3-2
「泉菜月さん、というのは、お姉ちゃんが島にいた時に、学校で一番仲が良かった友達、ということでいいんですよね?」
「その通りだよ」
夏葉のお墓参りを終えた僕と夏花は、近くにあったファミリーレストランでこれからの話をすることにした。机の上には泉菜月宛ての手紙が一通と、表面に水滴を浮かばせたアイスコーヒーが注がれているグラスが二つ。僕は夏花と向かい合って、昔の話を続けた。
「泉さんは、そうだね。なんというか、我が強い子だったよ。どこか眠たそうな目をしているんだけど、見るべきもの、見なければならないものはしっかりと見据えていた気がする」
夏葉と仲が良かった泉は、夏葉が学校からいなくなった直後、すぐに「何か知らない?」と僕に尋ねて来た。でも僕は何も知らないから「分からない」と答えると、「そっか」とだけ言って次は担任の先生に聞きにいった。そして、その日の放課後、「先生に聞いても教えてくれなかった。時が来たら、しっかりと皆さんにはお伝えします、って言われた」と、先生から聞いたことを僕にそのまま教えてくれた。
「夏葉が急に学校に来なくなった後、クラスメイトの皆は「どうしたんだろう」何て口にして、根も葉もないうわさ話が少しの間話題になった時があった。その時、度々僕や泉に皆は「夏葉さん、どうして学校に来なくなっちゃったのか知らないの?」なんて聞かれたんだ。僕の方こそ教えて欲しいと、そう口にしたくもなったけれど、僕はやっぱり「分からない」としか答えられなかった。加え、根も葉もない噂話に対しても、夏葉はそんな人間じゃあないと、反論したかったけれど、出来なかった。でも泉は違った。泉は「夏葉がそんな事をする子だと皆は思っているの? 皆は私よりも夏葉のことを知っているの?」としっかりとした口調でそう話すものだから、次第に夏葉に関する噂話も消えていったんだ」
それ以降、泉の中でも整理が着いたのか、彼女の口から夏葉という名前が出てくることはなかった。クラスメイトも夏葉のことを取り立てて話題に出すこともなくなったから、まるで夏葉なんて人間は元々この島にはいなかったかのように、夏葉のいない日常が繰り返されるようになって、それが僕はたまらなく虚しかった。
次にクラスで夏葉の話題が上がったのは、何もかもが終わって、取り返しのつかない所にまで行き着いた時であった。担任の先生が「夏葉さんは亡くなりました」と、そう僕達に伝えた時、数か月ぶりに夏葉が僕達の日常に戻って来たのだ。
担任のその言葉の後、クラスメイト全員が息を短く吸って、同じタイミングで息を止めたのが分かった。僕はその間、暗い表情で目を伏せたまま教壇に立つ担任の先生しか見ていることが出来なくて、担任の先生が発した言葉が、なんだか僕の知らない言葉であるような心地さえしてきて、見えている景色が遠ざかって行くようであった。
クラスメイト全員が体一つ動かさない中、ガタっと音を立て、立ち上がり、「何ですか、それは」と小さく震えながら声を発したのが泉だった。それからはもう、静かに言葉で殴り掛かるような口調で、「何ですかそれは? 夏葉は、夏葉は? どうしてもっと、もっと、あの時私、先生に聞きましたよね? どうして? どうしてですか?」
僕は、泉の方を見ることが出来なかった。泉のその言葉が、先ほど担任の先生が発したことがどうしようもないほど現実であると定めてしまうようで、僕はジッと俯いていることしか出来なかった。でも、泉のその声で、彼女は涙を流すことをジッと我慢しているのだと分かった。それ自体がたまらなくて、もう、やめてほしいと、そればかりを思いながら、僕は泉と担任の先生のやり取りを聞いていた。
「菜月さん、ごめんなさい。これが、夏葉さんが望んでいたことなの」「望んでいたことって何ですか? 意味が分かりません」「誰にも言わないで欲しい。それが、夏葉さんの望みだったんです。分かってあげてください」
誰にも言わないで欲しい。その時、僕は夏葉のその望みを理解することは出来なかったし、それはおそらく泉も同じであっただろう。どうして何も言ってくれなかったのか。その程度の仲であったのか。これまでの日々は何だったのか。色々なことが浮かんでは消えて、頭の中が真っ白になって行った。
「それから泉は教室を飛び出して、数日経ってようやく学校に顔を出したかと思ったら、何もなかったかのように平然とした顔をしていたよ。僕も僕で自分から夏葉の話題を出すことが出来るほどの人間ではないから、それ以降、泉とは何も話さなくなったし、関わりも無くなった。だから、僕は泉が今どこにいるか知らない。それに、島にいた時は携帯電話なんてもの僕は持ってはいなかったから連絡先も知らないんだ。手紙を渡しに行くのを手伝う、なんて言ったけれど、早速役に立てそうにないよ」
ただ、案がないわけでもない。泉の両親は、おそらくまだあの島に居るだろう。ならば、二度手間にはなるが、もう一度あの島へ行き、泉の両親に会い、泉が今どこにいるのかを教えてもらうことが出来れば、泉に手紙を渡すことが出来る。
その考えを夏花に言おうとしたところで、夏花は僕よりも先に泉の居場所を知るための案を僕に話すのだった。
「その点は大丈夫です。私だって、何も考え無しに手紙を渡しに行く、と言っている訳ではないですから」
そう言って夏花が取り出したのは携帯電話だ。それから何やら操作をした後、画面を僕に見せてくる。
「泉菜月さんの、連絡先です」
「どうして知っているの?」
「あまりこういうことをしてはいけないと思うのですが、お姉ちゃんが亡くなった後、お姉ちゃんが持っていた携帯電話を一ヶ月くらい解約せずにそのまま残しておいた時期があるんです」
その携帯電話というのは、どうやら夏葉が島に一人でやって来る際、両親に買ってもらったものらしい。そう言われれば、夏葉が度々携帯電話を取り出して島の光景を写真に収めていたのを僕はそれなりの回数目にしている。それに一度、「遙生君は携帯電話持ってないの?」なんて聞かれたこともあったような気がする。
「お姉ちゃんが使っていたその携帯電話には、島で築き上げた友達とのやり取りだとか、そういうものが多く残っているだろうし、そう思ったら、そんなお姉ちゃんが生きていた証を全て消し去ってしまうことが出来なくて、家族の中で議論になったんです。とはいえ、結局、この携帯電話に残っているのはお姉ちゃんが築き上げたもので、残しておいても見返す人がいないから、という理由で解約しました。ですが、その解約するまでの期間、毎日毎日お姉ちゃんの携帯電話にメールを送る人がいました。きっと、このメールの送り主は、お姉ちゃんのことを大切に思ってくれているのだろうなと、そう思って、そうしたら、一体誰なのだろうって気になってしまって、送り主の名前とアドレスだけ見てしまったんです」
「その送り主、っていうのが泉だったんだね」
「はい。その通りです。前にも話したかもしれませんが、お姉ちゃんはあまり私に島にいた時のことを話してはくれませんでした。でも、全くという訳では無くて、いくつかは話をしてくれたんです。そのいくつかの内の一つが、泉菜月さん、に関する話だったんです。ああ、このメールの送り主は、あの泉さんという方なんだ。いつの日か、お姉ちゃんが島でどんな風に過ごしていたのか話を聞けたらいいな。なんて、そんな事を思ってしまって」
そうして、泉の連絡先を残しておいた、ということなのだろう。夏花は説明を終えた後、「まさか、こんな形で連絡をすることになるなんて、思いませんでしたけれど」と、やや苦笑いを浮かべる。
「でも、そのメールアドレス、今もまだ泉は使っているのかな?」
「はい。それは確認しています。泉さん宛ての手紙を見つけた時、少し迷いましたが、「会ってお話したいことがあります」という内容のメールを泉さんに送ってみましたんです。そうしたら、ちゃんと返信がありましたから。とはいえ、返って来たメールは、本当に私がお姉ちゃんの妹かどうか疑っている内容だったのですが」
それから数通やりとりはしているが、泉の方はまだ夏花を夏葉の妹であるか半信半疑であるようで、未だに会う約束は出来ていないのだと言う。
「それで相談なのですが、私が戸部夏葉の妹であるということを、泉さんにどうにかして信じてもらう案は何かありませんか?」
信じてもらうための案。
仮に、僕が泉の立場であったらどうだろう。いきなり見ず知らずのメールアドレスからメールが届いて、しかもその内容が、夏葉の妹であるから会いたい、というものなのだ。もしもそんな状況に陥ったのなら、僕もそのメールの送り主が夏葉の妹であるなんて信じることは出来ないだろう。ただ、会いたくないという訳ではないのだ。むしろ、本当に夏葉の妹であるというのなら、僕の方から会いに行きたいとさえ思うかもしれない。急に目の前から消えてしまった夏葉に関して、何か知ることが出来るかもしれないと、僕ならそう考える。
だから、いきなり送られてきたメールの送り主が夏葉の妹であるという確証を得ることが出来ればいい。そのための方法としては、当事者しか知らない事柄に関する話題を振るのが一番の近道だと思う。ただ、夏花は夏葉が島でどんな生活をしていたか知らないということなので、夏花と泉との間で、何かしら両者しか知り得ない話題を取り上げるのは難しいのだと思う。なら、夏花の変わりに僕が泉とやりとりをすればいい。ちょうど、当事者同士しか知らない話題、というのもいくつか心当たりがある。
「夏花さんが夏葉の妹だということを泉に信じてもらうよりも、僕が泉にメールを送って、泉にメールの差出人が僕だと信じてもらう方が早いと思う」
夏葉からの手紙が見つかって、妹がその手紙を渡したがっている、という話まで、僕が泉に連絡をとった方が早いだろう。
「お願いできますか?」
「いいよ。手紙を渡しに行くのを手伝うって言い出したのは僕だから」
「ありがとう、ございます」
話の区切りがついたところで、僕は机の上に置かれたアイスコーヒーに手を伸ばし、口をつける。アイスコーヒーはほんの少し温くなっていて、時計の針を見てみると、それなりに時間が経っていた。
その後は、夏花から泉の連絡先を教えてもらって、最後に一つ、あるものを僕は見せてもらった。
「これ、唯一お姉ちゃんが私に送ってくれた写真なんです」
そう言って夏花が僕に見せてくれたのは、あの島の、夕暮れ時の海辺を捉えた写真であった。その写真の橙色に染まった砂浜の上に、ポツリと小さな人影があったが、それはどうやら僕の後ろ姿らしい。
「この写真が送られて来た時、こんなにも綺麗な場所があるんだなって、そう思いました。遠坂さんと初めて会った時、ああ、これがお姉ちゃんが見ていた景色なんだって」
美しい光景。この光景を捉えたのは、誰でもなく夏葉なのだと思うと、どうして僕だけ今この場所にいて、この先にも僕しかいないのだろうかと、目を閉じてしまいたくなる。
どうやら、僕の瞳はあまり良い代物ではないのだろう。だって、僕の記憶の中にある夕暮れ時の海辺よりも、この小さな長方形の枠に収まった景色の方が不思議なほど美しく見えたのだから。現実は確かに美しくて、美しい一瞬一瞬が、途絶えることなく続いているのだが、ただ単に僕の瞳が欠陥品だというだけで、それら美しい一瞬というものを捉え切ることが出来ていないだけなのではないのかと、そんな事を思う。
夏葉の瞳はどうであったのだろう。夏葉は、こんな景色を瞳に映していたのだろうか。
結局、僕は知らないのだ。夏葉がその瞳でどのような景色を見て、何を思っていたのかを、僕は知らない。
「綺麗ですよね」という夏花の呟きに、僕は何も言葉を返すことが出来なかった。ただ、ジッとこの写真に写る自分の後ろ姿を眺めていた。
夏葉の視線を、あの時のまま残している写真の一部になることが出来ている自分がいる。そんな自分自身が、今の僕には、とても羨ましく映るのだった。
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