4-42 遺書
『私は、知っていたのです。御父様が、御母様を愛していないという事を。
いいえ、判ってはいるのです。愛してくださっている事は。ですが、
愛しているではなく、仕方なく愛してくれている。そんな
御父様には、遠く離れたロシアの地に、愛した女性が他にいた。
イヴァンお兄様。自分には異国の兄がいると知った時、私は貴方に同情の念を寄せたのです。御父様に捨てられた、可哀想なお兄様。そんな風に同情して、貴方を蔑んでいたのです。
そんな優越感は、やがて崩れ去りました。私は、気づいてしまったのです。御父様の愛情が、一体どちらに傾いているのか。あの御本を、見た時から。
捨ててやろうかと思いました。
なのに、結局できませんでした。
だって、お兄様。貴方のお母様、とッてもお綺麗だったんだもの。
中でも、一際美しかったのは、貴方たちの家族写真でした。我が子を抱くソフィヤさんと、愛妻の肩を支えた御父様と、真ん中の貴方。こんなにも美しい思い出が、美しい本の中に収まっている。
私は、愛されてなどいないのだと。
引き裂かれた愛の果てに、仕方なく再婚した女が産んだ、
だから、私が『貞枝』と名付けられたのは、御母様なりの当てつけですよ、
御父様にとって私は
私という命は、あの方の
でもねえ、
貴方の所為よ、お兄様。
貴方がいなければ、
御父様がもし、自殺なんてなさったら。貴方の成長を、二度と知る事が出来なくなります。貴方が今どんなことを考えて、どれくらい背が伸びて、ソフィヤさんと一緒にいるのか。美しく清らかな未来を想像する事も、いつか巡り会う日が来ると夢想する事さえも、死んでしまっては叶わない。貴方の命は呪いよ、お兄様。御父様を
そして、貴方がそんな呪いを、私の父に掛けた所為で。
私が、生まれてしまったのよ。
お兄様。貴方の所為よ。
愛のない結婚も、愛のない子供が生まれたのも、全部、全部、貴方の所為よ。
御父様は貴方の所為で、愛に
皮肉ね。御父様のお好きな文学、愛の成就と破滅ばかり。御父様は死にたいのに、貴方が
お兄様。貴方が許せない。
貴方、清らか過ぎるもの。
愛し合った女の人が、産んでくれた自分の子供。引き裂かれてなお愛された、清らかな魂、イヴァンお兄様。私、貴方が憎かった。
でもねえ、誤解しないで
むしろ、逆です。
御父様が、憎い。
半端な意思で再婚して、母に私を産ませた父が憎い。お家の為に
ですが、殺そうとは思いませんでした。人を殺せばどうなるかくらい、判っていてよ。だから、何もしませんでした。怨嗟だけが、育ちました。
そして、月日は流れ、私は
伊槻さんへの愛については、御父様宛ての遺書を見せて貰ってくださいな。
私、伊槻さんの事は好きよ。嘘を
でもねえ、愛しているかと訊かれたら。
愛しているって、何かしら。私には判りません。判った事なんて一度もなかった。
そして、身ごもりました。
愛しているかどうかさえ、よく判らない人と寝て、私は子供を授かりました。
そんな時でした。私の人生の転機とも
御父様でした。
憎いと思った御父様。
茫然とした様子の
ですが、
逃がさない。
私は、
娘に、異能がある事が。
父と、異能について語り合った事はありません。ですが、私は悟りました。父が、一体何を見たのか。一体何を
私は神社の娘ですから、父と
だから、二人居ると言われた時。私は自分の腹を見下ろして、とても嬉しくなってしまったの。
判ったの。異能の子。
私は、
自分に、異能としか形容できない霊感がある事を。
そして、
私の筋書き通りに動いてもらう為に、私は御父様を
昔から、時々はっとする事があったのですよ。
ねえ、
お前には、霊感があるのではないか、と。
父には、確信がないようでした。探るような眼つきだったわ。
私は
ですが、事情が変わりました。
私は、知らなくてはならないのです。
お兄様。
子供が無事に生まれたら、会いに来ると
本当に、嬉しかったのですよ。
本当に、本当に、私は嬉しかったのです。
美しい貴方達に、清らかな愛に包まれた貴方達に、
清らかな家族を殺す為に、私の家族を利用する。
お兄様。和泉君。そして
私は
呉野のお家を滅茶苦茶にして、清らかな愛を全て壊して、全員残らず殺します。そして、私も後を追います。
いずれ、家族を皆殺しにする。そんな所業を
そんな厭な女から、もうすぐ生まれてくる子供。
悲しいわねえ、お兄様。愛がないままの出産は、
そんな風に怯えて見せたら、簡単だったわ。
御父様、話してくれましたよ。
温かな時間でした。信じられない程の幸福を感じました。親子の絆を、感じました。
そして、
私は、自分の娘を復讐の道具にしようとしているのに。
ですが、立ち止まる
ねえ、お兄様。幸せね。貴方達、とても幸せなのよ。家族の事を想う時、貴方達は常に片時の曇りもなく、清々しい空気を吸って生きていて、
綺麗過ぎて、
死んでくれなければ気が済まない。
いずれ私のようになる、
貴女が無垢に笑うたびに、私が貴女にした鬼の所業に、涙が出そうになってしまう。貴女の感性が私に近づく
杏花。私は、貴女に〝命〟を教えません。
代わりに、〝アソビ〟を教えます。
美しいものに手を伸ばしても、けして手には入らない。そんな観念を教えます。
杏花。美しく清らかな貴女。
私のようになればいい。
清らかなものへ恋い焦がれながら、命を摘んで、
貴女は、そんな、いけない子だから。
美しく清らかなものには、一生かかっても、手が届かな』
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