5-2 弔問

 閑散とした境内は、冬の冷気に満ちていた。

 三月に入り、こよみの上では一応春。とはいえ、薄雲を被った太陽では、午後四時を回った現在でも、寒さを和らげるには至らない。今日は紺色のブレザーの上に学校指定のダッフルコートを着なかったので、そんな痩せ我慢も凍えに拍車を掛けていた。

 白く流れる吐息を眺めながら、三浦柊吾みうらしゅうごは神社の境内を歩いていた。

 深夜に雪も降ったので、足元には積雪の名残がある。黒く濡れた石畳を慎重に進んで目的の人物を探したが、境内けいだいには人っ子一人見当たらない。柊吾は、迷わず森の小道へ進路を変えた。

 この神社の神主は、大抵の場合は境内にいる。柊吾の来意を天から聞き知っているかのように、高い確率で待ち伏せられているのだ。

 それでも居ないということは、自宅にいるに違いない。珍しい事態ではあったが、そういうこともあるのだろう。柊吾はほどけかけたマフラーを首に巻き直すと、湿った枯葉を踏みしめて先を急ぐ。

 広葉樹が林立する山道を進むと、小さな泉の前に出た。くすんだ陽光をとろんと照り返す水面の向こうに、お世辞にも綺麗とは言い難い日本家屋が佇んでいる。木造二階建ての襤褸屋ぼろやの庭に、探していた和装の人物を、柊吾は見つけた。

「イズミさん!」

 声を張ると、相手も柊吾に気づいた。たおやかな会釈と手招きが返ってくる。

「柊吾君、お久しぶりです。そろそろ来る頃合いだと思っていました。ちょうど餅を焼いたところです。一緒にいかがです?」

 道理で、醤油しょうゆの焦げた匂いがすると思っていた。異邦人の暢気さに気抜けしながら、柊吾は「はい」と返事をして、小走りで呉野くれの家に直行した。

「庭に直接来ていただいて結構ですよ。縁側にお掛けください」

「イズミさん、仕事は? こんな所で餅食ってていいんですか」

「大人にも休息は必要ですよ。しゃかりきに働いてばかりでは、息切れしてしまいます」

「息切れするほど、参拝客なんて来てねえ気がするんですけど」

「おやおや、鋭い。どうか気づかぬふりをしてください。醤油ときな粉、どちらがいいですか」

「醤油」

 柊吾は縁側に腰掛けると、マフラーをほどいた。足元で燃える七輪しちりんの炭火が、思いのほか温かかったのだ。

 柊吾に背中を向けた呉野和泉くれのいずみは、髪が少し伸びたようだ。風に遊ばれた灰茶はいちゃの髪が、ふわりと繊細な揺れ方をする。白い着物に浅葱あさぎはかまという神職にく者の装いとはいえ、こうして自宅に引っ込んで餅を焼いている姿を見ると、他人事ながら呉野神社の行く末が心配になる。

「柊吾君。君は、僕が怠けていると思っていますね?」

 七輪の前に屈んだ和泉が、くるりと柊吾を振り向いた。菜箸さいばしつつかれた餅がぱちんと割れて、ぷくぷくと風船のように膨らんだ。

「このイズミさんの姿を見たら、誰だってそう思います。爺ちゃんみたいですよ」

「爺ちゃんで結構です。僕に歳相応の若さはありませんから。それに、冬に餅を焼くのは、僕の代からの怠けではありませんよ。先代も、冬には餅を焼いていました。柊吾君、冬に餅を焼くのは悪ではありません」

 ただの軽口に対して、何とも理屈っぽい答えが返ってきた。辟易した柊吾は「あー、はいはい」と生返事をしてから、己の失言に気づく。

 言葉をつかえさせた柊吾を、和泉は様子を窺うように見た。

 沈黙が気になったのか、それとも、心を読んだのか。

 この異邦人の血潮に、どんな異能が流れているのか。人伝ひとづてに聞いた話だが、柊吾も一応、知っている。

「……イズミさん。今日、俺が何でここに来たのか、判ってるんですよね」

「僕と餅を食べに来たのでしょう?」

 和泉はとぼけていたが、顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 こちらが言わない限り、自ら告げるつもりはないのだろう。柊吾は、頭髪に触れかけた手を意識して下げて、立ち上がる。

 そして、背筋を伸ばして和泉の前に立ち、言い難さを堪えて、言った。

「え、と。……このたびは。お悔やみ申し上げます」

 頭を下げた時、火の粉の爆ぜる音がした。ぱちんと、乾いた音も聞こえてくる。七輪の炭火が割れたのか、膨れた餅が弾けたのか。言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった柊吾には、どちらなのか分からない。

「ああ、バレてしまいましたか」

 落ち着いた声が、頭上から降ってきた。声音に、悲しみの色は感じられない。だが、感情を隠すのが上手い人だ。表面を綺麗に取り繕って、整った部分しか柊吾に見せていないのだろう。返ってそれが、悲しい気がした。

「知ったのは、最近です。九月には亡くなってたって聞きました。……坂上さかがみから。坂上は、藤崎ふじさきさんから聞いたそうです。篠田しのだも、ショックを受けてるみたいでした」

「僕の父は、幸せ者ですね。こんなにも、若者達にいたんでもらえたのですから」

 頭を上げた柊吾の前に、すっと紙皿が差し出された。焼きたての餅から、ほかほかと熱い湯気が立ち上る。

「寂しいですよ。柊吾君。愛している家族を亡くして、僕はとても寂しいです。ですが、同時に僕は幸せでもあるのですよ。己の役目を果たせましたから」

「役目?」

「ええ。子供が大人に対して担う、大切な役目です。君はもう、とっくに知っていることですよ。君は家族を大切にする子ですし、やがて家族になる少女のことも、大切に出来る子ですからね」

「……。は?」

 柊吾は、目を剥いた。聞き逃しかけたが、結構凄いことを言われた気がした。

「ちょっと待った、イズミさん。今の、もっかい。家族が何って? もっかい言ってください」

「おっと。柊吾君、いけませんね。僕は、他者よりも早く未来を知ろうとするずるさを、君に許した覚えはありませんよ」

「いや、狡いも何も、今のはイズミさんの失言じゃん。さっきの話、もっと詳しく」

「餅が冷めますよ。お箸と醤油は縁側にあります」

 柊吾は食い下がったが、和泉はにたにたと笑うのみだ。こんな下世話な顔など初めて見た。

 それとも、今の顔は〝和泉〟ではなく、〝イズミ〟の顔なのだろうか。

 紅潮した頬を気取けどられないよう目を逸らし、柊吾は縁側にどっかと座る。割り箸と醤油しを手に取ったところで、ふと縁側の隅に置かれたもう一枚の紙皿に目を留めた。

 きな粉が付いた紙皿には、割り箸もちょこんと載っていた。割り箸を収めた箸袋は、先端が軽く折り曲げられている。先ほどまで誰かがここにいて、餅を食べて帰った。そう推測するには十分な光景だった。

「誰か、ここに来てたんですか?」

 餅に醤油を垂らしながら訊くと、「ええ」と答えた和泉も、柊吾の隣に腰かけた。

「可愛らしいお客さんが来ていましたよ。柊吾君と同じ、中学三年生のお嬢さんです」

「中三?」

「はい。僕の代で廃れるかと危惧された呉野神社ですが、お若い氏子が通うようになってくださり、神主として嬉しい限りですね」

「女子が来るって『判って』たから、こんなに餅を用意したんですか」

 醤油やきな粉の餅だけではなく、よもぎ餅やあんころ餅の皿もある。色とりどりの餅が縁側に所狭しと並ぶ光景は、男の一人住まいにはとても見えない。このバリエーションの豊さが女子生徒へ振る舞う為なのかと邪推じゃすいすると、少しばかり意外だった。

「イズミさん、意外とマメなんですね。こっちのよもぎ餅も、うめぇし。イケメンで料理も出来るとか、イズミさんわけ分かんねえ」

「ぜんざいもありますよ。宜しければどうぞ」

 明らかに作り過ぎだ。祭りでも催す気だろうか。柊吾は呆れ果ててしまった。

 そもそも呉野和泉という男は、柊吾が今言ったように、顔の造形一つをとっても端麗で、所作は同じ人間とは思えないほど優美なのだ。顔も性格も良い上に、料理も出来る独身が、寂れた山奥で餅を焼いて中学生に振る舞っているのは、何とも奇妙な光景だった。

「柊吾君、明日は受験でしょう」

 きな粉餅に箸を伸ばしていると、和泉が言った。柊吾は口の中に残ったよもぎ餅を呑み込んで、「ん」と頷いてから「はい」と返事をし直した。

「そんな大切な時期に、わざわざお悔やみを言いに来てくださったのですね」

「いえ。っていうか、すみません。御馳走になってるし、その」

 柊吾は、後ろめたさから口籠もる。

 受験前日の放課後に、呉野神社まで来た理由。それは、和泉が述べた理由だけではないからだ。

「……イズミさん。これを見てください」

 柊吾は、紙皿と割り箸を縁側に置いて、ブレザーのポケットに手を伸ばす。そこから取り出したものを差し出すと、和泉は青色の目を瞬いた。

「これは……いやはや。面妖な事態ですね。心当たりはありますか?」

「ないから訊きに来たんです。っていうか、俺らの心当たりはイズミさんです」

 しらを切る和泉に、柊吾は凄む。今さら煙に巻かれても困るのだ。互いの手の内は分かっている。化かし合いは時間の無駄だ。

「これは、イズミさんの家の近くにありました。どっちかっていうと、藤崎ふじさきさんの家の方が近いです。藤崎さんの家の近所の、公園に咲いていたものです」

「ほう。それで?」

「一本だけじゃありませんでした。まだ寒いし、咲いてる花自体が少ないけど、結構な本数やられてた」

 自然と険しくなる表情を自覚しながら、柊吾は和泉の顔を見る。

 視線を受けたイズミは、臆することなく、柊吾の手からそれをつまみ上げた。

 瑞々しさを残した茎は、摘み取られてなお、いまだ命を感じさせた。よもぎに似た深緑の葉が、くたりと揺れる。寂しげに葉が垂れて初めて、明確な死の影を、その植物に見た気がした。

 和泉の目が、細められる。観察するというよりは、まるで花の死を悼むように。沈黙を守った異邦人は、やがて一つ頷いた。

「これは、福寿草ふくじゅそうの花ですね」

「茎を見ただけで判るんですか?」

「ええ。克仁さんの御庭にも植えてありましたから。切られる前の花はご覧になりましたか? 黄色い花弁を丸いお椀型に開花させる、早春の花です。可愛らしい花ですよ」

 和泉は眉尻を下げると、茎の切断面に指を沿わせて「可哀そうに」と囁いた。

「……」

 胸が痛んだが、柊吾は待った。和泉が、哀悼あいとうの台詞とは異なる言葉を口にするのを、無言のまま待ち続けた。圧力を掛けているようで気が咎めたが、同時に柊吾には、和泉が必ずや答えてくれるという確信もあった。

 むしろ、答えてくれなくては困るのだ。

 和泉の関与を疑う身としては、ここで潔白を示してもらわなくては困るのだ。

 そんな覚悟を読み取ったのか、和泉は小さく吹き出した。青色の双眸に宿る感情は、興味か、感嘆か、ただの揶揄やゆか。和泉は笑いを収めると、意味深な流し目を柊吾に向けた。

「僕の関与、ですか。正確ではない言葉ですね。正しくは、僕の身内の関与、では?」

「どっちでも構いません」

 心を読まれたことは一切気にせず、柊吾は憮然と言い放った。

「――『花の頭の部分だけ、鋭い刃物みたいな物で、切り落とされる』。……これ、どう考えてもイズミさんたち絡みじゃん。俺ら全員、あいつの仕業だって思ってる。あいつを疑ってない奴なんか、一人もいねえから」

 喧嘩を売るように言い捨てると、柊吾は和泉の手元を睨んだ。

 首のない花。福寿草ふくじゅそう。名前はたった今知った。だが、今はそんな知識は重要ではないのだ。もっと他に、知らなけれなばならないことがある。

 柊吾は既に、あの夏の惨劇を知っている。

 他校の友人から、訊いたのだ。

 あの夏を唯一『見て』きた坂上拓海さかがみたくみから、〝イズミ・イヴァーノヴィチ〟という青年の過去について、全ての説明を受けて知っている。それを知ったのは柊吾だけではなく、篠田七瀬しのだななせ雨宮撫子あまみやなでしこといった同級生においても同様だ。

 だからこそ、和泉には答えてもらう義務がある。

 袴塚市こづかしで現在起こっている怪事について、答えてもらう義務がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る