さようならをもう一度
青空奏佑
第一章
1-1
どこにも繋がってなどいないのだ。
あるいは、この島は足を引き千切ってしまったかのかもしれない。
二年ぶりに訪れたこの島は、何一つ変わってなどいなかった。
島を囲う海の音。その音は段々と並ぶ家屋の隙間を縫うように昇り、あらゆる路地を抜け、そうして中央に聳える入道雲のような山へと辿り着く。その山から聞こえる蝉の鳴き声は、昇り行く海の音に答えるように島中を駆け巡っていた。
そして、その山の上の、さらに遠くの上空には、澄んだ空気を裂くように月と星が輝いている。
そんな純潔な夜空の美しさと、青々しい夏の夜の空気は、柔らかな力を以て僕の喉元を掴みかかるようで、スッと、何かが僕の元から遠ざかって行くのが分かった。ああ、まただと内心思いながら、それでも僕は、ジッと夜空を見上げることを止めることは出来そうになかった。
きっと、出来る事なら僕もこの島と共に歩みを止めてしまいたかったのだ。この足を引き千切って、高校の繋がりだとか、社会との繋がりだとか、未来への繋がりだとか、あるいはもしかしたら過去との繋がりさえも、僕は引き千切ってしまいたいのかもしれない。そうして、血を流しながら引き千切って、遠く遠くの、あの夜空よりも遠い場所へ向かいたかった。
旅路の前にこうして過去を振り返ることを許してほしい。ありとあらゆるものを捨て去って、そうして残ったものはやはりあの日々だった。もう二度と戻らぬあの日々を、何も変わらぬこの島を通して鮮明に思い出したいと思った。あるいは、取り戻したいと思った。それを誰かは女々しいと嘲笑うかもしれないが、どうかそんな僕を許してほしい。
この島で過ごした日々は、お世辞にも楽しいことばかりだったとは言い難い。嫌なことは沢山あった。でも、そんな多くの嫌な日々を塗り替えてしまうほど、わずかに幸福な日々があったのだ。そのわずかにあった幸福な日々だけを忘れぬよう、無くさぬよう、これまで大事に抱えて生きて来た。中学を卒業して、高校に通うためこの島を出て行ったあの時も、船に乗りこの島を外から眺めながら、遠くに置いてきた日々を眺めていた。
時の流れは残酷だと、そんな言葉をいつの日か誰かから聞いたか、あるいは目にしたことがある。その言葉の意味するところをこの島を出た後に実感した。この島から離れ新しい場所で日々を過ごし、夜になりベッドの上で眠り、布団を頭まで被って昔のことを優しく撫でるように思い出す。忘れぬようにと思い出すも、眠るごとに着々と何かとても大切な物をボトボト落としているような心地になった。残酷なまでに歩みを止めぬ時間というものは、ゆったりとした歩幅でかつての日々との距離を広げて行くようだった。
そのことが酷く辛かった。ああ、変わって行ってしまうのだと、確かな実感を伴って日々奥底にある小さなガラス玉を蝕んで行くのが良く分かった。
だからこそ、僕はもう一度この島に来たくなった。この島に来たところできっと酷く虚しくなるだけだと分かっていながら、それでももう一度、かつて日々を過ごした場所を歩きたかった。
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