5-5 神がかり

「イズミさん!」

 柊吾は、二人の会話に割り込んだ。静観せいかんを決め込むつもりでいたが、和泉いずみ台詞せりふで気が変わった。耳に入った名前が、聞き捨てならないものだったからだ。

 柊吾の横暴おうぼうな友人から、その名前は何度も聞かされていた。ショートボブの髪が可愛かわいいだの、泣き黒子ぼくろが可愛いだの、喋り方が可愛いだの、口を開けば「可愛い」ばかり言っている。それほどまでに好きな相手なのだ。

 その名前が、なぜ、今ここで出てくるのだ。

「イズミさん。……知ってることを全部、洗いざらい吐いてください」

「おっかないですね、柊吾君」

 和泉が悪びれずに答えた瞬間に、一陣いちじんの風が吹いた。柊吾が振り返ったときにはもう、隣の気配が動いていた。足元で弾けた砂が飛び、小石が泉に蹴飛けとばされる。水面みなもを打つ音と共に波紋はもんが拡がり、視界のはしではポニーテールの髪がおどった。

「あ! おい……!」

 和音かずねが、走り出していた。なぜか急に神社の境内けいだいの方角へ駆け戻ろうとしている和音を、柊吾は慌てて呼び止める。

「お前、えっと……佐々木ささき! 待て! 今からイズミさんに吐かせるから、佐々木も聞いていけ! よく分かんねえけど、佐々木も呉野くれのの被害者なんだろ!」

 叫んだ内容は憶測だが、決して的外れではないという確信があった。

 呉野和泉は、先ほど佐々木和音かずねに『狙いから外れた』という言葉を使った。

 きっと、和音かずねも無関係ではないのだ。呉野氷花ひょうかから、何らかの被害をこうむった――あるいは、被りかけた一人。そう考えれば、佐々木和音が呉野和泉いずみと交流を持ったことにも、説明がつく。

 立ち去ろうとしていた和音かずねの足が、ぴたりと止まる。柊吾の言葉を聞き入れてくれたのかと期待したが、こちらを振り返った顔を見て、思い違いだと悟った。

 佐々木和音の顔色は、蒼白そうはくだった。表情はなく、唇の震えが見て取れる。

 ――怒っているのだ。心の制御ができないほどに、胸をき乱されている。和音について柊吾は何も知らないのに、なぜだか理解できた。和音は、柊吾には返事を寄越よこさずに、成り行きを見守っていた呉野和泉に、訥々とつとつと言った。

「……和泉さん。どうして、そういうことが分かるんですか……って。やっぱり訊きたいですけど、今は訊きません。教えてくれて、ありがとうございました」

 異様な様子に、ひやりとするものを感じた。無視され続けていることはひとまず置いておいて、柊吾は和音に近づいた。

「佐々木、落ち着け。お前の友達、綱田毬って言ったよな。……頼む。そいつのことを、俺に教えてほしい。でないと、篠田が……」

 心配するから――と、最後まで言葉にできなかった。

「あなたには関係ない!」

 叩きつけれた返事が、柊吾の言葉をつぶした。ざわりとそよいだ風が、枯木を揺らす乾いた音が、三者の沈黙の重さをあざけった。

 和音が、ハッと口をつぐむ。いで、後ろめたそうに目を逸らして「ごめん」と小さな謝罪の言葉を乱暴に言い残すと、ぱっと身をひるがえして駆け出した。手に握られた赤い御守りのストラップが揺れて、かたくなな意思を感じる背中が、境内けいだいに向かって遠ざかる。枯葉かれはを踏みしめる足音だけが、寂しく響き続けた。

 やがて和音の姿が完全に消えて、足音さえも聞こえなくなり、風の音と七輪しちりんの炭が熱せられる音だけが、御山の沈黙に粛々しゅくしゅくと残る。柊吾は、金縛かなしばりが解けたような脱力感と共に、大きな溜息を吐き出した。

「……何だったんだ、今の?」

 茫然ぼうぜんと呟いて振り返ると、いきなり和泉と目が合った。たじろいだ柊吾は、息を詰める。和装の異邦人の顔つきが、真剣そのものだったからだ。

「柊吾君。僕は、君に知識を授けると言いましたね。佐々木和音さんは、去年の暮れに、氷花さんの標的ひょうてきになりかけた少女です。ですが、未遂みすいです。彼女の身には、何も起こっていません。それどころか、彼女は氷花さんの異能に対して、何の知識も持っていません」

「は……? あいつ、知らないんですか? 本当に、何も?」

「ええ。氷花さんの標的から上手く逸らせそうでしたので、必要以上の説明をしませんでした。今となっては、説明が必要かもしれませんね」

 和泉が、目を細める。青色の目にし込んだ冬の日光が、ナイフの照り返しのような冷たさできらめいた。

「柊吾君が僕に持ち込んだ、袴塚こづか市の花の切り取り事件は、十中八九、氷花さんがらみでしょうね。ただ、彼女がどこまでんでいるのか不明であり、全てを氷花さん一人の所為にするのは、いささか早計そうけいではありませんか?」

「それは……呉野の単独犯じゃない、ってことですか? イズミさんは、犯人が他にもいるって疑ってるんですか?」

「分かりません。調査中ですからね」

 和泉は、曖昧あいまいな返事で応じた。情動じょうどう欠如けつじょうかがわせる美貌びぼうからは、思考を読み取らせない壁が感じられて、柊吾は少し歯痒はがゆくなる。最初の氷花の事件から、すでに一年以上が過ぎている。その間、柊吾は和泉と頻繁ひんぱんに会っていたわけではないが、それでも付き合いは長いだろう。和泉は柊吾のことが分かるのに、その逆は分からないのは、なんだか悲しいことに思えた。

「……柊吾君。僕は、君のことが好きですよ?」

「やめてください、気持ちりぃ。っていうか心を読まないでください」

「お元気そうで何より。ところで、柊吾君は〝巫女みこ〟という存在がどういうものかご存知ですか?」

巫女みこ?」

 ぽかんとしたが、出し抜けに驚かせるような会話運びは、いかにも呉野和泉らしい。柊吾は少し考えてから「神社にいる、紅白こうはくの着物を着た女の人」と、自分でも上辺うわべのことしか指していないと分かる、陳腐ちんぷな答えを述べた。案の定、莞爾にっこりした和泉から「間違ってはいませんが、不正解とさせていただきましょう」と、きびしい採点さいてんを食らってしまった。

巫女みこの『』の字は、一字で『かんなぎ』と読めます。『かんなぎ』とは、古い書き方をすると、神様の『神』に調和の『和』を合わせて『神和かみなぎ』となります。この言葉から察することができるように、『巫』とは、神様の意向を俗世ぞくせいの人たちへ伝える、仲介と伝達の役割を果たす人々のことを指します」

 和泉は、七輪しちりんの前にかがみ込み、焼き過ぎたもち菜箸さいばしを伸ばす。餅を皿に移し終えると、縁側えんがわに腰掛けた。

「ただ、柊吾君の言うように、巫女みこの多くは女性が務めていますね。ですが、女性に限定することはありませんよ。今でこそ女性が多い役割ですが、男性にも務まります。僕の肩書である『神主』さえ、本来は文字通り、神がかりをする職業としてとらえられていたのですから」

「神がかり?」

「神が、かかる。神がかり。君くらいの年ごろの少年少女なら、本や漫画で一度くらいは目にしているのでは? 神のような圧倒的高次元の存在を、おのれの身体に降ろす――すなわち、『己の中に、己とは異なる存在を受け入れる』のです。それが〝神がかり〟です。神の意向いこうを、己の身体を貸し出すことによって、俗世の人々に届ける……その役目を担うのが〝巫女〟です」

 蘊蓄うんちくを聞きながら、柊吾はつばを飲み込む。和泉の言葉に、すごみを感じていた。

「人ならざるものを、その身に受け入れる役目をになう者は、女性であれば『巫女みこ』という呼び名が一般的ですが、男性であれば『巫覡ふげき』や『男巫おとこみこ』という呼び名もありますね。呼称が異なっても、になう役割は同じです。……柊吾君。この〝アソビ〟は、誰であっても条件は平等です。誰が安全で、誰が危険か。程度の差異さいが存在するだけで、君たちはみな、同じ戦地に立たされているのですよ。僕の妹も、含めて。君たちは一体、どんな〝アソビ〟をえがくのでしょうね……?」

「イズミさん……?」

「一つ、予言をしましょう」

 焼いたもちをアルミホイルにつつんだ和泉が、縁側から立ち上がった。

「君は明日、篠田七瀬しのだななせさんの待ち伏せを受けますよ」

「は? ……篠田っ?」

「ええ。『見え』ました。僕は『見た』ものをはずしたことがありませんから、君がどんな行動を取ったとしても、七瀬さんの待ち伏せはけられないでしょうね」

「なんで篠田が、俺を待ち伏せなんか……」

 言いながら、思い出した。和泉からこの予言を受ける前に、すでに柊吾はもう一つ、不吉な予言を受けている。袴塚こづか市の花の切り取り事件を調査していたはずなのに、柊吾が得た情報は、綱田毬つなたまりという袴塚こづか中学校の女子生徒が、呉野氷花くれのひょうかの〝言霊ことだま〟の新たな標的候補こうほだという、七瀬の友人の関与かんよだった。

 明日は高校受験があり、柊吾たちの進路が決まる日だ。――たかだかその程度のことで、あの篠田七瀬が、おとなしくしているわけがない。この予言を仲間たちに共有すれば、七瀬は間違いなく、何らかの行動を起こすだろう。友人のピンチを知って単独で突っ走る姿が目に浮かび、頭が痛くなってきた。

坂上さかがみが、止めてくれたらいいけど……まあ、無理だろうな」

「ええ。思い返せばあの『鏡』の事件、二人三脚で脱出に取り組むというよりは、独走する七瀬さんに彼が容赦ようしゃなく引きられているという図のほうが近かった気がします。本当の二人三脚だったら、相方は全身擦り傷まみれですね。かわいそうに。君も、波乱は避けられないと思いますよ」

「……あー」

 頭をかかえる柊吾に、和泉は「お土産みやげにどうぞ」と餅の包みを差し出してくる。なし崩し的に受け取らされていると、和泉がおもむろに夕空をあおいだ。

神道しんとうの教えは、人知では到底敵わない自然の摂理せつりに従うことです。それを、惟神かむながらと言います。――惟神かむながらの道、此度こたび怪事かいじが、どう展開していくのか。〝アソビ〟の参加者ではない僕は、呉野氷花の兄として、終焉しゅうえんをしかと見届けさせていただきますよ……」

 意味深な響きの和泉の声が、虚空こくうへ吸い込まれて消えていく。白皙はくせき美貌びぼうを見つめた柊吾は、和装の異邦人の妹に当たる少女を、自然と思い出していた。

 呉野氷花。正確には、和泉の妹ではなく、従兄妹いとこ。言霊の異能を操る少女。

 柊吾たちが住む袴塚こづか市では、一体何が始まろうとしているのだろう。

〝アソビ〟? ――分からない。悪意で柊吾たちを翻弄ほんろうしてきた氷花が、現在どういう立ち位置にいるのか、そして氷花にかつて狙われていたという袴塚こづか中学校の女子生徒・佐々木和音ささきかずね豹変ひょうへんは何なのか、考えることが多すぎた。

 短髪を右手できまぜた柊吾も、和泉にならって、れかけた空を振り仰ぐ。寒風にさらされながら、しばらくの間、柊吾は和泉と共に、襤褸屋ぼろやの庭に立ち続けた。

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