オボロとニコ

 それは、その日も行われた。

 オボロとニコの決闘。

 しかし決闘と言っても、けして殴り合いではない。徒手で組み合って、相手を投げて背中を地面につかせるような競い合いである。言うなれば、ある種の競技のようなもの。

 時間どおりオボロとニコは広場で向かい合っていた。

 その体格差は歴然である。

 オボロは身長一六〇センチで体重が一〇〇キロ近いうえに、ほとんどが筋肉である。

 一方、ニコは年こそオボロよりも三つ上だが身長が約一三〇センチ程で、体重は三〇キロ弱。

 この戦いを見るギャラリーも集まっていた。

 ほとんどが子供達であるが、一部大人の女性達もいる。

 オボロが上着を脱ぎ捨てると、大人の女性達から声があがった。


「ヒューッ! 見てよ、あの筋肉……まるで鋼鉄ハガネみたい!!」


 オボロに合わせて、ニコも上着を脱ぎ捨てる。しかし筋肉と言う筋肉はなく、華奢な体つきだった。


「良い毛並みねぇ、後ろから抱きつきたいわね。さすが長の息子よね」

「綺麗な身体だわ、無垢な少女のように……」

「ひっ!」


 自分の体を見た女性達の反応に、ニコはゾクリと体を震わせた。彼女達の目が獲物を狙うように、怪しく輝いていたのだ。

 そして試合開始のようにオボロは叫んだ。


「来い! ニコォォォ!!」

「うわぁぁぁ!」


 オボロは凄まじい威圧感を放つが、怖じけずニコはオボロに向かって突っ込んだ。

 しかし、その突進は簡単に受け止め、オボロは太い腕を股の下を通りニコの体を軽々抱え上げた。そして背中から地に落とした。ボディスラムである。


「ぐう! ……まだまだ!」


 叩きつけられた衝撃で呻いたが、ニコはすぐに立ち上がり、オボロに掴みかかろうとした。

 オボロは伸びてきたニコの腕を掴むと、一本背負いで放り投げた。





 あれから、幾度も投げられた。

 ニコは大の字に倒れ、喉をならしていた。今日もまた完敗だった。


「ヒグッ! ……情けないよう。僕は……弱い……」


 オボロは、顔を押さえて泣くニコに近寄り、見下ろした。


「お前、少し考えすぎなんじゃないのか? いくら集落の長の息子だからって、そこまで完璧になることはねぇだろ。まあ、それだけここの人達を思ってるんだろうが。それに前より、お前は強くなってるぞニコ。お前は情けなくない。長の息子に相応しいように、色々と努力している。みんな、それを理解している、お前の頑張りようをな」


 自分は長の息子という立場から、集落の中でも全てにおいて優れていないとならない。そう考えているのだろう。

 それ相応の地位を持つ以上、あらゆる分野に精通していないとならない。考えかたは間違えてないが、ニコは少し真面目すぎるのだろう。オボロは、そう思っていた。

 しかし、ニコは頭を横にふった。


「……ちがう、そんなんじゃない。僕は……君みたいに、強くなりたいだけなんだ」


 ただただ、純粋な言葉だった。


「ここの、みんなを守れるようになりたいだけなんだ……僕はまだ完全に負けたわけじゃない……僕は必ず君を越えてみせる……必ず、それを証明してみせる」


 ニコは立ち上がると、広場から立ち去った。

 そしてニコは夕方ごろ、突如いなくなった。





 深夜になっても、集落の大人達はニコの捜索を続けていた。

 彼がどこに行ってしまったのか分からなかった。

 オボロは昼間に、ニコと決闘した広場で佇み彼が帰ってくるのを待っていた。

 月が雲に隠れ、真っ黒な夜空を見上げ呟く。


「あいつ、どこいったんだよ」


 オボロは、ニコが帰ってこないことに心配でしょうがなかった。

 けしてオボロはニコが、弱い、情けない、などとは思ってない。むしろ、勇気があり、努力家で、真面目で優しい奴と思っている。

 ふと後ろから、誰かが近寄ってくるのを感じてオボロは振り返った。

 そこには猫の女の子が立っていた。そして彼女は、いきなり語りだした。


「聞いてオボロ。実は夕方ごろ、ニコちゃんが森に向かうところを見たの」

「どうして、黙ってたんだよ!!」

「痛い! 落ち着いて!」

「あっ! ……ごめん」


 オボロは彼女の両肩を掴み揺さぶった、なぜそんな大事なことを教えてくれなかったのかと。

 女の子はオボロの腕力で顔を歪めながら、彼を落ち着かせる。

 オボロも頭を冷やし、いきなり掴みかかったことを謝罪した。

 そして、猫の少女は全ての経緯を語った。

 彼女の話によると、最初は森に向かうニコを制止したそうだが、彼の必死な様子に負けてしまったようだ。

 そしてニコから、絶対に自分が森に行ったことを誰にも言わないようにと言われたのだそうだ。

 彼女はニコの約束を守ろうとしたが、帰ってこないニコが心配になり、ついにその事をオボロに打ち明けた。

 オボロの頭の中に嫌な予感がよぎる。

 ニコと決闘をした後、彼は「君を越えてみせる」と言っていた。

 そして森に向かったと言うことは、日頃から自分が仕留めている魔物よりも強力な魔物を狩って、自分を越えたという証を得ようとしているのではないかと。

 さらに、恐ろしいことがある。今の森が、一部の魔物が身を隠すほどに危険な状態であること。

 オボロの背中に、凍えるような悪寒が走った。

 そしてオボロは何かを決意したような目付きをして、猫の女の子に語った。


「この事を大人達に知らせてくれ、オレは森に行ってくる」


 今集落には子供しかいない、しかしすぐにニコを助けに向かえるのはオボロだけだった。

 ニコが森にいることを大人達に伝えても、森の捜索を始めるまでに時間がかかりすぎる。

 

「でも! ……分かった、オボロ」


 女の子はオボロが一人で救助に向かうことを止めようとしたかが、彼の様子を見て頭を横にふることができず森に向かって駆け出すオボロを見送った。





 深夜の森とはこれ程に恐ろしいものなのか。

 月が雲に隠れ、明かりがないため、ごく近くしか見えない。

 ニコは泣きそうになりながらも、森の中を歩く。

 いや、歩き続けるしかなかった。帰り道など、もう分からない。完全に迷ってしまった。


「……だ、誰かぁ……」


 とんでもなくバカなことをしてしまった。オボロのように森に詳しくもないのに、夜の森に入り込み魔物を狩ろうなどと。

 しかし、もう遅い。後の祭りである。

 ニコはけして、長の子供だから、その立場とプライドのためにオボロをライバル視していたわけではない。

 むしろ、誰からも頼られ、強いオボロを尊敬し目標としていた。自分もオボロのようになりたいと。

 そして集落のみんなが大好きだから。オボロと同じように、みんなを守れる男になりたいと、そう思っていた。

 しかし、今は誰もいない深夜の森にたった一人。

 だが、いくら夜の森だからと言っても静かすぎた。虫も鳴いていない。

 聞こえるのは自分の息づかいと、小枝を踏み折る音のみ。

 まるで、この森には自分しかいないのでは、と思える程の静寂だった。

 それゆえに不気味すぎたのだ。


「……なんで、何もいないの?」


 あまりの静けさに、ニコはゾクリと震えた。

 その時だった。かすかではあるが、何かの音が聞こえた。


――グヂュ、ミリ、プヂュ


 何か軟らかい物を磨り潰してるような音だった。

 

「……何の音?」


 ニコは耳を澄まし、音のする方へと足を進めた。

 もしかしたら、誰か助けに来たのではと思った。

 歩いた分だけ、磨り潰してるような音は鮮明になってくる。

 すると、暗くて遠くまでは見えないが、どうやら周囲に樹木がない開けた場所にでたようだ。


――ニチャ、ピチャ


 音がしっかり聞こえる。いや、音を発してるものはすぐそこにいる!

 そして、吐き気を催しそうな悪臭がたちこめている。まるで血液と排泄物をかき混ぜたような。

 思わず鼻を覆い隠す。

 その時、月が雲から顔をだした。周囲が照らされる。

 それは七メートル程先にいた。

 身体中が鋭い針で覆われ、体長五メートル以上はあろう四足獣のような生き物。

 そいつがサメのような牙で、グドレオンの内臓を貪り喰っていたのだ。

 その光景を見たニコは、恐怖に体を支配され、動けなくなった。

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