3-3

『久しぶり。中学の時に同じクラスだった遠坂です。最近、夏葉の妹だという子からメールが届いていると思います。その子は本当に夏葉の妹だそうです』

 そこまでメールを書いたところで、なんだかその文面がとても白々しく思えた。だから、書いた文章を消し去って、もう、単刀直入にメールを送ることにした。

『久しぶり。遠坂です。直接会って泉と話したいことがあるんだ』

 メールを送ってから返信が届くまですぐであった。返って来たメールの内容は、『本当に私の知っている遠坂?』というものだ。僕はベッドに背中を預け、暗い部屋の中、青白く光る画面に映る想像通りの文面に対し、たった一言、僕と泉にしか理解することの出来ない言葉を返す。

 それから間を空けることなく『なら、最近届いていた夏葉の妹、っていう子も本当だったのね』という文章が帰って来た。どうやら、僕のことを信用してくれたようで、僕もすぐに『そうだよ』と言葉を打ち、その言葉の後に、詳しい事は直接会って話がしたい、僕と夏葉の妹と一緒に会いに行くから、都合のつく日にちと、待ち合わせ場所を教えて欲しいと書いてメールを送った。泉からは短く『いいわよ』という返事の後、今から五日後の午後一時、会うのならここ、という場所を指定してくれた。その場所というのは、一度中学の時に、夏葉と泉と一緒に訪れた場所だった。メールの最後には『ちょうどいい場所でしょう』という一言が添えられていて、僕はその通りだと思ったから、僕は『そうだね』と返信した。そうして、以降は泉からメールが届くこともなく、それで泉とのやり取りは終わりを迎え、僕は携帯電話を置いて暗い天井をジッと見つめた。

溜息が一つ、自然と口から漏れ出る。夏葉が死んでから、泉とは碌に話もせず、関わりもなくなっていたのに、先ほどのたった数通のやり取りで、五日後に泉と会うことになったのだ。なんだか現実感というものがまるでない。泉とやり取りをしたメールの文面を眺めても、それこそ小説か何かを読んでいるような、僕には全く関係の無い言葉のやり取りであるかのように映る。

ただ、その言葉の中で、『蓮華公園』という単語だけが、確かな意味と色彩を持って僕の目には映っている。

 それは、中学一年の、夏休みが始まる直前のことだった。終業式を終え、成績表を渡される前の休み時間に、夏葉が「せっかくの夏休みなんだから、どこかに遊びに行こう」なんて、僕と泉に声をかけて来たのだ。誰かとどこかへ遊びに行くだなんて、それまで経験のなかった僕は、無邪気な笑顔でそう行ってくる夏葉に対してどう答えていいか分からぬまま、「えっと、」なんて言葉を濁していて、その間に泉の方が、「どこかに遊びに行くって、どこに行くの? この島、遊ぶ場所なんてないよ」と、読んでいた本を閉じながら、夏葉の顔を見てそう言った。

「だから、島を出てどこかに遊びに行けばいいんだよ。でしょ?」

「そうね」

「菜月ちゃんは島を出てどこかに遊びに行ったりはしないの?」

「あまりしないわね。島の外に出かけるとなると、それなりに時間がかかってしまうから」

 そんな具合に夏葉と泉が話をしているのを、窓ガラス越しの空を眺めながら聞いていると、急に夏葉が「遙生君は?」と楽しそうに笑いながら尋ねて来る。そう言えば、僕はこの島にやって来てからと言うもの、一度も島の外に出かけたことがないことに気が付いて、「行ったことない。島の外に一度も出たことがない、気がする」と答えると、泉が「遠坂っぽい」と反応をし、夏葉は「なら私と一緒だ! 私も外に遊びにいったことないんだ!」なんて、やたらと嬉しそうに声を弾ませた後、「じゃあ、決定ね! 一緒に遊びに行こう!」と、夏葉の一声で島の外へ遊びに行くことが決まると同時にチャイムが鳴って、僕は夏休みを迎えたのだ。あれからもう四年ほど経ったなんて嘘みたいだ。四年前までは確かに夏葉は生きていたなんて、なんだかもう、僕は自信がない。

 夏葉と泉と遊びに行く。その約束をした時、僕はそれほど楽しみだとは思わなかった。ただやって来たのは、憧れの先にある不安であった。憧れがなかったわけではない。それこそ、ショーケース越しのおもちゃに向ける視線に似ていて、ずっとそんな風に見て来たものだから、いざそれが手に入るのだとなると、不安の方が大きかったのだ。島の中で誰かが遊んでいる様子ですら僕には全く違う世界の光景のように感じられたのに、それを今度は僕が、しかも島の外でするなんて、そんなもの僕に扱いきれるのか、不安で仕方がなかった。

 遊びにいく日付と、どこに行くのかも決まって、実際に遊びにいく前日の夜、僕は見知らぬ場所で夏葉と泉と時折笑いながら話をしているところを想像したが、なんだか、それは絵空事か何かのようで、もう数時間後には、そんな光景の一部になっているのだというのが、どうにも僕には信じられずに、何度も寝返りを打って、知らぬ間に眠り、知らぬ間に朝を迎えたのだった。

 そして当日。僕は夏葉と泉と共に船に乗って島の外に出て、いくつかの公共交通機関を使ってちょっとした街に遊びに出かけた。

 ただ、僕の不安が消えるわけもなく、船に乗り段々と島が小さくなっていくごとに、むしろその不安は大きく膨れ上がり僕の胸の内を満たしていった。

街に辿りついた時の心境と言えば、中学生になって初めて教室の扉を前にした時と似たようなもので、僕の表情といえば、きっと学校に行く前に家の洗面所の鏡で見た時と同じものであっただろう。

 一方で、度々街へは一人で訪れていたという泉はいつもと変わらぬ表情で街に溶け込んでいた。

そんな中、意外だったのは、夏葉の表情にどこか緊張のような色が浮かんでいた点だろう。僕はてっきり、「さあ遊ぼう!」なんていつもみたいに目を輝かせるのかと思ったが、その時の夏葉の目は、人混みのさらに先を見据えているようで、そんな夏葉の様子を見た途端、スッと僕の中にあった不安だとか、そういうものが消え去った。ただただ、そんな夏葉の様子が不思議になってしまったのだ。だから、僕は思わず夏葉に「どうしたの?」と尋ねたのだ。すると、夏葉は「いやぁ、ちょっと驚いちゃった、みたいな?」と、いつか見たことのある、苦笑いを浮かべてそう答えた。その時、僕は人の多さに夏葉は驚いたのかと思った。でも、今改めて思い返してみるに、夏葉が驚いたのは、もっと別の何かではなかったのかとも思う。あの時、すでに夏葉は自分が死んでしまうことを知っていたのだと言うのなら、もっと、あの時見せていた表情や言葉には抱えきれないほどの重みがあったのかもしれない。

 そんな僕と夏葉を、「とりあえず、ご飯でも食べに行く?」と引っ張ってくれたのが泉だった。眠たそうな目つきは相変わらずであったが、色々と人の思いだとか、空気感のようなものには敏感なようで、街についた直後は泉に連れられて飲食店に行って、そこでご飯を食べているうちに夏葉もいつもの調子を取り戻し、僕も僕でほんの少し不安が和らいで、気が付けばいつものような調子で僕達は話をするようになった。

 それからは、夏葉がしたかったことに僕と泉は付き合った。服を見に行ったり、雑貨を見たり、ゲームセンターで遊んだり、それこそ、どこにでもいる中学生が普通に遊んでいるかのような時間を過ごした。ゲームセンターで撮ったプリクラを、実は僕はまだ持っている。結局最後まで何かに貼ることもなく、そのままの形で机の引き出しに仕舞ったままになっている。

 ひとしきり遊んだ後、「疲れたぁ」なんて満足そうな表情を浮かべた夏葉を連れて最後に訪れたのが『蓮華公園』であった。

その『蓮華公園』というのは、街から電車で二、三駅の所にある、大きな金魚の形をした池が特徴的な自然公園だ。金魚の形をした池の、ちょうど背鰭にあたる背後に深緑深い山があり、池の周囲は石畳の歩道が整備されていて、実際に行ってみると、どうやらボートも貸し出されているらしく、自然公園にやって来てすぐの所にボート乗り場があり、実際に池の上にはいくつかのボートが浮かんでいたのを覚えている。

夏葉の性格からして、「ボートに乗ろう」なんて言い出すと僕は蓮華公園に来て真っ先に思ったが、夏葉は一人、「ちょっとあそこで休んでいるよ」と、ボート乗り場のすぐの所にあったベンチを指さすのであった。

泉が「大丈夫?」と夏葉に尋ねると、夏葉は微笑みながら「大丈夫、ちょっと疲れちゃった。それよりも、せっかくなんだから、二人でボートでも乗って来なよ。ここで待ってるからさ」なんて、僕と泉の背中を押すもので、僕も泉も全くボートに乗る気など無かったのに、夏葉に強引に押される形でボートに乗ることになった。実際にボートに乗って振り返ると、ちょうど夏葉が僕達の方に手を振っていて、僕も泉も、小さく夏葉に手を振り返し、ボートを漕ぎ始めたのだ。

思えば、二人きりで泉と話をしたのは、あの時が初めてであった。そんな事を泉も思ったのか、「遠坂と二人で話すのは初めてかもしれないわ」と、まず初めに泉が口を開いたのだ。それに対し「そうだね」と答えると、泉は「小学一年生の時から知っているのに、なんだか可笑しいわね」なんて笑ったのだった。

 それからは自然と夏葉の話になって、まず、お互いにどうやって夏葉と話をするようになったのか話をした。僕は、三月下旬頃から夕暮れ時の海辺にいたら夏葉に声をかけられ、声をかけられてからは、ほとんど毎日夕暮れから夜にかけて海辺で話をするようになったと話をした。それに対し、泉は「どんな話をしたの?」だとか、「その時の夏葉の様子は?」だとか、そんな事を尋ねて来て、その時、僕は泉からの質問に答えながら、なんだかあの、夕暮れ時の海辺で夏葉と話し込んでいたのが随分と昔のことの様に思えたのを良く覚えている。

一方で、泉が夏葉と初めて会ったのは、当たり前であるが中学校の入学式が行われた日であった。入学式が終わった後、教室で担任の先生から「転校生がいます」と紹介されたのが夏葉であった。その時の夏葉の様子を聞くと、やはり僕が想像していた夏葉とは全く違っていて、僕は明るくしっかりとした口調で自己紹介をし、自然とクラスに溶け込んでいく夏葉を想像したが、泉が言うには、転校初日の夏葉は終始緊張した様子であったという話だった。

「話をするようになったのは、次の日夏葉が図書室に本を借りに来た時からね。それから教室で話をするようになっていったわ」

 泉はボートを漕ぐのをやめ、ジッと僕のことを見るものだから、僕もボートを漕ぐのをやめて「なに?」と尋ねると、泉は一言「夏葉と遠坂は、似ているわね」と、そう言った。その言葉の後、僕の反応を待つことなく「私と夏葉も、きっとどこか似ていると思っているわ」と、そう付け加え、再びボートを漕ぎ始めるのだ。

 泉は視線を水面に移すものだから、僕もつられるように水面に視線を移すと、ちょうど水面に映る泉と視線があった。それから泉はポツリと、「でも、私と遠坂は似た者同士ではないでしょうね」と、小さいけれど確かに聞こえる声でそう言ったのだ。

 僕は、それは本当のことだと思った。きっと、夏葉がいなければ僕は泉とあのようにどこかへ出かけることもなかっただろうし、あのように二人で話をすることもなかっただろう。実際、夏葉が死んでしまってからというもの、僕は一切泉と話をしなくなったのだから。

「私、遠坂と何か二人だけで話をすることはしないと思うわ。仮にする時があるのだとすれば、今みたいに、夏葉について話をする時なのでしょうね」

 ボートを漕ぐ泉は、しっかりと僕の顔を見てそう言ったのだ。それに対して、僕はその通りだと思ったから、「だと思うよ」と、やはりボートを漕ぎながらそう言葉を返した。

 実際、その日以降泉と何か二人で話をする時は決まって夏葉に関することであった。思い返せば、僕は泉と何かプライベートに関する話をしたことは無い。唯一あったとすれば、本に関する話くらいで、でもそれは夏葉と一緒に本の話をする中で自然と泉と会話したくらいのもであった。

 僕と泉が二人きりで顔を合わせて話をする時は、決まって夏葉の話をする時。自然と、そんなルールが僕と泉の間で出来上がっていった。

『夏葉の話をしよう』

 だから、泉に僕を僕だと信じてもらうためには、経ったその一言で充分だった。その一言は、他の人から見ると、何の変哲もないものに映るだろう。しかし、僕と泉との間では違う。この一言に、僕と泉の関係というのがどういうものか、これまで過ごしてきた時間と共に刻み込まれている。

 そして今回も、やはり僕は夏葉の話をするために、数年ぶりに泉に会いに行くのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る