5-3 イズミ

 身内を亡くして日が浅い人間に、取るべき態度ではないだろう。躊躇ためらいが心を引っ掻いたが、そんな理由で訊き渋れば、危険の度合いを測れない。

 ジレンマと格闘していると、意外というべきか案の定というべきか、和泉は優しく微笑んで、柊吾の葛藤を見下ろしていた。この男なら、そんな笑い方をするだろう。あまりにも予想通りの顔なので、肩から力が抜けてしまった。

「……なんか、張り合いねえっていうか。詰問きつもんするからには、イズミさんの反論くらいは、受け止めるつもりでいたんですけど」

「ほう。君は、僕に張り合いを求めますか。――では、期待に応えさせていただきましょうか?」

 和泉の目が、いっそう細められた。

 ぞくりと、背筋を冷たいものが駆け抜ける。一瞬、尋常ではない怖気おぞけを感じた。顔色を変えた柊吾へ、和泉は優美に微笑んだ。

 その笑みが、酷くいびつに見えた瞬間――〝言葉〟の勝負は始まっていた。

「柊吾君。何も苦しむことはありません。君が知りたいことは、実にシンプルです。君たち中学生諸君は、袴塚こづか市の花が異様な切られ方をしたという事件について、僕の妹の関与を疑っている。そうですね? ――まず一つ、僕から質問です。君は先ほど、事件の現場は克仁かつみさんの家の近くの公園だと述べました。しかし、たかだか一つの公園の花が切られた程度で、いささか騒ぎ過ぎではありませんか? 大した事件ではないように思えますよ?」

「!」

 性急な言葉の槍を向けられて、身が引き締まるような緊張を感じた。だが、怯んだのは一瞬だ。柊吾は、即座に反駁はんばくした。

「切られた本数が、一本、二本の騒ぎじゃないです。それに、この近くの住宅街でも、公園と同じ被害が出ています」

 平静を取り繕って応じたものの、心臓は早鐘を打っていた。和泉に屁理屈を持ち出されたら、柊吾では到底敵うまい。

 だからこそ、柊吾は万一の事態に備えたのだ。天邪鬼あまのじゃくな和泉にやりこめられそうになったとき、すぐさま反論できるように。肝心の内容を考えたのは拓海たくみ撫子なでしこだが、ともあれ備えに救われた。

藤崎ふじさきさんの家の近辺は、庭や軒先に花を植えている家が多いですよね。その辺りで花が咲いてる所は、ほとんど被害に遭っています。規模が結構でかいから、今日から警察が見回りに来るって話も聞きました」

 慎重に話しながら、学校で行われたディベートの授業を思い出す。クラスで二つの班に分かれた柊吾たちは、死刑制度の存続について議論する模擬戦に挑んだが、今の和泉との会話はまるで、議論の本番のようだった。

 学校でつちかった経験が、現実世界に生きてくる。新たな知識が強みに変わり、曖昧な輪郭しか持たなかった贋作がんさくのナイフが、本物にも似た切れ味を帯びる。いつしか、本物の武器に変わっている。

 大人からの教育は、本当に――思いもよらないところで、役に立つ。

 おかげで今、戦い方が、よく分かる。

「ほう、警察ですか。まだ事件の危険性が高くない段階で、どれほど真剣に動くやら。では、二つ目の質問です。この怪事、いつ頃に発生しましたか?」

「イズミさん、知ってて俺に訊いてるんじゃないですか?」

 柊吾は呆れたが、「昨日。三月三日」とすぐに答えた。

「三月三日よりも前に切られた可能性は、低いみたいです。公園と藤崎さんの家の周辺は、少林寺しょうりんじ拳法の道場があるおかげで、子どもや迎えの保護者がよく通るから。三月二日にはそんなことにはなってなかったらしいし、切られたのは三日の夜じゃないかって言われてます」

「三日の夜。……なるほど」

 和泉は、神妙に頷いた。言葉の槍はぴたりと止んだが、柊吾は気を抜かずに、和泉の反応を窺い続けた。この異邦人が、どれほど偏屈な思考の持ち主なのか、今こそ真に思い知った気がした。

 普通に会話している分には、和泉のこんな一面は目に見えない。

 それとも、この顔こそが〝イズミ・イヴァーノヴィチ〟なのだろうか。

 だとしたら、柊吾としては――こちらの和泉のほうにこそ、より好感を持てる気がした。厄介な相手だが、柊吾と同じ人間だ。そう漠然と思えたからだ。奇態な感じ方だと思う。和泉もイズミも、同じ人間には違いないのに。

「……柊吾君。いけませんね。言葉の鍔迫つばぜり合いの最中さいちゅうに、雑念に囚われているようでは、勝てる喧嘩も勝てなくなりますよ?」

 その声に、はっとした。和泉の雰囲気が、鋭利なものにすり替わった。

「三つ目の質問です。君たちは、僕の妹である呉野氷花くれのひょうかさんが事件に関与していると疑っていますが、柊吾君は本当に、彼女の関与を疑いますか?」

「……。どういう意味ですか」

「そのままの意味ですよ」

 和泉の笑みに、揶揄やゆが覗いた。今までに見たどの顔よりも、悪人面だと断言できる。反発と畏怖いふを覚えた柊吾は、異邦人の顔を睨みつけた。

 ――やはり、この男は〝イズミ〟のようだ。

 今年の夏には、拓海たくみしか面会が叶わなかった男が今、柊吾と二人で〝アソンデ〟いる。そして己が遊ばれていると気づいた瞬間、条件反射で腹が立った。少なくとも、こちらは〝アソビ〟で来たつもりはないからだ。

「はい」

 柊吾は、断言した。もし、この怪事が呉野氷花がらみなら――最悪の場合、事態は人命に関わりかねない。

 とはいえ、氷花が操る〝言霊〟は、数々の災いを招いてきたが、実際に人命を奪った瞬間を、柊吾は目撃していない。その所為で、氷花に対して怒りや殺意を覚えこそすれ、根っこの部分では危機感が希薄なのだと自覚もあった。

 無論、氷花がどれほど柊吾の友人たちを傷つけたか、片時も忘れたことはない。現に、撫子なでしこが酷い目に遭わされた。あのとき感じた殺意と怒りを、手放したことなど一度もなかった。

 ただ、呉野氷花という一人の少女の個性を思った時――氷花の言葉が、本当に人の命をも奪うのか。柊吾は時折、自問するようになっていた。

 時間の経過と共に、いつしか鮮烈さを失い始めた、殺意と怒り。色褪せていく激情に抗うように、危機感を繋ぎ止めようと躍起やっきになればなるほどに、柊吾の脳裏には仇討あだうちを止めようとした友人の顔がちらついて、歯痒さから舌打ちした。

 ――坂上拓海さかがみたくみ

 九年前の惨劇を、唯一その目で目撃した、柊吾の仲間。

 和泉が持つ異能によって、かつての悲劇を実際に見てきた拓海と、あとで昔話を聞いただけに過ぎない柊吾とでは、抱いた危機感に歴然とした開きがあった。それでも拓海の訴えが胸を打ち、柊吾には忘れられないのだ。

 ――元々、柊吾が呉野神社を訪ねたのは、今回の事件を知って顔色を失くした拓海の言葉が発端だった。代表で喧嘩を売りに来た以上、勝って帰らなければ顔が立たない。そんな意地を込めて、柊吾は和泉と向き合った。

「九年前の夏の事件で、この鎮守ちんじゅの森の花を切ったのも呉野だ。あのときと同じ切られ方をした花を見て、呉野を疑わない奴なんていません。兄貴のイズミさんがあいつを擁護ようごするなら、あいつは犯人じゃないって根拠を聞かせてください」

「そう言われると、弱りましたね」

 和泉は、のんびりと笑った。こちらの真剣さとは不釣り合いな和やかさは、まるで日向ぼっこ中の猫のようだ。

「調査中、とだけ言っておきましょうか。この怪事が本当に、氷花さんの遊戯によるものなのか。しがない神職しんしょくに過ぎない僕には、学校に潜入調査するすべなどありませんから。真相の究明は骨が折れるのですよ」

篠田しのだの事件のときには、堂々と中学に入ってたくせに」

「あのときは、氷花さんの保護者として呼ばれた立場でしたからね」

 柊吾が剣呑な目つきになると、和泉はくつくつと声を立てて笑った。どことなく、くらい笑い方だった。

 そして、その笑みを昏いと感じたのは、間違いではなかった。

「柊吾君。君は、僕を疑わないのですか?」

「は? ……イズミさんを?」

「氷花さんが異能を操れるように、僕もまた異能を操れるのですよ? ……花を切る。その程度の他愛のないこと。異能の有無に関わらず、誰にだってできることです。君が氷花さんを疑う理由は、状況が九年前に似ているという、その一点に尽きるのですよ。……模倣もほう犯の、可能性。それを、君は全く考えていないのですか?」

「……っ? も、模倣犯っ?」

 こんな議論のパターンは、全く想定していなかった。

 たちまち言葉に詰まった柊吾へ、和泉は勝者の笑みを見せた。なんて大人げない男なのだ。軽い殺意を覚えたとき、「僕は、氷花さんの模倣をして〝アソンデ〟いるのかもしれませんよ」と和泉は言って、縁側から腰を上げた。慌てた柊吾は、長身痩躯そうくに追いすがるように声を掛ける。

「ちょっ、イズミさん。逃げないでください」

「逃げませんよ。ここで餅を焼くだけです」

「それを逃げてるって言うんです。待ってください」

「君の負けですよ、柊吾君」

 振り返った和泉の顔は、優しい表情に戻っていた。

 青い瞳に慈愛を湛えた、いつもの呉野和泉の顔だった。

 柊吾は、もう一度舌打ちしたくなる。結局、逃げられてしまったのだ。

「イズミさん。俺たち、受験の準備で忙しいし、遊んでる暇なんかねえから、早く答えを教えてください」

「教えますよ、もちろん。ただ、君は僕のことをなまけ者のように感じていたようですし、退屈凌ぎに君と遊びたくなっただけですよ。大人のたわむれです」

 結局、遊ばれていたらしい。嘆息した柊吾へ、和泉が楽しげに言った。

「ですが、戯れにしても、少しばかり熱中して〝アソンデ〟しまった気がします。そのお詫びとして、君たちが安心できるように、知識を一つ授けましょうか」

「イズミさんって、本当に回りくどいです」

 悪態を吐いた柊吾は、ようやく話す気になってくれた異邦人を見上げて――動きを止めた。

 両者の間に、予想外の邪魔が入った。いち早くそれに気づいたからだ。

 ――さく、さく、と。枯葉を踏む足音が、遠くから聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る