5-4 出逢い

 足音のリズムは、徐々に軽快に速まっていき、こちらへ小走りで駆けてくる。

 この御山おやまかくまで、足を踏み入れる氏子うじこは滅多にいない。最奥さいおうまでやって来るのは、家主やぬしである神主かんぬしか、その変人と交流がある中学生くらいのものだ。

 振り返ると、林立する木々の陰で、黒いブレザーと緑色のスカートがひるがえった。暗緑色あんりょくしょく臙脂えんじのラインが入った、チェック柄のスカートだ。深い森の中で見え隠れする少女は、身のこなしが軽かった。無駄のない動作に合わせて、長いポニーテールが大きくたわむ。柊吾もスポーツにおもきを置いた日々を送ったので、少女の運動神経の良さを一目で見抜けた。和泉が、庭の七輪しちりんのそばで「ああ」と呟く。

「やはり、戻ってこられましたか。さすが、スポーツを得意とする娘さんは、走る姿が美しいですね」

「イズミさん。その発言、変態っぽい。……知り合いですか?」

「ええ」

 楽しそうに答えた和泉いずみ双眸そうぼうに、意味深な光が宿った。

「ようやく、出逢であうのですね。君たちは。……面白い」

「え?」

 謎の台詞せりふ真意しんいを、柊吾が問い質そうとしたときだった。鎮守の森を駆けてきた少女が、ついに姿を現した。ローファーを履いた足が、ざっと音を立てて止まる。枯れ枝がパキンと折れる音が、冬の御山に響き渡った。

 柊吾と和泉いずみがいる庭の真正面、小さな泉を挟んだ向かい側に、一人の少女が立っていた。首に巻きつけた灰色のマフラーと、背中の中ほどに毛先が届くポニーテールが、冷えた風になぶられている。なぜか驚きの表情でたたずむ姿を見つめた柊吾は、思わず「あ」と呟いて、縁側から立ち上がった。

 少女の制服に、見覚えがあったのだ。黒のブレザーに緑のチェック柄のスカート。同じ制服を着た女子生徒と、柊吾は一度だけ会っている。昨年の三月に起きた『鏡』の事件の後始末あとしまつで、熱を出して倒れた篠田七瀬しのだななせの代わりに、七瀬の友人だという他校の女子生徒が待つ袴塚西こづかにし駅へ、撫子なでしこと共に向かった日のことだ。

「ってことは……袴塚こづか中の奴?」

 口をいて出た言葉に、少女が反応を示した。在籍ざいせきする学校を言い当てられて驚いたのか、それともこの御山に見知らぬ中学生がいて困惑したのか、硬い表情がさらに硬くなる。柊吾も困惑にとらわれながら、初対面の少女と見つめ合った。

「……」

 ――ここに、何の用がある? きっと互いが、同じ疑問をいだいていた。柊吾にとって少女がここにいる理由が不明なように、少女にとっても柊吾がここにいる理由が不明なのだ。猜疑さいぎに満ち溢れた沈黙が流れ、やがて少女が口火くちびを切った。

和泉いずみさん。……忘れ物を、取りに来ました」

 御山の清浄な空気を叩くように告げられた言葉は、微かな警戒を含んでいた。おそらくは、柊吾を警戒しているのだ。不躾ぶしつけな態度にむっとして眉根を寄せると、相手もこちらの苛立いらだちを拾ったのか、中性的な目鼻立ちの顔に、うっすらとだが、倦厭けんえんの色がほの見えた。

 そんな両者を交互に見た和泉いずみが、くすりと笑い声を立てた。面識のない猫同士を同じケージに入れて、双方そうほうの反応を見てたしめながら、同時に愉快に思っているような、悪趣味なずるさを見た気がした。柊吾は和泉を睨んだが、対する和泉はどこ吹く風で、泉のほとりで立ち尽くす少女に話し掛けた。

「すぐに戻ってこられると思っていましたよ、和音かずねさん。どうぞこちらへ。ああ、彼は怪しい者ではありませんよ。袴塚西こづかにし中学校に通う三年生の、三浦みうら柊吾君です。貴女の友人である綱田毬つなたまりさんの、友達の友達ですよ」

 なんて珍妙ちんみょうな紹介をしてくれるのだ。柊吾は脱力したが、気抜けしたのは少女も同様のようで、胡乱うろんな目を和泉に向けている。

「友達の友達って……それって、もう他人なんじゃないですか?」

「そうとも言いますね。では、補足の説明をしましょうか。貴女あなたと、綱田毬つなたまりさんの友達……すなわち、東袴塚ひがしこづか学園に通う篠田七瀬しのだななせさんの友達が、こちらの三浦柊吾君です」

「七瀬ちゃんの?」

 少女が、目をしばたいて柊吾を見る。柊吾は、まだ人間関係を正確に把握しきれていなかったが――どうやらこの少女は、七瀬の友人のようだ。

「篠田のダチが、なんでイズミさんに会いにくるんだ?」

「柊吾君、それは僕に失礼ですよ。僕にだって、君の他にもともと呼べる人はいるのです。こちらのお嬢さんは、君と同じ三年生の佐々木和音ささきかずねさんです。昨年の十二月頃から呉野くれの神社に通ってくれるようになった、袴塚こづか中学校の学生さんです」

 佐々木和音ささきかずねと紹介された少女は、少し躊躇ためら素振そぶりを見せてから、泉のほとりからつかつかと歩いてきた。そして、玄関前を素通りして縁側までたどり着くと、和泉の隣に立つ柊吾の前で立ち止まり、す、と小さく頭を下げる。

 本当に挨拶なのかどうか疑わしい、不器用な会釈えしゃくだった。柊吾も軽くあごを引いて、我ながら形になっているのかさえ怪しい挨拶を、和音に返す。

「……」

 重い沈黙を、七輪しちりんで爆ぜる火の粉の音が際立きわだたせた。柊吾は元々、女子生徒と交流が多いわけではない。和音という不愛想な少女と何を話せばいいのか分からないが、この鎮守ちんじゅの森を出れば二度と会わないであろう相手に対して、過度に気を使う必要もないだろう。我ながら心が狭い気もしたが、先ほどの失礼な態度を根に持っているのかもしれなかった。

 和音のほうも、見知らぬ男子生徒と慣れ合う気はないらしく、和装の異邦人いほうじんしか見ようとしない。どんな態度を取られようと構わないが、それでも気分のいい態度ではない。とはいえ、むきになるのも馬鹿らしく、受験直前にらぬストレスをめたくないので、柊吾は無言をつらぬいた。

和音かずねさん、御守おまもりです。高校受験、気負わずに頑張ってきてください」

 和泉いずみが、着物のたもとから赤い御守りを取り出した。話し掛けられた和音かずねは、ホッと表情を緩ませる。「ありがとうございます。がんばります」と礼を述べて、頭を下げた背中から、ポニーテールが肩に流れた。律儀りちぎな受験生を見下ろす和泉いずみが、口角こうかくを上げた。柊吾は、不意に違和感を覚えた。

 理由は、不明だ。だが、なんとなく分かる。

 呉野和泉の雰囲気が、わずかだが――先ほどまでと、似ているのだ。

 ――〝イズミ・イヴァーノヴィチ〟と、似ているのだ。

「……。和音かずねさん。一つ、僕は貴女に言い忘れたことがあります」

 和泉の声音が、くらかげった。柊吾の肌が、ぞわりと粟立あわだつ。

「はい?」

 佐々木和音は、和泉を見上げた。ぞっとした柊吾に対して、こちらは何も感じていないらしい。神主の男を見上げる瞳に、くもりの色は欠片かけらもない。他人の柊吾でも分かるほどに、和泉に全幅ぜんぷくの信頼を置いた眼差しだった。和装の異邦人は、口ので笑った。嫌な予感が膨張して、柊吾は波乱を覚悟する。〝和泉〟が〝イズミ〟に変わるとき、そこに安寧あんねいは欠片もない。柊吾は、それを理解しかけていた。そして、予感は果たして的中した。

 神職の男・呉野和泉は、否、十八歳の感性を呼び覚まして、〝アソンデ〟いるかもしれない青年は――見せかけの平穏に一石いっせきを投じる言葉を、囁いた。

「佐々木和音さん。僕は以前に、貴女あなたが狙われていると言いましたが……どうやら貴女、狙いから外れたかもしれません」

「……え?」

「和音さん。……綱田毬つなたまりさんのことを、頼みました。よく気に掛けてあげてください。彼女の身の安全は、貴女にかっているかもしれませんよ」

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