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翌日、僕は学校に電話をかけた。
学校に電話をしたのは初めてのことであった。小学生、中学生と、実際にあの校舎に毎日のように通っていた時は一度も学校に電話をかけたことなど無かったから、コール音を聞いている数秒間、妙な緊張感に襲われた。だから、コール音がプツリと途切れて、ガチャリという音の後に聞こえた、僕がかつて通っていた学校名を聞いた時、僕は自然と短い息を吐いていた。
電話をした結果、結論から言えば、どうやら立花先生はもうあの島にはいないらしい。僕が卒業してから一年後、別の学校に異動したという話であった。僕は、どうにかして立花先生に会いたいのだと、その電話に出た学校の事務員の人に言ってはみたが、「そういった内容の回答は出来かねます」と、その一言で通話はあっけなく終わってしまった。
まだ立花先生があの島の、あの学校で教師をしていたのなら話は早かった。距離はそれなりにあるけれど、またあの島に行って立花先生に会いに行けばそれで済む。でも、そうではなくて、もう立花先生はあの島にはいないのだと言う。もちろん、立花先生がもうすでにあの島にはいない場合も考えていて、もしもそうであったのなら、それはそれで、学校に電話をかけた時、立花先生は今どこの学校で教師をしているのか聞けばいいだろうと考えていたのだが、その考えは甘かった。冷静に考えてもみれば、急にかかって来た電話の通話相手に、かつてその学校で教師をしていた先生が今はどこにいるのか教えて欲しいなどと聞かれて、そのまま素直に答える方がおかしいだろう。通話を終えてから、そんな当たり前のことに思い当って、我ながら馬鹿だなと、そんな事を思いつつ、まだ陽も落ちていない、真っ青な空が窓ガラスの向こうに広がるのを眺めながら、これからどうしようかとあれこれベッドの上で寝返りを打ちながら考えてみたが、全く以ていい案など浮かばなかった。
僕は、立花先生個人に連絡をする手段を持ち合わせていなかった。先生というのはそんなもの、というとなんだが酷く物寂しく思ってしまうけれど、現に今の僕は立花先生に連絡する手段を持っていない。そもそも、小学校、中学校の同級生の内、今もまだ繋がる連絡先を知っているのは泉くらいのもので、その唯一僕が知っている泉の連絡先も、数日前に夏花から教えてもらったのだ。そんな僕が立花先生の連絡先を知っている訳がなかった。
そもそも、僕は人付き合いが苦手なのだ。自分から誰かに会いに行こうだなんてまず思わない。
でも、もしも今回のように、唐突に昔一緒に時間を過ごしていた誰かに会う用事が出来た時、果たして僕は、一体どれほどの人と再会することが出来るのだろうかと、そんな事を考えてしまう。再会することが出来ないのであれば、それはもう死別と何ら変わらないような心地さえしてしまって、所謂縁が切れるというのは、つまりこう言うことなのかもしれないなと、ベッドに寝ころんだまま、窓ガラスの向こうに広がる青い空を眺めて思う。
出来る事なら、夏花と泉との縁は途切れさせたくはない。なんて、そんな事を思っている自分に気が付いて、思わず乾いた笑い声が漏れ出てしまう。僕は人付き合いが苦手で、自分から誰かに会いに行こうだなんてまず思わない、そんな性分であったはずだろう。そして、そんな性分だからこそ、今立花先生の居場所を知ることも出来ず、これからどうしようか名案も浮かんでこない。
明日には、またいつものファミリーレストランで夏花と話をする予定ではあるが、僕の方から言えることは、「立花先生はもうあの島にはいない。今どこにいるのかも分からない」という、一番悪い回答になりそうであった。「分からない」のであれば、他の案を考えて話をする必要があるだろうけれど、一日かけて何とか案を一つひねり出すことが出来たくらいで、しかもその唯一ひねり出すことが出来た案というのも、「立花先生について何か知らないか、泉に相談して見る」という、なんとも情けないものであった。
結局、その後も何かいい案は無いかと考えてはみたものの、結局大したことは思い浮かばなかった。
『立花先生はもうあの島にはいない。今どこにいるのかも分からない』
『泉に話を聞いてみるのはどうだろうか』
その二つを持って、僕は改めて夏花に会いに行く。いつものファミリーレストランで、いつものように夏花を向かい合って、まず初めに僕の口から出たのは、「ごめん」という謝罪の言葉だった。そんな僕に対して、夏花は「謝らないでください」と、そう言ってくれた。
「遠坂さんが悪いわけではありません。むしろ、電話をかけて確認してくださって、ありがとうございます」
それから夏花は「そもそも、お姉ちゃんが残した手紙を渡しに行くと言い出したのは私で、私が遠坂さんに協力して頂いているんです。だから、本当は私がどうにかしなければいけないんです」と、目を伏せてそう言う。
「いや、」
それは違う。確かに僕は夏花に頼まれ、今こうして夏葉が残した手紙を配る手伝いをしている。でも、手紙を届ける手伝いをすると最終的に決めたのは僕なのだ。だから、彼女がそんなにも気負う必要など、どこにもない。
「そんなことないよ。僕だってしたくてしているんだ。だから、そんな顔をするのはやめてほしい」
夏花も、夏葉が残した手紙を全て配りたくて、今こうしている。僕もそれは同じで、僕だって夏葉が最期に残した手紙を全て配りたくて今ここにいる。
夏花は目を伏せたまま、「すいません」と小さな声で謝る。それから、彼女は顔を上げて話を始めた。
「私、立花先生という方のこと何も知らないんです。お姉ちゃんが最後の最後に手紙を残した人なのに、私は何も知りませんでした。だから、こうやって今、その立花先生がどこに居るのかも分からずに、出会うことも出来ずに、こんなことになっているんだと思います」
その言葉の後に、「大好きなお姉ちゃんのことなのに、私は知らないんです」と、俯いて小さく呟く。
それは僕も同じだった。少なくとも、夏葉が島にやって来た以降の彼女のことを、僕は良く知っているつもりでいた。でも、当時夏葉の命には終わりが見えていたという事実も、夏葉が立花先生と教師生徒以上の関係があったという事実も、結局僕は知らなかった。もしもそのことを当時知っていたのなら、きっとまた何かが変わっていたのかもしれない。こんなに気持ちになることもなかったのかもしれない。あの時あんなことをしなくても済んだかもしれないし、もっとあの日々を、大切に過ごすことが出来たのかもしれない。そんな風に、今更考えたって仕方のないことが、どこからともなく溢れ出てくる。
「立花先生、という方は、どういう方だったんですか?」
僕も、正直なところ、立花先生はどんな色が好きで、どんな食べ物が好きで、逆に嫌いな食べ物は何なのか、どうして教師になろうと思ったのかだとか、そういうことを全く知らないでいる。
だから、僕から話すことが出来るのは本当に大したことのないものばかりで、例えば良く笑う人だった、だとか、僕達生徒の質問には熱心に答えてくれていただとか、そういう表面をなぞるようなことしか知らない。
「写真、あるけど見る?」
中学の卒業式に、校門前で撮ったクラス写真が、今もまだ携帯に残っている。
「卒業式の時に撮った写真。この、真ん中で笑っている、髪の長い人が立花先生だよ」
でも、この写真で立花先生が浮かべている笑みは、僕が学校でよく目にしていた笑みとは全く違う。この写真に写っている立花先生の笑みは、どこか物寂しい笑みで、思い返すと、立花先生がこんな風に笑うようになったのは、夏葉が学校に来なくなった頃からだったような気がする。
「この人、ですか?」
「うん」
「遠坂さん。私、何度かこの方に会ったことがあります」
夏花は、ジッと写真に写る立花先生に目を落としたままそう言った。「それはどこで」と僕が夏花に問いかける前に、夏花は「何度か家で会いました。それと、お姉ちゃんが入院していた病院でも」と、そう言葉を漏らす。
「私、お姉ちゃんが島から戻ってきて、病院で入院するようになってから、ほとんど毎日放課後はお姉ちゃんのお見舞いに行っていて、休みの日も、朝から面会時間が許されているギリギリの時間までお姉ちゃんの傍にいました。そうやってお姉ちゃんのいる病室に通っている中で、二、三回ほどこの方と会ったことがあります。お姉ちゃんに、さっきの人は誰って聞いても、お姉ちゃんはいつもはぐらかしていて、だから印象に残っているんです。そうだったんですね。あの時のあの人は、お姉ちゃんの担任の先生だったんですね」
立花先生がそんな事をしていたなんて知らなかった。一体、何のためにそんな事をしていたのだろう。
「その時、立花先生は夏葉にどんな話をしていたの?」
「それは」
夏花に尋ねると、「それはわかりません」と、写真から目を背ける。
「この方が病室にやって来た時は、必ずお姉ちゃんから席を外すように言われていましたし、家に来た時は、私の両親から部屋にいなさいと言われて、立花先生というこの方とは会った事がありましたが、話したことはありませんでした」
「そうなんだ」
「はい」
そこまで話をしたところで、夏花は一つ思い至ったらしく、「そうだ。そうですよ」と、少しだけ声を大きくして、顔を上げた。
「もしかしたら、私の両親が立花先生の連絡先を知っているかもしれません。可能性はあります」
確かに、夏葉と夏花の両親が立花先生と会って何かしら話をしていたのは事実らしい。夏花の言う通り、その可能性は十分にあるような気がする。
「私、一度お母さんとお父さんに聞いてみます。何か分かるかもしれません」
それから、ひとまず夏花からの返事を待つ、ということで、その日は別れた。ファミリーレストランから家に帰って、その日の夜に夏花から連絡があったのだが、その内容を見て、僕は戸惑った。
『立花先生の連絡先、私の母が知っていたみたいで、無事に教えてもらうことが出来ました。それで、一つお願いがあるのですが、私の両親が、一度遠坂さんに会って話をしたいと、そう言っています。会っていただけますか?』
夏花から送られてきたメールには、確かにそう書かれていた。
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