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 夏葉の両親は、僕が思っていたよりも優しくて、僕以上に夏葉のことを愛していた。愛する、というのは、きっとこういうことなのだろうなと、僕は夏葉の両親と話をしながら、ぼんやりとそんな事を思った。両親と言うのはそういうものなのか、それとも、夏葉の両親だけが特別そういうものなのだったのかは分からない。いずれにせよ、この場に来る前と後では、夏葉の両親に対する思いは大きく変わった。「また、いつでも来てくださいね」なんて、そんな事を夏葉の母親から言われた時、僕は「今度は泉も連れてここに来て、夏葉の話をするのもいいかもしれない」なんて、そんな事さえ思っていた。

 島に来る前の夏葉のことと、島を去った後の夏葉のことについて、夏葉の両親から色々と話を聞き、また僕は、島にいた時の夏葉のことについて話をした。

 ただ、その話の中で、夏葉の母親の「どうして夏葉があの島に行きたいと言ったのか。それだけは結局最期まで分かりませんでした」という言葉だけが、妙に気になった。以前、「どうして夏葉はあの島に一人でやって来たのか」という、似たような質問を夏花にしたことがあったが、その時夏花は、「きっと、お姉ちゃんはどこでも良かったのだと思います」と、つまり、自分のことを知っている人がいない場所であるのなら、どこでも良かったと、そう話をしていたけれど、果たして本当にそうなのだろうか。最期の時間を過ごすのだ。それなりの理由があるのではないのかと、夏葉の両親のその言葉を聞いて、今更妙に気になった。

 帰り道、駅まで送ってくれた夏花に、「夏葉は、本当に自分のことを知っている人がいない場所だったら、どこでも良かったのかな?」と、再度同じ質問をしたけれど、結局夏花も、「そう、だと私は思います」としか答えてはくれなくて、その返事の後に、「何度か聞いたんです。どうしてあの島に行くのかって。そしたらお姉ちゃんは「私のことを知っている人がいない場所で、もう一度やり直したいからだよ」って、そう言っていました。でも、だったら別にそんな遠くに行く必要はないじゃないかって、家からでも通える、そういう中学校を探せばいいじゃないかって、そう話をしました。でもお姉ちゃんは「あの島に行くよ。どうせなら、ずっと遠くに行きたいからね」と、どこかはぐらかす様に笑ってそう言うばかりで。何となく、きっと行く理由がお姉ちゃんにはあったんだと思います。でも、やっぱり私も最後までその理由を知ることは出来ませんでした」

 そういう夏花の表情は、分かりやすく辛そうな色を浮かべていた。

 そんな夏花に、「君は、夏葉に遠くへは行って欲しくなかったんだね」と、そう返したら、「はい」と、ただ小さく頷いて、目元を擦るのだった。

 それも当たり前だ。僕なんかよりも夏花はずっと前から、何なら生まれた時から夏葉と一緒に居たのだ。夏葉のことなら何でも知っていて、知っていたくて、大切で、そんな人が病魔に襲われて、もう長くはないと言われて、もしも僕が夏花と同じ状況であったのなら、当然離れたくはないと思うだろうし、傍にいてほしいと願うだろう。

「本当は、お姉ちゃんには島に行って欲しくはありませんでした」

 改札を通ろうとしたとき、確かに夏花はそう呟いた。

 僕は立ち止まって、「僕も、もしも夏葉が前もって島からいなくなることを僕に教えていたら、同じことを思うよ」と、返す。

「私、何度もお姉ちゃんに言いました。そんな遠くには行かずに、近くの学校にすればいい。私も一緒に通うからって。でも、お姉ちゃんはそれでも島に行くと、私の言うことなんて聞かなくて、だから私も、本当や嫌だったけれど、お姉ちゃんが遠くへ行ってしまうことを、許しました。本当に、お姉ちゃんはいつもそうだったんです」

 それから、夏花は風にかき消されてしまいそうなほど小さな声で、「私は、良い人間ではないんでしょうね」と、そう呟く。

 それは違うと思った。だから、僕はこう言った。

「でも、夏花さんが許してくれたから、僕はあの島で夏葉と会うことが出来たんだと思う。それに、今もこうして、夏花さんは僕に、夏葉が残した手紙を渡してくれて、僕の知らない夏葉を色々教えてくれている。だから、少なくとも僕にとっては良い人だよ」

 僕がそう言うと、夏花は「なんですか、それは」と、少しだけ笑う。

 それから夏花は「今日はありがとうございました。また明日、立花先生に会いに行きましょう」と、手を振る。

 だから僕も、「また明日」と手を振って、改札を通った。

「…………」

 明日、夏葉が残した手紙はすべて配り終わる。夏花の手伝いも、明日で終わりを迎えるだろう。

 駅のホームに立ち、ふと、終わりを迎えた後、果たしてその先はどうなるのだろうかと、そんな事を思った。僕は、この夏に何もかもを終わらせるつもりで、その一環として、叶うはずもない約束を思い出しながら、二年ぶりにあの島に行き、そうして偶然にも夏花に会った。そこで、夏葉が残した手紙の話を聞き、また夏葉からの手紙を受け取った。

 ああ、きっと、これが良い区切りになるだろうと、そう思って僕は夏花を手伝うことに決めた。

 夏葉が残した手紙を渡された時、正直僕は得体の知れない恐怖のようなものから、手紙を読む決心をつけることが出来ずに、引き出しの奥に仕舞いこんだ。あの手紙はまだ、引き出しの奥に仕舞いこんだままで、僕は手紙を読めずにいる。

 でも、きっと僕は明日、立花先生に手紙を渡した後、引き出しの奥に仕舞いこんだ手紙を取り出して、封を開け、読むのだと思う。泉と再会して、夏葉の両親と会い、何より夏花から夏葉の話を聞く中で、少しずつ、心の内の酷く凍えて固まっていた何かが溶けて行くような気がしていた。

「初めて誰かを好きになった」

 夏葉に、最後伝えることが出来て良かった。今までは、その言葉が夏葉を深く傷つけたのではないのかと、それが恐怖の源であった。でも、今はもう、それも少しずつ溶けて消えて行く。それは、夜空の灰色が、朝日を受けて少しずつ溶けだしていく様子に似ていた。

 ただ、あとほんの少しだけ、早朝にまだ消えることなく薄っすらと浮かぶ星のような、夜の面影がこの胸の内側に残っている。

 夏葉の両親の話では、夏葉は最期、「楽しかった」と、「幸せだった」と笑うことが出来たという。夏葉は、「悲しむことすら忘れるほどに楽しい日々を過ごす」という自身の望みを、実際に叶えたのだ。でも、それでもやはり、島を離れて狭い病室で時間を過ごす中で、何度も泣いたのも事実で、やはり悲しい時は悲しくて、辛い時は辛いのだ。

 でも、それでも最期に夏葉は笑うことが出来た。なら、僕は一体どうなのだろう。

 僕にとっての最後は、きっと夏葉が残した手紙を読み終えた時だろう。

 その時僕は、一体何を思うのか。

 僕の中に残っている夜の面影というのは、まさにそれであった。

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