4-7
立花先生と顔を合わせてしっかり話をするのは今日が初めてかもしれないなと、移動中の電車の中でそんな事を思った。
立花先生と会う目的は、夏葉が残した手紙を渡すことだけなのだが、一度、夏葉の両親から教えてもらった連絡先から立花先生にコンタクトしたところ、「遠坂さんですか? お久しぶりですね。そうですか。はい。そうですね。もう、二年以上も経つのですね。実は私、いつか遠坂さんに話さなければいけないことがあったんです。もしかしたら、今がその機会かもしれません」と、そんな会話を電話越しに交わした。交わした言葉の後半は、少しばかり立花先生の声に影が射していて、なんだかそれは、夏葉が亡くなったということを教室で話していた時に聞いた立花先生の声色に似ていて、自然とあの時の立花先生の表情が頭の中に浮かぶのだった。
確かに言えるのは、立花先生は夏葉があの島の、あの中学校にやって来た時、すでに夏葉の命に終わりがあることを知っていたという点だろう。
つまり立花先生は、夏葉が遠くへ行ってしまうまでの二年間、「普通の子として学生生活を送りたい」という夏葉の夢を叶えるために、ずっとその事実を僕達に隠し続けて来たということだ。
だから僕は、立花先生にコンタクトをした際、夏葉が島にやって来た時点で、その命の終わりが見えていたというのは既に知っていると、そう伝えた。その件をずっと僕に話したかったのなら、もう僕は知っていると、そう伝えた。
でも、立花先生はそれに対してこう言った。「そうですか。なら、話がしやすいです」と。
だから、どうやら立花先生が僕に話したいというその内容は、夏葉の命は彼女が島にやって来た時点で終わりが見えていた、というものではないらしい。それからというもの、立花先生がいつか僕に話したいと思っていたことというのはどういうことなのか考えずにはいられなかった。でも結局、僕はまだ、その内容と言うのがどういうものか想像することが出来ていない。
「もうじき着きますね」
隣に座っている夏花は、後ろの車窓に顔を向けて、流れて行く景色を眺めていた。
「そうだね」
つられるように僕も後方に流れて行く景色に目を向ける。地面から生えたビルと、黒い地面には大勢の人。この電車の外にあるのは、僕が全く知らない街だ。ふと、夏葉も島に来た時はこんな心地になったのだろうかと、そんな事を思うのと同時に、電車は降車する駅に辿り着く。
実際にホームに降り立ってみると、空気の匂いというか、感触というか、そういうものがやはり僕の知らないものであるような気がした。
立花先生は今、この街の中学校で教師をしているという。待ち合わせ場所はこの駅の南口。大勢の人の波に身を任せながら前へ進む。もうじき約束の時間になるから、おそらく立花先生はいるだろう。僕と夏花は、少しだけ早足になって南口を目指した。改札を通ると、その先には沢山の人がいて、各々が誰かを待っているようだった。そんな人の中から立花先生を探すものの、其れらしい人の姿を見つけることは出来ない。
まだ立花先生はいないのだろうかと、そう思った矢先、後ろから「遠坂さん。お久しぶりですね」と、馴染みのある声が聞こえた。後ろを振り向くと、そこには僕の知っている立花先生の姿があった。
「無事に会えてよかったです」
そう言って、立花先生は昔学校でよく見ていた柔らかい笑みを浮かべる。それから今度は夏花の方に目を向け、「あなたが夏花さんですか? 本当、夏葉さんに似ています。思い出してしまいます」と、一瞬その柔らかい笑みに影を落とした後、「すいません。ずっとここにいては暑いですよね。場所を移しましょう」と、立花先生は落とした影をどこかに隠すのだった。
人の多い南口を抜け、立花先生に連れて来られたのは、駅からほど近い所にあるビルの地下。どうやら個人経営の喫茶店らしく、入ってみると、店内は細長く、カウンター席と、二人向かい合って座ることが出来るテーブルが二つ。奥には四人席が一つあった。
カウンター席にはお客さんが二人ほど。立花先生は常連のようで、カウンターの奥でコーヒーを淹れているマスターに軽く手を上げた後、奥の四人席を指さし、「あそこで話をしましょう」と、そう言った。
僕と夏花は隣同士の席に座り、立花先生は僕の向かいに座る。
立花先生はやって来たマスターに「アイスコーヒーを一つお願いします」と、注文をする。
「あなた達は?」
メニューを見て、僕は立花先生と同じアイスコーヒー、夏花はカフェラテを頼んだ。
なんだか、立花先生を見ていると、それこそ平日で偶然同級生と会ってしまうような、そんな違和感がある。今目の前にいる立花先生は確かに二年前、あの島で僕達のクラスの担任の先生であった立花先生だ。見た目だってそう変わっていなくて、服装だって教室の教壇に立っていた頃と雰囲気が似ている。唯一違うのは、ここが学校の教室では無くて喫茶店であるということだけだ。
きっと、僕の中ではいつまでも先生は先生のままなのだ。でも、こうしてどこにでもあるような喫茶店で向かい合っていると、先生も僕と変わらぬ人間であるのだと、そんな事を思う。言葉にすると、何を当たり前のことをとも思う。でも、おそらくこれが違和感の正体なのだろう。例えあの中学校を卒業しようとも、どれほど時間が経とうとも、僕の中ではずっと立花先生は先生のままなのだと思う。
「本当久しぶりです。遠坂さんも変わらないようで、高校生活はどうですか?」
「普通です。普通に毎日通っていますよ」
「そうですか。それは良いことです」
そう言って立花先生は微笑む。立花先生は、僕が小学生の頃、学校に行くことが出来ていなかったことを知っている。だから、その微笑みが「安心しました」と、僕にそう語り掛けるようであった。
そんな風に、近況報告というか、世間話をしているうちに注文したコーヒーが運ばれてきて、一口飲んでから、立花先生は短く息を吐き、「では、落ち着いたところで話をしましょう」と切り出すのだった。
「まず初めに、夏葉さんからの手紙を受け取る前に、私から話をさせてください」
立花先生は「電話で聞きましたが、遠坂さんはもう、夏葉さんの境遇に関して知っている、ということでいいんですよね?」と尋ねてくるものだから、僕は声を出すことなく頷いて見せる。すると、立花先生は「そうですね。では、私が夏葉さんと初めて会った時のことから話をしましょう」と、もう、五年も前のことを話し始めるのであった。
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