5-2 弔問
閑散とした境内は、冬の冷気に満ちていた。
三月に入り、
白く流れる吐息を眺めながら、
深夜に雪も降ったので、足元には積雪の名残がある。黒く濡れた石畳を慎重に進んで目的の人物を探したが、
この神社の神主は、大抵の場合は境内にいる。柊吾の来意を天から聞き知っているかのように、高い確率で待ち伏せられているのだ。
それでも居ないということは、自宅にいるに違いない。珍しい事態ではあったが、そういうこともあるのだろう。柊吾は
広葉樹が林立する山道を進むと、小さな泉の前に出た。くすんだ陽光をとろんと照り返す水面の向こうに、お世辞にも綺麗とは言い難い日本家屋が佇んでいる。木造二階建ての
「イズミさん!」
声を張ると、相手も柊吾に気づいた。
「柊吾君、お久しぶりです。そろそろ来る頃合いだと思っていました。ちょうど餅を焼いたところです。一緒にいかがです?」
道理で、
「庭に直接来ていただいて結構ですよ。縁側にお掛けください」
「イズミさん、仕事は? こんな所で餅食ってていいんですか」
「大人にも休息は必要ですよ。しゃかりきに働いてばかりでは、息切れしてしまいます」
「息切れするほど、参拝客なんて来てねえ気がするんですけど」
「おやおや、鋭い。どうか気づかぬふりをしてください。醤油ときな粉、どちらがいいですか」
「醤油」
柊吾は縁側に腰掛けると、マフラーを
柊吾に背中を向けた
「柊吾君。君は、僕が怠けていると思っていますね?」
七輪の前に屈んだ和泉が、くるりと柊吾を振り向いた。
「このイズミさんの姿を見たら、誰だってそう思います。爺ちゃんみたいですよ」
「爺ちゃんで結構です。僕に歳相応の若さはありませんから。それに、冬に餅を焼くのは、僕の代からの怠けではありませんよ。先代も、冬には餅を焼いていました。柊吾君、冬に餅を焼くのは悪ではありません」
ただの軽口に対して、何とも理屈っぽい答えが返ってきた。辟易した柊吾は「あー、はいはい」と生返事をしてから、己の失言に気づく。
言葉を
沈黙が気になったのか、それとも、心を読んだのか。
この異邦人の血潮に、どんな異能が流れているのか。
「……イズミさん。今日、俺が何でここに来たのか、判ってるんですよね」
「僕と餅を食べに来たのでしょう?」
和泉はとぼけていたが、顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
こちらが言わない限り、自ら告げるつもりはないのだろう。柊吾は、頭髪に触れかけた手を意識して下げて、立ち上がる。
そして、背筋を伸ばして和泉の前に立ち、言い難さを堪えて、言った。
「え、と。……このたびは。お悔やみ申し上げます」
頭を下げた時、火の粉の爆ぜる音がした。ぱちんと、乾いた音も聞こえてくる。七輪の炭火が割れたのか、膨れた餅が弾けたのか。言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった柊吾には、どちらなのか分からない。
「ああ、バレてしまいましたか」
落ち着いた声が、頭上から降ってきた。声音に、悲しみの色は感じられない。だが、感情を隠すのが上手い人だ。表面を綺麗に取り繕って、整った部分しか柊吾に見せていないのだろう。返ってそれが、悲しい気がした。
「知ったのは、最近です。九月には亡くなってたって聞きました。……
「僕の父は、幸せ者ですね。こんなにも、若者達に
頭を上げた柊吾の前に、すっと紙皿が差し出された。焼きたての餅から、ほかほかと熱い湯気が立ち上る。
「寂しいですよ。柊吾君。愛している家族を亡くして、僕はとても寂しいです。ですが、同時に僕は幸せでもあるのですよ。己の役目を果たせましたから」
「役目?」
「ええ。子供が大人に対して担う、大切な役目です。君はもう、とっくに知っていることですよ。君は家族を大切にする子ですし、やがて家族になる少女のことも、大切に出来る子ですからね」
「……。は?」
柊吾は、目を剥いた。聞き逃しかけたが、結構凄いことを言われた気がした。
「ちょっと待った、イズミさん。今の、もっかい。家族が何って? もっかい言ってください」
「おっと。柊吾君、いけませんね。僕は、他者よりも早く未来を知ろうとする
「いや、狡いも何も、今のはイズミさんの失言じゃん。さっきの話、もっと詳しく」
「餅が冷めますよ。お箸と醤油は縁側にあります」
柊吾は食い下がったが、和泉はにたにたと笑うのみだ。こんな下世話な顔など初めて見た。
それとも、今の顔は〝和泉〟ではなく、〝イズミ〟の顔なのだろうか。
紅潮した頬を
きな粉が付いた紙皿には、割り箸もちょこんと載っていた。割り箸を収めた箸袋は、先端が軽く折り曲げられている。先ほどまで誰かがここにいて、餅を食べて帰った。そう推測するには十分な光景だった。
「誰か、ここに来てたんですか?」
餅に醤油を垂らしながら訊くと、「ええ」と答えた和泉も、柊吾の隣に腰かけた。
「可愛らしいお客さんが来ていましたよ。柊吾君と同じ、中学三年生のお嬢さんです」
「中三?」
「はい。僕の代で廃れるかと危惧された呉野神社ですが、お若い氏子が通うようになってくださり、神主として嬉しい限りですね」
「女子が来るって『判って』たから、こんなに餅を用意したんですか」
醤油やきな粉の餅だけではなく、よもぎ餅やあんころ餅の皿もある。色とりどりの餅が縁側に所狭しと並ぶ光景は、男の一人住まいにはとても見えない。このバリエーションの豊さが女子生徒へ振る舞う為なのかと
「イズミさん、意外とマメなんですね。こっちのよもぎ餅も、うめぇし。イケメンで料理も出来るとか、イズミさんわけ分かんねえ」
「ぜんざいもありますよ。宜しければどうぞ」
明らかに作り過ぎだ。祭りでも催す気だろうか。柊吾は呆れ果ててしまった。
そもそも呉野和泉という男は、柊吾が今言ったように、顔の造形一つをとっても端麗で、所作は同じ人間とは思えないほど優美なのだ。顔も性格も良い上に、料理も出来る独身が、寂れた山奥で餅を焼いて中学生に振る舞っているのは、何とも奇妙な光景だった。
「柊吾君、明日は受験でしょう」
きな粉餅に箸を伸ばしていると、和泉が言った。柊吾は口の中に残ったよもぎ餅を呑み込んで、「ん」と頷いてから「はい」と返事をし直した。
「そんな大切な時期に、わざわざお悔やみを言いに来てくださったのですね」
「いえ。っていうか、すみません。御馳走になってるし、その」
柊吾は、後ろめたさから口籠もる。
受験前日の放課後に、呉野神社まで来た理由。それは、和泉が述べた理由だけではないからだ。
「……イズミさん。これを見てください」
柊吾は、紙皿と割り箸を縁側に置いて、ブレザーのポケットに手を伸ばす。そこから取り出したものを差し出すと、和泉は青色の目を瞬いた。
「これは……いやはや。面妖な事態ですね。心当たりはありますか?」
「ないから訊きに来たんです。っていうか、俺らの心当たりはイズミさんです」
しらを切る和泉に、柊吾は凄む。今さら煙に巻かれても困るのだ。互いの手の内は分かっている。化かし合いは時間の無駄だ。
「これは、イズミさんの家の近くにありました。どっちかっていうと、
「ほう。それで?」
「一本だけじゃありませんでした。まだ寒いし、咲いてる花自体が少ないけど、結構な本数やられてた」
自然と険しくなる表情を自覚しながら、柊吾は和泉の顔を見る。
視線を受けたイズミは、臆することなく、柊吾の手からそれをつまみ上げた。
瑞々しさを残した茎は、摘み取られてなお、いまだ命を感じさせた。よもぎに似た深緑の葉が、くたりと揺れる。寂しげに葉が垂れて初めて、明確な死の影を、その植物に見た気がした。
和泉の目が、細められる。観察するというよりは、まるで花の死を悼むように。沈黙を守った異邦人は、やがて一つ頷いた。
「これは、
「茎を見ただけで判るんですか?」
「ええ。克仁さんの御庭にも植えてありましたから。切られる前の花はご覧になりましたか? 黄色い花弁を丸いお椀型に開花させる、早春の花です。可愛らしい花ですよ」
和泉は眉尻を下げると、茎の切断面に指を沿わせて「可哀そうに」と囁いた。
「……」
胸が痛んだが、柊吾は待った。和泉が、
むしろ、答えてくれなくては困るのだ。
和泉の関与を疑う身としては、ここで潔白を示してもらわなくては困るのだ。
そんな覚悟を読み取ったのか、和泉は小さく吹き出した。青色の双眸に宿る感情は、興味か、感嘆か、ただの
「僕の関与、ですか。正確ではない言葉ですね。正しくは、僕の身内の関与、では?」
「どっちでも構いません」
心を読まれたことは一切気にせず、柊吾は憮然と言い放った。
「――『花の頭の部分だけ、鋭い刃物みたいな物で、切り落とされる』。……これ、どう考えてもイズミさんたち絡みじゃん。俺ら全員、あいつの仕業だって思ってる。あいつを疑ってない奴なんか、一人もいねえから」
喧嘩を売るように言い捨てると、柊吾は和泉の手元を睨んだ。
首のない花。
柊吾は既に、あの夏の惨劇を知っている。
他校の友人から、訊いたのだ。
あの夏を唯一『見て』きた
だからこそ、和泉には答えてもらう義務がある。
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