1-3

「…………」

 東側の、中学時代を過ごした校舎。西に建つ校舎から東に建つ校舎へ目を移した途端、僕はたまらなくなった。

「どうして……」

 戸部夏葉の姿が、ずっと遠い場所に浮かび上がる。見えるのは彼女の儚い後ろ姿だ。

 どうして、何も言わずに死んでしまったのだろう。言葉にならぬこの思いを、とにかく声にして叫び散らしたくなる。でも、その声の行き場所なんてどこにもないのだから、校門から手を離し、何もかもを振り切るように走った。

 もう会えない。決して会うことは出来ない。数年前は、この島で、あの校舎で、この道を一緒に歩いて、笑ったり、下らない話をして、君は僕のすぐ傍にいたというのに、どうしてたった数年という時間で、こんなにも変わってしまったのだろう。

 どうして何も言ってくれなかったのか。その所為で、僕は未だに君の死を受け入れることが出来ていない。君はまだ生きていて、初めて会ったあの時の様に、前触れもなく僕の目の前に現れるものだと思っている僕がいる。それを望んでいる僕がいる。

 夏葉が僕を救ってくれたのだ。唯一夏葉だけが、僕にとって本当に心を許すことの出来る相手だった。だからこそ、こんなに辛いのだ。辛く虚しい。学校へ行けなくなって、外にも出られなくなってしまった小学生の頃よりも、ずっと今の方が息苦しい。君に出会った中学一年の春。それから中学三年までの夏までが、僕にとって幸福な日々であった。幸福な日々であったのに、今はその幸福な日々がどうしようもなく僕の首を絞める。幸福な日々でさえも、こんな風に悲しさを纏うようになるというのなら、結局僕は後悔と悲哀に満ちた記憶を積み上げて行くことしか出来ないのだ。そして、これから先も、この苦しみを背負いながら、さらに後悔と虚しい記憶を積み上げて行くというのなら、どうやってこの先を歩んでいけばいいと言うのだろう。

 かつて、自分の殻の中に閉じこもっていた僕を無理やり連れ出してくれたように、今この瞬間、君が現れて僕をこの暗い場所から連れ出してはくれないだろう。

 もうすぐ夜明けだ。空が白んできた。走って、とにかく走って、島中を走って、そうしてたどり着いたのは海だ。昔、祖父が釣りに連れて行ってくれた海。この島で暮らしていた頃、何か悲しいことがあった時は決まって砂浜に座り込んで海を眺めていた。そして、夏葉と初めて出会ったのもこの場所だ。

 薄れゆく記憶と、もしかしたらという淡い期待。もう限界だと言うのは僕がよく分かっていた。これまでは、生きなければならないという、良く分からない義務感を支えに生きて来た。ちょうど、学校に行かなければならないという義務感を支えにかつて学校へ行っていたのと同じように。でも、祖父母がいなくなって、夏葉がいなくなって、この島を離れて、段々と、かつての記憶が薄れて行くと同時に、生きなければならぬという義務感も消え去っていった。

 美しいと、そう思った。白んだ空と、段々と青を増していく海の様が、決して時は止まらないのだと伝えてくる。その、美しいまでの残酷さが、たまらなく悲しかった。

 その美しさに手を伸ばせば、あるいは夏葉に会えるのではないのかと、走った事で熱を蓄えた足は、自然と海へ向かう。

 体中の熱が、朝を迎える海に溶け込んでいくようで、もういっそのこと、このままこの波に攫われ、どこか遠くの、僕の知らぬ場所へと連れて行ってはくれないだろうか。

 その時だ。どこかで聞いたことのあるような声を聞いて、振り向いた時には誰かが僕の手を握っていた。

「何をしているんですか」

 その声に聞き覚えがあった。でも、僕が求めていた声と比べ、随分と物静かな声色だった。そして、その顔を見て僕は自分の目を疑った。

 夜明けを告げる朝日に照らされたその姿は、僕がずっと待ち望んでいた人そのものだった。

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