4-2

「お姉ちゃんが残した最後の手紙についてですが、本当にこの残りの一通の宛名だけ、私には分かりませんでした」

 泉に夏葉が残した手紙を渡した二日後。僕と夏花は、夏葉のお墓参りに向かった時に待ち合わせた駅の近くに在るファミリーレストランで、残る最後の一通の手紙について話をしていた。

「私には心当たりがありませんでした。ですので、お姉ちゃんが島で過ごしていた時に出来た友達の方だと思うのですが、遠坂さん、この宛名の方に心当たりはありますか?」

 夏花はそう言って、手さげの白いバッグから、その残りの一通の手紙を取り出し、宛名が書かれた方を表にしてテーブルの上に置く。

 夏葉が島にいた時、仲良くしていた相手と言えば、本当に僕と泉しかいないと思う。それはあくまで僕が知っている範囲で、もしかしたら夏葉は僕の知らないところで、あの島で誰かと仲を深めていたという可能性も捨てきれないが、少なくとも僕の知っている範囲では、島で夏葉と特に仲良くしていたのは僕と泉だけだった。

 最後の一通も、おそらく夏葉が島で知り合った人に宛てて書かれたものの可能性が高い。夏花のそんな前置きに、もしかしたら、僕の知らない夏葉というものがあるのかもしれないと、内心動揺しながら、そのテーブルに置かれた手紙の宛名に目を通す。

 そうして、その宛名を見た直後、僕はホッと安堵の息を漏らしつつ、どうして夏葉はこの人に宛てて手紙を書いたのかと、不思議に思った。

「立花のどか。下の名前までは正直自信がないけれど、あの島で立花という苗字の人を僕は知っているよ」

 その人には、僕も随分お世話になった。

「僕や夏葉が中学生として過ごしたあの三年間、ずっと僕達のクラスの担任だった人の名前だ」

 夏葉が亡くなったと、そう告げた担任の先生の名前だ。

「先生、ですか」

「うん」

 でも、どうして夏葉は立花先生にも手紙を残したのだろう。正直、学校で夏葉と立花先生が話をしている所をあまり見かけた覚えは僕にはない。あくまで一般的な、生徒と教師の関係であったと思う。

 いや、でもそれは、今改めて思い返せば、本当に夏葉と立花先生は一般的な生徒と教師の関係でいられたのだろうかと、疑問が浮かぶ。僕や泉といった生徒は、当時夏葉がそう長くない命であったという事実など知らなかった。でも、教師はそうでいられるのだろうか。夏葉は中学生に上がるタイミングで、あの島に一人で転校してきたのだ。転校に先立ち、そういった夏葉の事情と言うのは、ある程度学校側にも伝わるものなのではないのだろうか。

 ずっと、疑問に思っていたことがある。夏葉が亡くなったと立花先生から伝えられた時、泉は先生に「あの時私、先生に聞きましたよね?」と、そう尋ねていた。泉に会った時、直接泉に聞くことは出来なかったけれど、きっと、夏葉が誰にも言わず学校に来なくなった時、泉は立花先生に、どうして夏葉が学校に来なくなったのか、その理由を聞きに行ったのだろう。でも、その時立花先生は、夏葉が学校に来なくなった理由を泉には話さなかった。単に、立花先生も事情を知らなかったから話すことが出来なかった可能性もあるかもしれない。でも、「あの時私、先生に聞きましたよね?」という泉の問いかけに対する立花先生の答えから、立花先生が、夏葉が学校に来られなくなった理由を知らなかったというのは考えられない。

 立花先生はあの時、「これが夏葉さんの望んでいたことなの。誰にも言わないで欲しい。それが、夏葉さんの望みだったんです」と、そう言っていた。

その話を聞いたあの時、僕はこう思った。きっと、夏葉が学校に来なくなったのは、命を落とすほどの病に罹ったからだと。立花先生の言う「誰にも言わないで欲しい。それが夏葉さんの望みだったんです」というのは、きっとその、病に罹った事を誰にも言わないで欲しいと、そういうことを言っているのだと思っていた。でも、そうではなかったのだ。夏花と出会い、そもそも夏葉は、あの島の、あの学校に来る時点で、そう命は長くないということを知っていたという話を僕は知った。

つまり、「私が病気に罹っていることを、誰にも言わないで欲しい」というのが夏葉の望みだったのだ。それは、以前夏花から聞いた、「きっと、お姉ちゃんは自分のことを知っている人がいない場所なら、どこだって良かったんだと思います」という話と辻褄が合う。

「夏葉があの島に一人でやって来た理由なんだけど、それは、夏葉が普通の女の子として過ごしたかったから、言うなれば、在り来りな青春を過ごしたかったからなんだよね?」

「はい」

「そっか……」

なら、きっと立花先生は何もかも知っていたのだ。

 立花先生は夏葉の命がそう長くないことも、夏葉が何を望んでいたのかも、全て知っていたのだろう。そして、僕が思っていた以上に、きっと夏葉にとって立花先生という存在は大きなものだったのだ。だって、現にこうして、立花先生宛の手紙を夏葉は残しているのだから。

「……」

 僕は、この立花先生が苦手だった。ただ誤解してほしくはない。立花先生に対して特別苦手意識があった訳ではないのだ。そもそも僕は、人付き合いが苦手で小学生の頃は学校に行けなかった人間なのだ。それも、特に大人全般に対して苦手意識がある。あの、大人特有の、何もかもを知っているような様相なのに、その実、自分のことしか考えていないような、そんな色が滲み出ている微笑みが苦手で、立花先生も同じような微笑みを浮かべることがそれなりにあったというだけの話だ。

 いつからあんな風に笑うようになってしまうのだろうかと、そんなことを度々思いながら立花先生の授業を受けていた。でも、そんな立花先生が、夏葉が亡くなったことを僕達に告げた時の顔は、いつも浮かべている、僕の知っている立花先生の顔ではなかった印象が強く残っている。ベリベリと何かが散り散りになって剥がれ落ち、最後に顔を覗かせたのは青い炎であった。どうしようもない悲しみに対する怒りのような、暗く冷たい海の底で燃える炎であった。

「遠坂さん。その、立花先生はまだあの島の学校におられるのでしょうか?」

「どうだろう」

 少なくとも、僕が中学を卒業する時は、まだあの島のあの校舎に立花先生はいた。ただ、その一年後に異動があった可能性は捨てきれない。いずれにせよ、一度立花先生がまだあの島にいるのか確認する必要はあるだろう。

 などと、もうすでに立花先生にこの手紙を渡しに行くことが決まっている前提で考えを進めている自分がいることに、思わず乾いた笑みがこぼれ出てしまう。

「どうか、しましたか?」

「ううん。何でもない。とにかく、一度立花先生がまだあの島の学校にいるのか確認する必要があると思う。学校の連絡先は分かるから、僕が確認するよ」

「すいません。頼りっぱなしになってしまって」

「気にしなくていいよ」

 これが、最後の一通になる。夏葉が残した、最後の手紙。

 夏葉のことを、思い出した。何度も、何度も頭の中で思い返したあの記憶を、夏花や泉と話をし、より揺らぎようのない記憶として思い出した。

 辛いのだ。思い出せば思い出すほど、夏葉が遠くへ行ってしまうような気がしてしまう。夏葉のあの後ろ姿が、あの顔が、遠くへ行ってしまうような気がしてしまう。

 区切りをつけることなど、やはり無理な話なのだ。どれほど遠くへ行ってしまおうと、確かに僕の目にはまだ見えているのだから。どれだけ遠ざかろうと、決してそれは消えてはくれないのだから。

 夏葉は「時々思い出してくれればいい」と言っていたけれど、僕は酷い人間で、その実我儘であるから、それでは嫌なのだ。ずっと、目を逸らすことなく、遠ざかって行くのであれば、決して見逃さぬよう、辛かろうが、その遠ざかって先へと進んで行ってしまう夏葉の後ろ姿を見つめ続けていたい。

 この最後の手紙を渡し終えた後、僕は僕に宛てて書かれた夏葉からの手紙を読むことが出来るのだろうか。僕は、手元に残った夏葉からの手紙に目を落とした時、遥か遠くに行ってしまった夏葉の後ろ姿を見失ってしまうのではないのかと、そればかりが不安であった。

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