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海の音に耳を傾けながら、暗い道を進んで路地に入り、島の中央を目指す。路地に入って、それから出来る限り昔と同じ歩幅でゆったりと進んで行く。この路地の先に待っているのは、僕がかつて通っていた小中一貫の学校だ。まずは、そこを目指そうと思った。
この狭い路地を駆ける潮の香りが遠い日々を呼び起こす反面、この路地は僕の知らぬ場所へ続く、全く歩んだことのない道のようにも感じてしまう。それはきっと、僕の記憶の中にある光景と、今見ている光景との間に開きがあるからなのだろう。僕の中にある路地はこんなにも狭くなかった。僕の中にあるこの廃屋はこんなにも色の無い空き家ではなかった。良く通っていた駄菓子屋はもう潰れてしまっているし、路地を一緒に歩んでくれる人もいない。そういった些細な違いが、確かな違和感となって影を落としていく。
まるで間違い探しをしているようだった。その間違いを探し当てることで、変わることのないかつての日々と、変わりゆく僕との距離を埋めるかのように、少しずつ記憶が蘇って来る。
小学生であったあの頃の僕は、とにかく毎日が辛かった。蘇って来たのは、そんな漠然とした思いだ。僕はこの島で祖父母と共に暮らしていた。両親は仕事が忙しいからと言って、それぞれ遠くの場所で働いていたのだ。僕が小学生であった時に両親と会ったのは、本当に両手で数えられる程度のもので、僕は未だに両親との距離を測りかねている節がある。両親を両親と思うことが出来ず、どう接していいのか分からないのだ。それは僕が思っている以上に根深く根付いているようで、高校生になった今も、僕は両親と一緒に暮らすことなく独り暮らしをしている。加え、どう接していいのか分からないのは何も両親に限った話では無くて、小学生の頃の僕は、どう人と接していけばいいのか良く分からなかったのだと思う。
二十人程度の赤の他人が一つの教室に押し込まれ共に時間を過ごすというのは、僕にとっては耐え難い苦痛でしかなかった。低学年の頃は、「苦しい」と自覚していたとは言い難い。ただ毎日同じ道を歩いては大勢の他人と長い時間一緒に過ごすことに対し、恐怖だとか、不安だとか、そういう暗い感情を抱いていた。そんな暗い感情を小さな体に押し込めて、ジッと大人しく机にしがみつく様に一時間、一時間を過ごしていたように思う。どうして皆、あんなにも楽しそうに笑って日々を過ごすことが出来ていたのか理解できなかった。どうしてそんなにも他人と笑って言葉を交わすことが出来るのか理解できなかった。時折誰かが僕に話しかけて来たこともあったような気がするが、僕はその度に自分自身をどこか遠くから眺めているような心地になって、気が付けば「面白くない奴」なんて言われていて、結局誰も僕に話しかけては来なくなった。
業間休みや昼休みがとにかく苦痛だった。皆は外へ行き、僕だけが教室に取り残されて、「皆」と一緒に居られない自分が欠陥品であるような気がしてならなかった。担任の先生から「遙生君は外でみんなと遊ばないの?」なんて声をかけられるのも、なんだか自分は他の皆とは違うと先生から言われているようで、それがとてもいけない事のような気がしてならなかった。それでも僕はどうしたって他人と分け隔てなく接することが出来ずにいて、本当、学校と言うのは僕にとってただただ居心地の悪い場所でしかなかったのだ。
学校に居場所がなくたって家があるだろうと一定数の人は思うかもしれない。でも、生憎当時の僕にとって家も居場所ではなかった。少なくとも、小学校低学年までは祖父母のいる自宅に対しても居心地の悪さを感じていた。別に祖父母のことを嫌っていたという訳ではない。ただ、祖父母も僕に気を使っているのだということがそれとなく分かってしまって、それが何だか、この家は僕の居場所ではないのだと伝えて来るような気がしてならなかったのだ。ここは僕の家ではない。言うまでもなく祖父母は決して両親ではないのだ。すぐに馴染めるわけもなく、しばらくの間はそんな風に、互いに気を遣いながら日々を過ごしていたように思う。
ただ、本当に祖父母は僕を大事にしてくれたと思う。祖父母はどこまでも優しかった。学校が休みの時、祖父はよく僕を海へ釣りに連れて行ってくれたし、祖母は毎日美味しいご飯を作ってくれた。祖父母は「遙生は本当に良い子だ」と同じような口調で、同じように僕の頭を優しく撫でながら、よく笑ってくれていた。
小学三年生、四年生になると、少しずつ自分自身のことも分かって来るようになるもので、大勢の他者と一緒に過ごすことに対し、僕は「苦痛」を感じるのだと自覚し始めたのもこの辺りからだった。学校での日々は変わらずに、教室に居場所は無いものだから、自然と人が集まらない図書室で休み時間を過ごすようになって、昼休みの間、図書室にいるだけではとても退屈で仕方がないから、自然と本を手に取るようになった。僕が読書好きになったのは、おそらくそれからだと思う。
本には登場人物の心情が書かれている。だから、人の声もこんな風に直接感情を伝えてくれたらどれほど良いものかと、当時そんな事を考えていたのを良く覚えている。でも、現実はそうでは無くて、どうしたって相手が何を考えているのか知ることは出来ない。だから、何か変なことを言ってしまっては相手を怒らせてしまうかもしれないし、上手く答えられなかったら、また「面白くない奴」と言われてしまうかもしれないと、そんなことが頭に浮かんで、より一層僕は人と接することが出来なくなった。簡潔に言えば他者が怖かった。何を考えているのか分からないから、どういう言葉を以て会話をすればいいのか全く分からなかった。だからこそ、周りのクラスメイトが不思議で仕方がなかった。どうしてそんなにも、何一つ疑うことなく楽しそうに話をすることが出来るのだろうかと、僕には理解できなかった。
当時の僕が、それでも学校に行くことが出来たのは、行かなければならないという義務感があったからだ。今にして思えばなんだか可笑しな話だけれど、本当に当時はそんな義務感一つで苦痛に耐え、毎日学校に向かっていたのだ。学校に行かなければ、何かとんでもないことが起こるような気がしてならなくて、ならば苦痛に耐えた方が良いと、そんなことも考えていたように思う。
しかし、その義務感や恐怖心は、小学四年生の冬の日、些細なきっかけでどこかへ消えてしまった。その些細なきっかけというのは風邪だ。僕は風邪を引いて一週間ほど学校を休んだのだ。夏休みでもなく、冬休みでもない、何でもない時期に一週間ほど学校を休んだことで、ああ、学校に行かなかったとしても、日常は変わらないのだと思った。そして、そう思った瞬間、それまで大事に握りしめていた義務感のようなものはスッと消えて行って、風邪が治った後も、学校に行ったりいかなかったりを繰り返すようになった。
良いのか悪いのか、そのことを祖父母は別段咎めなかったのだ。それどころか、「無理をしていく必要はない」「遙生のペースで良い」と、そんな言葉をかけてくれたことを覚えている。本当に祖父母は優しかった。風邪を引いた時、祖父母はずっと僕のことを看病してくれていて、卵を混ぜたおかゆや、すりおろしたリンゴなんかを作ってくれて、ああ、本当にこの人達は僕のことを心配してくれているのだと思い、そんな祖父母の優しさを素直に受け入れることが出来るようになったのも、その風邪を引いた後からだった。
学校を休みがちになって、外に出られなくなった。それでも時々学校の保健室に行っては勉強を教えてもらい、休み時間は誰とも話さずに図書室で本を読み、小学五年生から、到頭小学校を卒業するまでそんな風に日々を過ごす様になった。だから、小学生であった僕にとって、学校に対する思い出など皆無なのだ。読んだ本の内容くらいしか覚えていない。
「…………」
この通学路も、数えることが出来ないほどこれまで往復してきた。当時の僕は、何を思いこの道を歩んでいたのだろう。進んで行くうちに、次第に周りの家屋が無くなっていき、代わりに入道雲のような山を背に小学生時代を過ごした校舎が顔を出す。
校舎は二棟。東側にある校舎は三階建てで、西側にある校舎は四階建て。小学生の頃は西側の校舎を利用していた。
当然だけれど、校門には鍵がかけられていて、とても校舎の敷地内に入ることは出来そうにない。可笑しなもので、この学校はつい数年前までは当たり前のように行き来できた場所であったのに、ある時を境にそう易々とは行けない場所になってしまった。
暗い夜に浮かぶ校舎を眺めていると、否応なしに昔の日々が呼び起こされる。その日々を思い出すために僕はこの島に来たというのに、やはり虚しくなって、それでも下唇をジッと噛んで、耐えるように校舎を視界に収めた。
出来る事ならば、もう一度祖父母の家に行きたい。結局僕は、最後まで祖父母にありがとうと言えなかった。こんな僕を優しく育ててくれてありがとうと、言えなかった。でも、もう何もかもが遅いのだ。祖父母はもういない。祖父母と暮らした家も取り壊された。
そして、彼女と会うことも叶わない。
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