる。

 おそらく、次の一撃で勝負が決まる。


「へっ! これが最後だあぁぁ!!」


 オボロが駆け出すと同時に、剣山嵐の尻尾から破裂音が発せられた。

 ニコは、その決着の瞬間に目を閉じた。


――メキッ、ゴリッ、ズズン


 何かが砕けるような音が響き、巨大なものが倒れたように地面が震動した。

 そして、荒い息をもらしながら、ニコの下に誰かやってくる。


「ハァ……ハァ……ニコ。帰ろうぜ」


 オボロがそう声をかけた時、ニコの目から涙が溢れでてきた。

 ニコは、ゆっくりと目を開いた。涙と暗闇でオボロの顔がよく見えない。

 そして、大声で泣き出した。


「うあぁぁぁ! ご、ゴメンよ、オボロぉ!」 

「脚をケガしてたんだな。ほら、おぶってやるからよ」


 オボロは赤ん坊のように泣くニコを背に乗せ歩き出した。

 彼の足元は少しフラフラしていたが、確実に集落の方を目指している。


「……オボロ、ごめんよ……僕はただ君のようになりたかった、だけなんだ」

「……だからって、無理しちゃダメだろ。もう、こんなことするんじゃねぇぞ」

「本当に、ごめん……オボロ……大好きだ」


 ニコは、オボロの背中に顔を擦り付けた。血が滲んでいたが、大きく、温かい背中だった。





 集落が見えてきた。大人達がオロオロしている様子が伺えた。

 そこには、ニコの父で集落の長であるロッパの姿もあった。


「父ぉぉさぁぁん!!」

「ニコォォォ!!」


 ニコは力の限り叫んだ。

 すると父と他の大人達が、こちらに向かって駆けてきた。


「オボロ。僕達、帰ってきたんだね」


 ニコは嬉し泣きするが、オボロから返答がない。疲れているのだろうか? さっきから、ずっと頭が前に垂れている。


「オボロ、下ろして。何とか歩いてみるよ」


 ニコがそう言うと、オボロは無言でしゃがみニコを地面に下ろす。

 まだ脚に針が刺さったままである。うかつに抜くと大量出血を招くからである。

 ニコは、足を引きずりながらも、こちらに向かってくる父に歩み寄った。


「この大バカ者! みなに心配をかけよって! でも本当に良かった!」

「ごめんなさい! 父さん!」


 ロッパはニコを抱き締めた。そして二人は大粒の涙をこぼした。


「無事だったんだな! 二人とも!」

「良かったわ」

「心配かけやがって!」


 他の大人達も二人の無事に安堵して、声をあげた。

 一人も犠牲者が出ずによかった、とでも思ったのだろう。


「ありがとう、オボロ。お前のおかげだ。なんと礼をすればよいのか」


 ロッパは顔をあげて、オボロに礼をのべた。最大の功労者に。

 しかし、オボロの様子がおかしい。

 返答もなく、深く俯いている。顔がよく見えないのだ。


「……オボロ、どうしたの?」


 兎の毛玉人女性が、オボロに近づくと、オボロはゆっくりと頭をあげた。


「きゃあぁぁぁぁぁ!! オボロォォォ!!」


 オボロの顔を見た瞬間、女性は絶叫をあげた。

 オボロの眉間に、剣山嵐が最後に放った長い針が、そびえ立っていたのだ。

 おそらくそれは、脳の中心部までたっしているだろう。それ程に深々と刺さっていた。


「がはっ!」


 オボロは大量の血を吐き出すと、大の字に倒れた。

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