4-8

 立花先生が初めて夏葉に会ったのは、今から五年以上前。二月頃の話だと言う。

「来年度から新しくこの島に一人でやって来たいという女の子がいる」「その女の子には、少しだけ問題がある」「学校としても、しっかりとサポートはするつもりはある」「その転校してくる女の子の担任になってもらう立花先生には、事前にその女の子とご両親に会って話をして来てほしい」

 当時の校長だとか、そういう人達からそんな話を聞き、立花先生は、まずその転校してくる女の子、戸部夏葉の両親に会いに行ったのだと言う。

夏葉の両親に会いに行く前は、まだその女の子が抱えている問題だとか、そういったことは何も知らなかったという。夏葉の両親に会って、そこで初めて夏葉の命が残りわずかであるという話を立花先生は聞いたのだそうだ。

「先生方には、ご負担をかけることになる」「ご迷惑をかけることになる」「でも、それでも、どうかよろしくお願いします。娘の、最後のささやかな願いを叶えて欲しい」

 夏葉の両親にそう言われた立花先生は、自分たち教員の負担よりも先に、何より目の前にいるご両親が、余命僅かの娘を一人遠くの島へ送り出すことに不安はないのかと、そちらの方が気になって、実際に思わず夏葉の両親に尋ねたのだそうだ。

 すると、夏葉の両親はこう言った。「不安がない、と言ったら嘘になります。本当は娘には傍にいてほしい。でも、仕方ありません。傍にいてほしいと思うのは、親の身勝手です。娘がやりたいと思っていることをやらせる。私達は、そう決めました」

 親、というのがどういうものか僕は知らない。ただ、その言葉は紛れも無く昨日会った夏葉の両親の言葉だなと、僕はその話を聞いて思った。 

夏葉の両親の考えを知り、夏葉という女の子の境遇も知った。でも、それだけではまだ足りなくて、次に立花先生は夏葉本人に会いに行った。

季節は冬の終わり。その頃、夏葉はまだ病室のベッドの上にいた。

「こんにちは」

初めて夏葉を見た立花先生は、「どこにでもいる普通の女の子」という感想を抱いた。少し活発で、クラスにいたら誰にでも好かれそうな、そんな子だと立花先生は病室に入った直後、夏葉を見て感じたという。それを素直に夏葉に伝えたら、夏葉は「へへへ」なんて照れながら笑った後、「そう言ってもらえると、とても嬉しいです」なんて、そんな事を言ったらしい。

それから立花先生は夏葉と話をした。「好きなことは何か?」その問いかけに、夏葉は「読書」と答え、立花先生は「私、国語の先生なの。私も本が好きよ」と、しばらく小説の話をした後、逆に苦手な教科だとか、好きな食べ物だとか、好きな芸能人、学校に行ったら何をしたいのかだとか、そう言う話をした。立花先生は、そういった他愛ない話のなかで、夏葉という女の子がどういう子なのか知ろうとしたのだ。

結論として、夏葉はやはり、一見してどこにでもいる普通の女の子に立花先生の目には見えた。とても、もうじき命が尽きてしまう女の子には見えなかった。

「本当は、その時まだ夏葉さんがあの島のあの学校に転校してくるのを学校側が受け入れたわけでは無かったの。私が実際に夏葉さんや、夏葉さんの両親と会って、それから校長先生が会って、問題がなさそうであったら転校を受け入れるという話だったの」

 そのことを夏葉の両親は知っていて、夏葉自身も知っていたのだと言う。現に、夏葉はその日、「私、まだ学校に行って良いって決まった訳ではないんですよね?」と、立花先生に尋ねたのだそうだ。

 それに対し、立花先生は「きっと大丈夫。私は、今日夏葉さんと話をして、あなたは学校に問題なく通うことが出来るって、そう思ったから。だから、大丈夫よ」と返事をし、その日は終わった。

 最後、立花先生が病室を去る時、夏葉から「先生。私、どうしても学校に行きたいんです。それも、あの島の、あの学校に。だから、どうかお願いします」と言われたそうだ。その時の夏葉の表情は、これまでの明るく人に好かれそうなものから一変し、緊張感のある、糸の張った顔だったそうだ。立花先生はこの時、夏葉が本気であの島のあの学校で、最後の日々を過ごしたがっているのだと感じ、それから島に戻った立花先生は、校長や副校長などに話をし、その後、校長と共に夏葉の両親と夏葉に会いに行き、夏葉の熱意と、立花先生の訴えもあり、無事に夏葉は最後の時間をあの島の、あの学校で過ごすことが決まったのだと言う。

「私は夏葉さんに願いを叶えてもらいたかった。でも反面、私は甘く見ていました。夏葉さんが一体どういう境遇なのか、夏葉さんはどれほどの覚悟を持って願いを叶えようとしていたのか、私は結局、あの日までは知っていたつもりでしかなかった」

 立花先生が病室にいる夏葉に会いに行った回数は三回。一回目は初めて夏葉に出会った時。二回目は、校長を連れてやって来た時。そして最後は、夏葉に転校が決まった事を伝えに行った時。

「その三回目の時に、夏葉さんはこう言いました。『お母さんにも、お父さんにも、妹の夏花にも言っていない、どうしてもあの島に行きたい理由があります。できればその理由を聞かずに、先生には一つだけ、質問に答えて欲しいんです』どうして夏葉さんがそんな事を聞くのか、どうしてその名前を知っているのか、その時私には分かりませんでした。」

夏葉はこう言ったのだ。「遠坂遙生君という私と同い年の子はいますか?」と。

何故、その時、そのタイミングで僕の名前が出てくるのだろう。全く以て僕には分からない。夏葉と会ったのは、確かにあの時、中学生になる数週間前の三月の頃であったはずだ。それは絶対のはずで、だって僕は、小学生になった時からずっと、あの島でひっそりと影を潜めるように時間を過ごしてきたのだから。

「どうして僕の名前が出てくるのか、そういう顔をしていますね。大丈夫です。実はと言うと、私はその理由を話したかった。これは、遠坂さんのためにもなるはずです。この話はもう少しで終わります。ですからあと少しだけ、私の話を聞いていてください」

 夏葉が立花先生に尋ねたその質問の意図を知るのは、それから二週間後のことになる。それは、立花先生が夏葉の境遇と覚悟を本当の意味で知った日であった。

 あの島のあの学校に転校することが決まった夏葉は、長い病院生活から普通の生活に戻るリハビリという意味と、少しでも早く島の生活に慣れるために、入学式の一か月前、三月の初めに立花先生と共に島にやって来たという。

 夏葉が初めて島に立った時、「ここが……」と小さく呟いて、ただただ黙って島の様子に隈なく目を向けていたらしい。島唯一の乗船場から見える水平線と、島の中央にある山。そこから視線を上げれば、遠くに入道雲。目を瞑れば、僕だってすぐに思い浮かべることが出来る。もう十年以上も過ごした島で、夏が来るたびに見て来た光景だ。

「てっきり、私は島に着いた途端、夏葉さんは子供みたいにはしゃぐものだと思っていました。でも、私の予想は外れて、ただただ夏葉さんは、ずっと遠くを見据えているような目つきで、静かに島の景色を見ていました。私が「行きましょうか」と声をかけると、夏葉さんは「ごめんなさい。すっごく綺麗で、見惚れてました」と、その時浮かべた笑みには、微かな不安の色が見えたように私には思えました」

 そんな夏葉の様子も、僕は良く知っている。遠くを見据える目つきも、それから誤魔化す様に笑う様子も、僕は何度も見て来た。

「夏葉さんは、私が住んでいるアパートの隣部屋で独り暮らしをすることになっていたので、まずはそのアパートに向かいました」

 その一言で、長年解消されずに残っていた疑問が一つ解消される。僕はずっと、夏葉が島のどこで暮らしていたのか知らないままであった。そうか、夏葉はずっと、立花先生の住むアパートの隣に住んでいたのかと、こんな形でその疑問が解消されたのだった。

「それから一通り島を案内した後、学校の様子も見て回りました。そして、その帰り道に、ある出来事が起こりました」

 夕暮れで、辺りが真っ赤に染まる頃、立花先生はアパートを目指し、前を行く夏葉の後ろ姿を見ながら、本当に、この子の命が残りあとわずかだなんて信じられないなと、そんな事を考えていたという。見た目は普通の女の子。軽い足取りで前を行き、ご飯だって美味しそうに食べるし、常に明るい笑顔を浮かべている。夏葉の体には、命を奪うほどの大病が巣食っているということを、その時立花先生は知っているとはいえ、半ば忘れかけていた。

 だからこそ酷く動揺したし、自身の考えの甘さと、愚かさを立花先生は責めたという。

 静かに、前を行く夏葉は蹲った。それから、音を立てることなく地面に横たわったのだそうだ。

まだ三月とはいえ寒さは残っている。そんな冷たい空気に夏葉の荒い呼吸が白い息となって浮かんでは消えて行った。一瞬、何が起こったのか分からなかったという。立花先生は、そんな夏葉が吐く白い息を見て、ようやく夏葉の名を声に出し、彼女の元に駆け寄ったという。

 立花先生が夏葉の体を抱えると、夏葉は「へへ、ちょっと疲れちゃいました」なんて、やはり笑ったそうだ。その時の夏葉の様子を、僕はやはり想像出来てしまう。泉と一緒に蓮華公園に行った時も、夏葉は同じように笑って一人休んでいたことがあった。

 あの笑い方は、見ていて辛くなる。とてもズルいのだ。無理をして、私は大丈夫だから、そんなに心配しないで欲しいと訴えかけてくるあの笑みは、とてもズルい。

「私は、辛そうに息をする夏葉さんに肩を貸して、アパートに戻りました。夏葉さんの部屋は、まだ引っ越したばかりで、持ってきた物の大半はまだ段ボールの中に仕舞ったままでしたから、余計にそれが目に留まりました。一つだけ、部屋の真ん中にポツリと置かれたテーブルの上に、見たことがないほどの数の薬が置いてありました。それに私が気が付くと、夏葉さんは気まずそうに、「いや~、見られたくないモノを見られてしまいました」なんて、そんな事を言いました。その時、夏葉さんという女の子がどんなことで、彼女はどんな境遇なのかを、目の当たりにしました」

 夏葉は「薬を飲めば大丈夫です」と、体を這わせて台所の方へ向かったという。きっと、水を取りに行きたいのだろうと思った立花先生は「無理をしないで」と、夏葉をベッドに寝かしつけた後、急いで水を汲み、それから机をベッドに近づけて、夏葉に、どの薬を飲めば落ち着くのかを聞きながら、ゆっくりと薬を飲ませたのだと言う。その時夏葉が飲んだ薬の量にも驚いたし、ベッドの上で背中を支えられながら薬を飲む夏葉の姿を見ていた途端、自然と立花先生の目には涙が浮かんだそうだ。

「情けなかったんです。情けなくて仕方がなかった」

 それから夏葉があの島で過ごした二年と少しの期間。そんな風に度々夏葉は体調を崩し、立花先生はそれを必死に支えて来たと言う。夏葉が体調を崩すのは、大抵土曜日か日曜日か、平日の夜らしく、僕の知らないところで、どうやら夏葉はありきたりな日常を過ごすために、耐え忍んできたようだった。

 その長い日々を、立花先生は何を思い過ごしてきたのかなど、僕が分かるはずもない。ただ、どうして夏葉が最期に立花先生にも手紙を残したのか、その理由は分かるような気がする。

「すいません。少し話が長くなってしまいました。ようやく、私がいつか遠坂さんに話さなければならないと思っていたことを話すことが出来ます。入学式の前。三月の初め。夏葉さんがどんな境遇に立っているのかを、彼女が数多くの薬を飲みこむ様子を見て、ようやく私は理解しました。だからその時、私は思わず夏葉さんに聞いたのです。「どうしてそんなにもこの島の学校に通いたいのですか?」と。きっとこの先、もっと苦しいことが待っていると、その時の私は思いました。それは間違いではなくて、現に何度もそういった場面に夏葉さんは立ち会って、あの学校での生活を送っていました。でも、そんな苦しい中、それでも夏葉さんが笑って過ごすことが出来たのは、やはり遠坂さんが居たからだと思います」

 どうしてあの島の、あの学校に通いたいのか。それほどにまであの学校にこだわっていた理由は何なのか。両親も、妹である夏花も知らないその理由を、どうやらその時、夏葉は立花先生に話したのだそうだ。

 夏葉が話したというその内容を聞いた後、立花先生が僕に伝えなければならないと思っていたその理由がはっきりとわかった。

 端的に言ってしまえば、やはり夏葉は僕と会う前に、一方的に僕のことを知っていたという。それは、少し前に立花先生が「遠坂遙生君という私と同い年の子はいますか?」という夏葉の問いかけがあったという話から、薄々そうなのかもしれないと思ってはいた。だから問題なのは、夏葉はどうやって僕のことを知ったのかという点だ。

 僕は一度も夏葉と会ったことは無い。それは確かなことで、あの島で出会うまで僕は戸部夏葉という女の子の存在を僕は知らなかった。だから、小さい頃の夏葉と会っていただとか、そういうことは無かったと言い切れる。

 なら、どうして夏葉は僕のことを知っていたか。その答えを立花先生から聞いて、僕の頭は一瞬だけ真っ白に染まった。どうしてそこでその人たちが登場してくるのか、在り来りだけれど、突然後頭部を思い切りバッドか何かで叩かれたら、きっとこんな呆気にとられたような驚きに染まるのだろうなと、そんな事を思った。

「夏葉さんは、遠坂さんのご両親から、あなたのことを聞いたのだそうです」

 一体どこで夏葉は僕の両親に出会ったというのか。そんな疑問を立花先生に投げかける前に、立花先生は「遠坂さんのご両親は、お医者さんなのだそうですね」と、話を進める。

「ご両親がお医者さんをしているというのを、遠坂さんは知っていましたか?」

「いいえ」

 僕の両親は仕事が忙しいのを理由に、僕を一人で早々にあの島の祖父母の家に預けた。でも、その仕事が実際どんな仕事なのか聞くこともなく、祖父母にだってわざわざ聞くこともしなかった。だから、僕は今の今まで両親がどんな仕事をしているのか知らない。まさか、こんな形でそれが分かるなんて、本当に想像すらしていなかった。

 夏葉がどのような経緯で僕の両親と出会ったのか。それは、夏葉が小学校三年生の時、つまり、病が発覚した時のことだ。当時、彼女はまだ、今夏花たちが住んでいるあの家にはおらず、もっと別の、違う地域で暮らしていたそうだ。

「そうです。お姉ちゃんが病気だと分かった時、私たちは今住んでいる場所ではない場所で暮らしていました。そうして、お姉ちゃんの病気がとても重いものだと分かって、しっかりとした治療を受けることが出来る、大きな病院のある街、つまり今住んでいる場所に引っ越してきたんです」

 前に住んでいた地域の市民病院に夏葉が入院していたのは二週間程度だったという。

 そのわずか二週間という市民病院での入院生活の中で、夏葉は僕の両親に会った。正確に言えば、実際に会って話をしたのは僕の母親とだけらしく、父親に関しては、僕の母親から話を聞いた程度であったらしい。どちらにせよ、夏葉が初めて入院したその市民病院で、僕の両親は働いていたという訳だ。

 夏葉が僕の母親と出会ったのは、入院して三日目のことだったらしい。「調子はどうですか? 体温、計りますね」と病室に入って来た看護士が、僕の母親だったのだそうだ。

 夏葉は、当時の自分自身のことを、「塞ぎ込んで、愛想のなかった子供だった」と、そう語ったそうだ。そんな、落ち込んでいる小さな女の子に、僕の母親が何かと楽し気に話しかけたそうで、「今日はデザートにアイスがあるんだって。夏葉ちゃんはアイス、好きかな?」だとか、「夏葉ちゃんは何がするのが好き?」だとか、「この前夏葉ちゃん、猫が好きって言っていたよね? ほらこれ、可愛いね」と、どこからか猫の写真集を持ってきてくれたらしい。

 愛想の無い夏葉だなんて想像すら出来ないし、そんな風に楽し気に、優しく誰かに話しかける母親も想像出来ない。母親の顔ですら、あまり上手く思い出せないのに、母親の笑っている様巣なんて思い浮かべることが出来るわけもない。

「そんな風に、夏葉さんは遠坂さんのお母さんと色々な話をする中で、少しずつ笑うことが出来るようになったと、そう言っていました。そうして、こうも思ったのだそうです。「どうしてこんなにも、私のことを気にかけてくれるのだろう」と。子供ながらに、看護士さんは他の患者さんよりも沢山話しかけてくれていると、そう感じていたそうです。そしてある日、夏葉さんは聞いたのだそうです。「どうして私に、沢山声をかけてくれるの?」と。看護士さん、つまり遠坂さんのお母さんはこう答えたと言います」

「ちょうど、私にも夏葉ちゃんと同じくらいの子供がいるの」

 でも、寂しい思いをさせている。私も、お父さんもこの病院でのお仕事が忙しい。きっと、それは言い訳なんだろう。夏葉ちゃんは息子と同い年で、こんなことはあまり良くないことなんだろうけど、やっぱり気になって声をかけてしまう。

 そんなことを、僕の母親は夏葉に話したそうだ。その口振りが、夏葉が知っているいつもの看護士さんではなくて、とても寂しそうで、悲しそうな顔をしたから、夏葉はその同い年の子供、つまり僕のことについて、どんな子なのかを尋ねたらしい。

 母親が、僕のことを話せるわけがないだろうと、そう思った。碌に話もしていなくて、一緒に暮らしてもいないのに、僕の何が分かるだと、そう思った。

 でも、不思議なくらいに僕であった。立花先生が夏葉の口から聞いた、僕の母親が語ったその 内容は、不思議なほどに僕のことを言い当てていた。

 内気で、寂しがりやで、それはきっと優しいから。その実、自分には全く優しくない。甘え方を知らないのは、きっと私の所為。

 加えて、僕は知らなかったのだが、定期的に島にいる僕の様子が、祖父母を通して両親に伝わっていたらしく、「それに、上手く学校に馴染めていないようなのよ」と、そんな話を、半ば相談するような口調で夏葉に話したらしい。

 それからと言うもの、夏葉が僕の母親と話をする内容は、決まって僕について関することになり、夏葉がその市民病院から大きな病院へ移動するまでの間、僕に関する色々な話を、僕の母親から聞いたという。

 話を聞き、「なんだか私によく似ている」と、そう思ったと夏葉は話したそうだ。でも、クラスには上手くなじめずに、友達もいない。それはとても悲しいことで、寂しいこと。私も、こうして病院で、看護士さんがいなかったら独りぼっちで、きっと寂しいと布団に包まっていたかもしれない。

 夏葉は、会いたいと思ったのだそうだ。夏葉は、友達になりたいと、そう思ったのだそうだ。この看護士さんは、私を寂しい思いにさせないよう、こうして話しかけてくれた。その看護士さんは、子供が一人で寂しくないか心配している。だったら、私が友達になって、寂しくないようにすればいい。ちょうど、看護士さんがしてくれたように、今度は私がそうすればいい。

 夏葉は市民病院から別の大きな病院に移ることが決まり、市民病院を出て行く日に、夏葉はそんな思いをそのまま僕の母親に伝えたという。「寂しくないように、私がその子の友達になる。私、看護士さんから沢山話を聞いて、その子と友達になりたいって思ったもの」と。「私名前を知らない。その子の名前は、なんていうの?」「遙生。遠坂遙生っていうのよ」「遙生くん」

 別れ際、僕の母親は、笑いながら泣いていたらしい。何度も「ありがとう」と繰り返し、優しく夏葉の頭を撫で続けたのだそうだ。

「それが、夏葉さんがあの島の、あの学校に行きたかった理由。もちろん普通の女の子として、在り来りな日常をもう一度過ごしたいという思いもあった。でもそれだけでは無くて、夏葉さんにはもう一つ叶えたいことがあった。それが遠坂さんに会って友達になるというものだった。夏葉さんはずっと、その二つを叶えたいと、そう思い続けていたそうよ」

 立花先生は長い話を終えて、コーヒーに口をつける。それから小さく息を吐いて、「これで私も、もう思い残すことはありません」と、そう呟くのだった。

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