応援コメント

4-42 遺書」への応援コメント

  • コトダマは言葉で、口にしなければ文字にしなければ自分以外の誰かに伝わらない。
    でも例えば、ある人の言ったコトダマを別の誰かが真似て言ったとしてそれは同じなのか。
    もちろん違うと思っていましたが、なぜ違うのか。
    それはやはり、コトダマを発する人の重い想い(ダジャレでなく)があればこそ。魂に連なる――(なんだろう、怨念とも違う気のする何か)ものがあればこそなのだなと。

    今さらと言われそうですが、納得させられました。

    作者からの返信

    雪羽さん、たくさんお読みくださり、ありがとうございました!( ;ᵕ; )
    雪羽さんがコメントしてくださったことを、私も考えたことがあります。>ある人の言ったコトダマを別の誰かが真似て……
    なぜ違うのか、という掘り下げを読ませていただいて、本当にその通りだなと、私も改めて感じ入りました。怨念とも違う気のする何か、とのお言葉も光栄で、お伝えしたいニュアンスで表現できた嬉しさを噛みしめております。こんな計画を立ててしまうほどの情動は、きっと恨みつらみだけで醸成されるわけではないはずで……重い思いと向き合う時間に、尊さを感じていたことを思い出しました。雪羽さんの温かなお言葉のおかげで、この激情に向き合った時間を懐かしむことができて、とても嬉しいです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

    謎解きも、大詰めに入りました。残り僅かとなった第4章を、雪羽さんのタイミングでのんびり見守っていただけますと幸いです。