5-3 イズミ
身内を亡くして日が浅い人間に、取るべき態度ではないだろう。
ジレンマと格闘していると、意外というべきか案の定というべきか、和泉は優しく微笑んで、柊吾の葛藤を見下ろしていた。この男なら、そんな笑い方をするだろう。あまりにも予想通りの顔なので、肩から力が抜けてしまった。
「……なんか、張り合いねえっていうか。
「ほう。君は、僕に張り合いを求めますか。――では、期待に応えさせていただきましょうか?」
和泉の目が、いっそう細められた。
ぞくりと、背筋を冷たいものが駆け抜ける。一瞬、尋常ではない
その笑みが、酷く
「柊吾君。何も苦しむことはありません。君が知りたいことは、実にシンプルです。君たち中学生諸君は、
「!」
性急な言葉の槍を向けられて、身が引き締まるような緊張を感じた。だが、怯んだのは一瞬だ。柊吾は、即座に
「切られた本数が、一本、二本の騒ぎじゃないです。それに、この近くの住宅街でも、公園と同じ被害が出ています」
平静を取り繕って応じたものの、心臓は早鐘を打っていた。和泉に屁理屈を持ち出されたら、柊吾では到底敵うまい。
だからこそ、柊吾は万一の事態に備えたのだ。
「
慎重に話しながら、学校で行われたディベートの授業を思い出す。クラスで二つの班に分かれた柊吾たちは、死刑制度の存続について議論する模擬戦に挑んだが、今の和泉との会話はまるで、議論の本番のようだった。
学校で
大人からの教育は、本当に――思いもよらないところで、役に立つ。
おかげで今、戦い方が、よく分かる。
「ほう、警察ですか。まだ事件の危険性が高くない段階で、どれほど真剣に動くやら。では、二つ目の質問です。この怪事、いつ頃に発生しましたか?」
「イズミさん、知ってて俺に訊いてるんじゃないですか?」
柊吾は呆れたが、「昨日。三月三日」とすぐに答えた。
「三月三日よりも前に切られた可能性は、低いみたいです。公園と藤崎さんの家の周辺は、
「三日の夜。……なるほど」
和泉は、神妙に頷いた。言葉の槍はぴたりと止んだが、柊吾は気を抜かずに、和泉の反応を窺い続けた。この異邦人が、どれほど偏屈な思考の持ち主なのか、今こそ真に思い知った気がした。
普通に会話している分には、和泉のこんな一面は目に見えない。
それとも、この顔こそが〝イズミ・イヴァーノヴィチ〟なのだろうか。
だとしたら、柊吾としては――こちらの和泉のほうにこそ、より好感を持てる気がした。厄介な相手だが、柊吾と同じ人間だ。そう漠然と思えたからだ。奇態な感じ方だと思う。和泉もイズミも、同じ人間には違いないのに。
「……柊吾君。いけませんね。言葉の
その声に、はっとした。和泉の雰囲気が、鋭利なものにすり替わった。
「三つ目の質問です。君たちは、僕の妹である
「……。どういう意味ですか」
「そのままの意味ですよ」
和泉の笑みに、
――やはり、この男は〝イズミ〟のようだ。
今年の夏には、
「はい」
柊吾は、断言した。もし、この怪事が呉野氷花がらみなら――最悪の場合、事態は人命に関わりかねない。
とはいえ、氷花が操る〝言霊〟は、数々の災いを招いてきたが、実際に人命を奪った瞬間を、柊吾は目撃していない。その所為で、氷花に対して怒りや殺意を覚えこそすれ、根っこの部分では危機感が希薄なのだと自覚もあった。
無論、氷花がどれほど柊吾の友人たちを傷つけたか、片時も忘れたことはない。現に、
ただ、呉野氷花という一人の少女の個性を思った時――氷花の言葉が、本当に人の命をも奪うのか。柊吾は時折、自問するようになっていた。
時間の経過と共に、いつしか鮮烈さを失い始めた、殺意と怒り。色褪せていく激情に抗うように、危機感を繋ぎ止めようと
――
九年前の惨劇を、唯一その目で目撃した、柊吾の仲間。
和泉が持つ異能によって、かつての悲劇を実際に見てきた拓海と、あとで昔話を聞いただけに過ぎない柊吾とでは、抱いた危機感に歴然とした開きがあった。それでも拓海の訴えが胸を打ち、柊吾には忘れられないのだ。
――元々、柊吾が呉野神社を訪ねたのは、今回の事件を知って顔色を失くした拓海の言葉が発端だった。代表で喧嘩を売りに来た以上、勝って帰らなければ顔が立たない。そんな意地を込めて、柊吾は和泉と向き合った。
「九年前の夏の事件で、この
「そう言われると、弱りましたね」
和泉は、のんびりと笑った。こちらの真剣さとは不釣り合いな和やかさは、まるで日向ぼっこ中の猫のようだ。
「調査中、とだけ言っておきましょうか。この怪事が本当に、氷花さんの遊戯によるものなのか。しがない
「
「あのときは、氷花さんの保護者として呼ばれた立場でしたからね」
柊吾が剣呑な目つきになると、和泉はくつくつと声を立てて笑った。どことなく、
そして、その笑みを昏いと感じたのは、間違いではなかった。
「柊吾君。君は、僕を疑わないのですか?」
「は? ……イズミさんを?」
「氷花さんが異能を操れるように、僕もまた異能を操れるのですよ? ……花を切る。その程度の他愛のないこと。異能の有無に関わらず、誰にだってできることです。君が氷花さんを疑う理由は、状況が九年前に似ているという、その一点に尽きるのですよ。……
「……っ? も、模倣犯っ?」
こんな議論のパターンは、全く想定していなかった。
たちまち言葉に詰まった柊吾へ、和泉は勝者の笑みを見せた。なんて大人げない男なのだ。軽い殺意を覚えたとき、「僕は、氷花さんの模倣をして〝アソンデ〟いるのかもしれませんよ」と和泉は言って、縁側から腰を上げた。慌てた柊吾は、長身
「ちょっ、イズミさん。逃げないでください」
「逃げませんよ。ここで餅を焼くだけです」
「それを逃げてるって言うんです。待ってください」
「君の負けですよ、柊吾君」
振り返った和泉の顔は、優しい表情に戻っていた。
青い瞳に慈愛を湛えた、いつもの呉野和泉の顔だった。
柊吾は、もう一度舌打ちしたくなる。結局、逃げられてしまったのだ。
「イズミさん。俺たち、受験の準備で忙しいし、遊んでる暇なんかねえから、早く答えを教えてください」
「教えますよ、もちろん。ただ、君は僕のことを
結局、遊ばれていたらしい。嘆息した柊吾へ、和泉が楽しげに言った。
「ですが、戯れにしても、少しばかり熱中して〝アソンデ〟しまった気がします。そのお詫びとして、君たちが安心できるように、知識を一つ授けましょうか」
「イズミさんって、本当に回りくどいです」
悪態を吐いた柊吾は、ようやく話す気になってくれた異邦人を見上げて――動きを止めた。
両者の間に、予想外の邪魔が入った。いち早くそれに気づいたからだ。
――さく、さく、と。枯葉を踏む足音が、遠くから聞こえてきた。
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