4-40 謎解き
「最初に疑わしいと思ったのは、彼女が君達から全く〝同胞〟として扱われていなかったからです」
「まるで
「そうですね。
「
「貴方ならお判りでしょう、
イズミは、自嘲気味に笑う。克仁の表情が、固まった。
「もし、貞枝さんに異能があるなら……あの事件は、全く違った顔を見せます。僕は、それが恐ろしかったのかもしれませんね。だからこそ無意識に、目を逸らしたのかもしれません。そういえば僕は、御父様からも一度言われていました。何故、目を背けるのかと。やはり
「……。君、まさか。予期していたのですか。こうなってしまうことを」
克仁の強張った声を受けて、イズミは
「そうかもしれません。とても漠然とした感覚でしたし、自覚が芽生えたのはいよいよ
「……君は、
克仁は
「貞枝さんに対する一度目の疑念は、先ほど述べた通りです。二度目に彼女を疑わしく思ったのは、君と氷花さんが
「ほう」
「九年前にも指摘しましたが、やはり貴方は、杏花とは呼ばないのですね」
「茶番は
克仁は、痛ましげに目を伏せると、「可哀そうに」と小声で言った。
「あの子は、名乗る名前を間違えてしまいましたね。内では〝杏花〟、外では〝氷花〟。
克仁は、畳から氷漬けの〝花〟を一つ手に取ると、重い溜息を吐き出した。
克仁から見て、手前の花。
――〝アソビ〟をやめれば〝氷花〟に戻る。そんな、歪みを抱えた花。
「イズミ君。私はあの瞬間に、貞枝さんを悪人と
克仁は、言う。単調な言い方だったが、
「氷花さんは、〝清らか〟なものに
「その観念を植え付けた犯人を、なぜ貴方は貞枝さんお一人に限定なさるのです?」
一応
「友人。そんな理由では、僕は納得しませんよ。完璧主義の克仁さん。それではただの感情論です。なぜ貴方は諸悪の根源を、貞枝さんお一人に限定なさるのです? 何か理由があるのでは?」
「全く、君はいやらしいですね」
克仁は呆れ果てたような目でイズミを睨んでから、今度は「消去法ですよ」と実につまらなさそうに言い捨てた。
「まず、
「判りました。伊槻さんに関しては白。納得です」
己の異能まで持ち出されては敵わない。イズミは観念して苦笑した。
「まだありますよ、イズミ君。氷花さんは、蕎麦屋でこうも
「それだけでは、まだ納得できませんね」
イズミは食い下がった。意地悪をしている自覚はあったが、克仁なら応えてくれると思ったのだ。
「
「其れならば君、何度も
「……。どうやら、先ほど保留にされた矛盾の話に繋がるようですね」
「なぜ御父様が〝アソビ〟を始めた人間ではない事が、御父様が白であるという理由になるのです? 判りにくいですよ、克仁さん」
「根拠なら、やはり十八歳の青年、イズミ・イヴァーノヴィチが示してくれましたよ」
克仁は、平然と言う。イズミは、肩透かしを食らった気分になった。
「また僕ですか。今度はどの時点での会話です? 若かりし頃の僕は、手がかりをそこかしこにばら撒いてきたようですね。なかなかのやり手です」
「自画自賛されると、こき下ろしたくなるのが人の常ですが、まあいいでしょう。おかげで謎解きがしやすいのは確かです」
呆れ笑いを浮かべた克仁は、「君が貞枝さんと口喧嘩をした時ですよ」と言って、過去を慈しむような目つきになる。
結局あの日、イズミの言葉は、貞枝には届かなかった。
――
イズミは緩く首を振って、雑念を淡々と追い払う。克仁との〝アソビ〟は、まだ始まったばかりなのだ。
表情を取り繕う息子の顔を、克仁は何も言わずに見つめていた。
「君は、氷花さんが花を切った現場を見た後で、一度自宅に帰ってから、精神的な
「……決定的な一言?」
「ええ。
「その言葉は、何ですか?」
「――『
イズミは、沈黙する。そして、口の端だけで笑って見せた。
「……なるほど」
感傷に引き摺られた感情が、高揚でふわりと持ち上がった。和室に
「君は貞枝さんと口論を交わした結果、並行線の議論に失望し、落胆しました。ですが、
「――『
イズミは、克仁の台詞を引き継いだ。克仁の顔に、はっきりとした喜色が浮かび上がる。やっと、尻尾を掴んだ。今にも
「その台詞の一体どこが、彼女が犯人たる
イズミは、からかう。もっと克仁の話を聞いていたい。昔から、克仁の話は楽しかった。そんな娯楽に触れられる事が、
「イズミ君。
克仁は、つと視線を
しかし、イズミを見ているわけではないのだろう。
イズミの隣――
「國徳さんの日本文学好きが
イズミは、克仁の視線を追いかける。
――
『
表題には、入っていない。だが、
「君は、貞枝さんに問いました。貞枝さんは、己の名を
克仁の笑みが、深くなる。本当に人の悪い笑みだった。一階に居る
力強い言葉はまるで、
「〝アソビ〟を始めた人間が
「……はい?」
「名前の事について、あの頃の君は知らなかったでしょうが、國徳さんと暮らすようになった君は、もう知っているのでしょう? 私が知っている事が、そんなに意外でしたか?」
「
「君、失礼ですよ。國徳さんは確かに堅物ですが、私という友人がいるのですから。人間ですよ。君と同じ。……ああ、君。己を鬼と
先手を打たれてしまった。反論を封じられたイズミは、お手上げの意思を示して笑った。
「そうですね……そうでした。それに、貴方は多くの人々を幸せに出来る
「褒めても何も出ませんよ」
茶目っ気を見せて克仁が笑い、「君の名付けは、イヴァンですよ」と打ち明けて、目を優しげに細めた。
「イヴァンは、日本を愛していました。日本というよりは、國徳さんを。そんな実父への愛着から、日本文学に傾倒し、愛読し、
「ほう。では、一体誰が、彼女の名付け親なのです?」
「子の名付け親が父ではないなら、母と考えるのが妥当でしょう。
「
「君、忘れたのですか? 國徳さんの
「……。そんな名前まで、貴方が持ち出してくるとは思いませんでしたよ。確か、貞枝さんが一度だけ口にしましたね。僕が貞枝さんと二度目の出逢いを果たした、鏡花談議の席で。ソフィヤ御婆様のお写真を、美しい御本の中に閉じ込めて、
――まさか、
壊れ、裂かれ、修復不能にまで陥った呉野の絆を繋ぐ糸を、九年の歳月をかけて
「
克仁は、〝杏花〟の花を畳に戻すと、もう一つの〝花〟を拾い上げる。
今度は、克仁から見て奥の方。イズミに近い方の花。
――未来の少女、〝氷花〟の花。
「氷花。そして杏花。少女の名付け親が國徳さんならば、
「……その怨嗟、貴方はどう証明するのです?」
「貞枝さんは、氷花さんを『妬んで』いた。自分の娘を妬んでいた。その根拠は、一体何です? そこが説明できなければ、今の理論、ただの感情論に終止します」
「一つ目の根拠なら、既に君に提示しました。氷花さんは〝清らか〟を渇望していました。美しさに焦がれたが
克仁は沈痛な面持ちで、〝氷花〟の花をそっと撫でた。
克仁から見れば、瑞々しく柔らかな花弁に触れている事になるのだろう。だが、イズミの目には、やはり氷の
溶ければいい。そんな風にも思ったが、もうどうしようもないのだろう。
氷は、溶けない。凍って死んで手向けとなった。
そんな希望を抱いていいのか、イズミにはもう判らなかった。
「呉野家の居間で、イヴァンが死んだ夜。イズミ君は、氷花さんと貞枝さんの親子の会話に、違和感を覚えませんでしたか?」
――嘘つき。
無気力に、怠惰に、そして最後は
「貞枝さんは、氷花さんに暴言を吐いていました。あの子は〝清らか〟ではなく、そして自分は嘘つきだと。あの子の神経を逆撫でする言葉ばかりを
そんな差異を認める事が、大人になるという事ならば――やはりイズミ・イヴァーノヴィチの時もまた、
九年越しの感傷は、相当に粘着質なものらしい。そんな感慨はやはり苦笑の形としてイズミの顔に上り、何だか己が可笑しくなる。
笑顔で誤魔化す
「
克仁は、厳粛な声音で言った。
「〝言霊〟を、誘発するように」
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