4-8 霊感

 蝉が、鳴いている。誰もが沈黙してしまうと、蝉の声ばかりが部屋に響く。窓の向こうの舗道からは、子供の歓声が聞こえてきた。真夏の昼下がりの沈黙に、藤崎の苦笑交じりの声が溶けた。

「君は、うやって他者を悪戯いたずらに翻弄するから、妙な嫌疑をかけられてしまうのですよ。ホームステイ先だったと、素直に分かりやすくえばいいでしょう」

「いやはや、それは失礼致しました」

「ホームステイ?」

 拓海が目を瞬くと、二人の大人は揃って笑った。藤崎の目元には優しげな皺が寄り、何かを懐かしむように双眸が細められる。「ええ。イズミ君は私の家族です」と肯定した声には、温かな慈しみがこもっていた。

「イズミ君は幼少時、母国と日本を行ったり来たりしていましたから、私の所で預かる事が多かったのですよ。の頻度が増していき、日本の中学校への入学が決まった頃からは、ホームステイ先として私の家に居候する事になったのです」

「……呉野さんの母国は、どこなんですか」

 この質問は、七瀬が一度探りを入れたものの、回答が得られなかった質問だ。今日なら答えてもらえる気がしたので訊いてみると、予感は果たして的中した。「和泉で構いませんよ、拓海君。氷花さんと同じ呼び名では言い辛いでしょう」と前置きした和泉は、拍子抜けするほどあっさりと、拓海の疑問に答えてくれた。

「ロシアです。僕の日本人としての血は、祖父に当たる呉野國徳くれのくにのりの血です。母国の血は、ロシア人の家族の血です。氷花さんは僕の妹ですが、九年前までは従妹いとこでした。思い返してみても、誠に奇妙な巡り合わせですね」

「い……いとこ?」

 拓海は、目を軽く瞠った。ロシアは、まだ予想の範疇だった。柊吾や七瀬から和泉の容貌について聞いていたので、驚くには値しなかった。だが、この情報は予想外だった。脳内で描いていた呉野家の相関図がぐちゃぐちゃになり、混乱で少し眩暈がした。先程の撫子の、残虐な〝映像〟の所為だろうか。気分の悪さが、尾を引いていた。

「えっと……すみません、和泉さん。何から訊いたらいいのか、分からなくなったんですけど、少しだけこちらからも、質問をさせてもらっていいですか」

「もちろんです。何でも訊いて下さい」

 和泉は、莞爾かんじとして笑った。呉野氷花の兄とは到底思えない朗らかさだが、元は従兄妹だと証言されたばかりだ。純粋な善の笑みを前にして、拓海は何だか困ってしまった。

 何しろ、拓海はこれから、和泉を弾劾するようなものなのだ。なのに和泉は、拓海に優しい。今年の春に神社で和泉を責めた七瀬にさえ、それは同じだったという。喧嘩の経緯を拓海達に報告した七瀬は、思い返せば後ろめたそうにしていたが、今なら気持ちがよく分かる。

「あの。……さっきの、何ですか。手品とかじゃないですよね」

「ああ。これですか」

 和泉は、部屋の中空に目を向けた。拓海が〝花〟の事を言ったのだと、すぐに悟ってくれたらしい。それともこちらの心を読んだのだろうか。拓海には判断できなかった。

「手品ではありませんよ。ですが、手品という表現で、僕にも少し茶目っ気が湧きました。一つ僕も、その〝手品〟とやらに乗っかってみましょうか」

「? 和泉さん?」

 拓海はきょとんとしたが、和泉は面白がって返事をしなかった。代わりに、手慰てなぐさみのように開いていた文庫本のページを、ぱたん、と音を立てて閉じた。

 瞬間――朝日を受けた花が開花するように、溢れんばかりの色彩が、盛夏の和室へ舞い広がった。

「あ……」

 拓海は唖然と、また『見える』ようになった花々を振り仰ぐ。

 ぴしぴしと、空気の凍てつく音がする。尖った冷気が、半袖から露出した腕を撫でた。極彩色の花々は、透き通る薄氷うすらいに覆われていき――やがて、全ての花が凍りついた。

 ごとん、ごとん、と花が落ちる。あのナデシコの、花のように。あっという間に厚い氷に閉じ込められた花々が、重力に従って畳に落ちる。消えずに畳に積もった花の一つを、拓海はじっと見下ろした。

 うっすらと薄桃の花びらを透かせた花は、一体何の花だろう。最も麗しい姿のまま、それ以外の何も持たないという欠陥を抱きしめたまま、残酷に時を止められた花。永遠を体現したような、氷漬けの花。

 ――氷花。

 何だか、はっとした。拓海がその符号に勘付いた時、唄うような和泉の声が、凛とした響きで聞こえてきた。

「……『父のうようにあの子が喰われていなくなるのだとしても、残ったあの子も杏花きょうかです。鏡花きょうかであれ供花きょうかであれ氷花であれ、かけがえのない一人娘です。呉野杏花です。清らかな魂です』……そう書き遺して、笑って死んでいった人が、僕の身内にいます。僕は今日、その昔話をひもとく為に、君をここへ招きました。ですが、拓海君に話す為だけではありません。僕は、この悲劇の物語について何も知らない克仁さんへの懺悔も兼ねる為に、この場を設けさせて頂きました」

「……やはり、ですか。イズミ君。薄々勘付いていましたよ」

 藤崎が、拓海の隣の座布団へ腰を下ろした。そして、膝に乗せていた拓海の手を、てらいのない動作で再び取った。

「!」

 三度みたび、景色が入れ替わった。

 氷漬けの花から、氷が一斉に取り払われたのだ。

 冷気が霧散し、代わりに蒸した熱気が戻ってくる。蝉の声が聞こえて初めて、そんな外界の音までもが聴覚から遠のいていた事実にようやく気づき、拓海は慄然として藤崎を見た。藤崎の目は、和泉を見つめたままだった。真剣な眼差しで、和泉だけを見つめていた。

「イズミ君。君が此処ここに住んでいた、高校三年の夏の、某日まで。の部屋は普通の部屋でした。ですが、君が此処ここを出ていくと決めた時期を境に、どういうわけだか不思議な現象が起こり始めました。の部屋に君が居る時、花が降るようになったのです。茎のない、頭だけの花達です。そして君が居なくなると、ぴたりと何もなかったかのように降り止んでしまう。れに、れもどういうわけだか私には判りませんが……先程の君の言葉を借りるなら、君と私では『見え方』が違うようですね? 君にはいつも、の花が凍てついているように『見えて』いたのですね? 君は先程、〝言霊〟と云いましたね? れについて、君の知識を私に開陳する気はありますか?」

「貴方にしては、珍しく詰問調ですね。如何いかがなさいました? 克仁さん」

「氷花さんの、家族代理としての義務だからです」

 克仁は、言う。声に初めて、もどかしさにも似た情動が、熱っぽく通った。

「イズミ君。私は氷花さんというお嬢さんの事を、とても良い子だと思っています。素直で聞き分けがよく、礼儀正しい良い子だと。だからこそ、氷花さんの春の問題行動について、言及は君と國徳くにのりさんの二人に任せて、私からは何もわなかったのです。私まであの子を責めれば、あの子の周りは敵だらけになってしまう。きちんと指導をする家族が他所よそにいるならば、私の出る幕ではないと考えました。れに、彼女の方から先に謝られてしまいましたからね。――だから私は、何もわなかったのです。彼女が私には見せないかおを持っているのだとしても、れは思春期の少女が大人に見せたくないと隠す、いじらしい側面の一つだと割り切っていました。ですが」

 一度言葉を切った藤崎の琥珀の目には、微かな立腹が覗いている。子を叱る親のような目つきだった。

「最近のイズミ君を見ていると、私のそんな対応は果たして正しいものなのか、疑問に思う事が増えてきました。の辺りの弁解も、私に聞かせてくれませんか」

 徐々にきな臭く張り詰めていく大人同士のやり取りに、拓海ははらはらと聞き入っていたが――この時にはさすがに、部外者の拓海でも気づいていた。

「あの……藤崎さん……〝言霊〟について、本当に何も知らないんですか?」

「……。知らないのは私だけのようですね、イズミ君。少し酷いのではありませんか? まるで仲間外れです」

「そんなことはありませんよ。――僕達は、〝同胞〟なのですから。疎外感を覚える事はありませんよ、克仁さん」

「同胞?」

 謎の言葉を聞き取り、拓海は首を傾げる。藤崎が振り返り、何故だか悲しげに微笑むと、拓海の手から、手を外した。

 ぴたりと、花が降り止む。正確には、止んではいないのだろう。拓海の目には見えていないが、花はおそらく、今も絶えず降っている。藤崎の目には、あでやかに。和泉の目には、凍てついて。ひょっとしたら拓海の肩や膝にも、花が降り積もっているのかもしれない。

「坂上君。私は個人的な趣味として、民俗学をたしなんでいます。学問の追及がこうじて、地域の子供達へ民話を語り聞かせたり、すぐ其処そこの道場で開かれる絵本や紙芝居の読み聞かせの会に、お手伝いとして参加もしています。ただ、私が民俗学にのめり込んだきっかけは、決して子供好きという理由ではありません」

「え?」

 突然の告白に、拓海は面食らう。藤崎は顔をつと上げると、天井を大きく振り仰いだ。拓海には見えない夢の花を、幻視しているのだろうか。

「私には、俗に言う〝霊感〟があるのでしょう。ですがね、坂上君。藤崎克仁という人間は元来、心霊や狐狸妖怪こりようかいの類、非日常的な超常現象に対して、不審と倦厭を持つ人間でした。有体に言えば、一切信じなかったのです。読み物としては楽しめますが、実在を問われたならば、首をはっきり横に振ります。神の存在も同じです。若かりし頃に学友が、神の実在について熱く議論を交わしておりましたが、私は彼等をまるで相手にしませんでした」

 滔々とうとうと語る藤崎は、己の頑なさを笑うように、照れ臭そうに目を細めた。

「ですが、ある時から……具体的にいつ頃からなのかは判然としませんが、私はいつしか普通の人とは違うものが『見え』始めている事に、徐々に気づいていくのです」

 藤崎の手が、虚空を再び掴む。そして、拓海には見えない何かを乗せた手の平を、寂しげに見下ろし、苦笑した。

「私の視界に入る人間に――〝怪我〟の痕が『見える』ようになったのですよ。ですが、頭では不思議と分かっています。誰も、怪我などしていない。目の前の人間が腹から血を流していようが、頭がかち割れていようが、片目が欠損していようが、彼等は平然と生きている。私は慌てましたが、やがて気づきました。――〝傷痕〟は、私にしか……『見えて』いないのだと」

「……」

「誰かに酷い言葉をぶつけられた時、あるいは惨い仕打ちを受けた時、心に傷を負う――と。そんな形容をする事があるでしょう。私が『見て』いるものは、ともすればそんな〝傷痕〟ではないかと考察した時期もありましたが、ともあれ。私の理性は、誰にも見えないはずの傷が『見える』という現実を易々やすやすと受け入れられるほど柔軟でもなければ、老成してもいなかった。よって、私は己にだけ『見える』ものを徹底的に拒絶する為に、猛勉強を始めたのです」

「え? ……勉強?」

「はい。勉強です。がむしゃらに知識を頭に詰め込みました。全ての超常現象に、科学的な理由付けを行う為にです」

「えっ」

 藤崎が、温和に笑う。今語られている性急な若者と同一人物とは思えないほどに、緩やかで円い微笑だった。

「若い私は、あらゆる勉強を試みましたよ。当初は科学を極める為に知識を肥やしていきましたが、次第に自分が病魔に憑りつかれているのではないかという可能性に思い至り、精神病理についての本も大量に読み漁りました。其の頃にはもう鬼気迫るという言葉通り、半分狂人のような有様でしたね。結局、そんな私の様子がよほど不気味だったのか、家族に神社へ担ぎ込まれましてね。の時にお世話になったのが、呉野神社の神主。呉野國徳くれのくにのりというわけです」

 ――壮絶な話だった。七瀬から聞いた藤崎克仁像と、凄まじい隔たりがある。軽い笑い話のように昔を語った藤崎は、放心する拓海をあっけらかんと笑い飛ばして、ふ、と手の平に息を吹きかけた。まるで、花を散らすように。

「最終的に、私は神主さんとの会話の中で、平常心を取り戻し……焦燥から解放されて以降は、民俗学に没頭しました。其処そこには私が経験したような不思議体験、異質で怪しげな怪談のアーキタイプが、たくさん織り込まれていたからです」

「怪談? アーキタイプ?」

「ええ。アーキタイプとは、原型という意味です。『遠野物語』を読まれた事はありますか? 例えば、ある人攫いの話が所収されていて、里の人間が、妖怪だか天狗だか、正体の判らない赤ら顔の異形によって、山へと攫われたそうですよ。幸いにして私はまだ、異人さんにはお目にかかった事はありませんが――ういった妖しげな知識には惹かれましたね。そんな類話やいにしえの知識に、私は期待を懸けていましたから」

「期待、ですか?」

左様さようです」

 藤崎は、優しい口調を終始崩さないまま、昔話を締め括った。

「結局、私が民俗学というり所にこだわるわけは、の知識で自分の〝霊感〟を否定したかったからなのですよ。れが『見える』ことは普通で、ありふれていて、全く特別なものではなく、恐ろしいものでも決してない。れが、此処ここに記されている。体験談として其処そこにある。私以外にも他にいる。そんな安心感が欲しかったばかりに、今日こんにちに至って尚、いまだに惹かれ続けているのでしょうね……」

「……」

「ただ、私の〝霊感〟は極めて弱いものです。若かりし頃、取り乱したのが恥ずかしいほどです。少しばかり幻想的で狂おしい景色が見える他は、〝傷〟や魂の色、風合い。ういったものが、自ずと判るばかりです。他には、私と同じような〝霊感持ち〟の人間も、識別が可能です」

「魂……」

 拓海は茫然と、藤崎の言葉を拾って、呟く。

 作り話には思えなかった。現に七瀬と撫子の〝傷痕〟が言い当てられているのだ。藤崎は本気で、己が『見た』ものを言葉に変えて、拓海へ打ち明けてくれている。拓海は刹那逡巡し、別の切り口から会話を続けた。

「藤崎さんの言い方で言うのなら、三浦の魂は、どういう風に見えていますか」

「彼の魂ですか」

 藤崎は意表をかれたような顔をしたが、すぐに柔らかな表情になると、丁寧な口調で答えてくれた。

「……〝お守り〟が見えましたよ。身体の周りを、ヒイラギの葉で編んだような光の輪が、美しく嫋やかに巡っています。彼は愛されて生まれてきたのですね。子供は誰しもうあるべきですが、彼のように『見える』ほどの〝お守り〟は、少なくとも私にとっては珍しいものです。安心して下さい」

「……そうですか」

 謎めいた言葉だったが、拓海はほっと胸を撫でおろした。撫子の〝鋏〟に、七瀬の〝火傷〟。この上柊吾まで何かあったらと思うと気が気でなかったので、その保険は心強いものだった。

「……三浦は、大丈夫なんですね」

「ええ。大丈夫です」

 藤崎が拓海へ微笑ましげに答えた時、横合いから「それでは、〝同胞〟の話に戻りましょうか」と声が聞こえて、はっとした。藤崎に発言を譲っていた和装姿の異邦人は、拓海と目が合うと莞爾にっこりした。

「克仁さんの言葉を借りるなら、僕もまた〝霊感持ち〟という事になります。拓海君は柊吾君と七瀬さんから話を聞いているようなので、どうやら気づいているようですね。僕はそんなに怪しいですか?」

「えっと……」

 返答に窮する拓海を見て、和泉が吹き出す。気を悪くしたわけではないようで、和泉はひとしきり笑った後で、手に持ったままだった『罪と罰 下』を机に置くと、蝉の音に耳を傾けてから、穏やかに言った。

「良いのですよ。実際に僕は、変人だの狂人だのと、数々の罵倒を氷花さんから受けてきましたから。とはいえ、〝同胞〟に変人呼ばわりされるのは、いささか心外でしたが。僕が狂人だと言うのなら、彼女にもそれは言える事でしょうに」

「同胞……?」

 また、同胞。何度も耳にする言葉だった。

 固唾を呑んで、次の言葉を待つ拓海へ――和泉が、また笑った。

 そして、核心を突く言葉を、唐突に言ってのけたのだった。


「僕、呉野和泉。それから、呉野氷花。呉野國徳。藤崎克仁。イヴァン・クニノリヴィチ・クレノ。――この五名は、〝同胞〟。すなわち、〝霊感持ち〟です」


「……え?」

 拓海は、和泉を見る。流れるように言葉を操る、美貌の男の顔を見る。

 だが、そうやって和泉の顔を見つめても、にこりと笑い返されるだけだった。

 こちらが訊かなければ、教えてくれないのだろうか。拓海は茫然としながら「……もう一度、言ってもらえますか」と和泉に訊ねた。和泉は「ええ」と律儀に頷き、拓海の為にもう一度、同じ〝言挙げ〟を繰り返した。

「〝同胞〟――克仁さんが先程仰った〝霊感〟を持った人間は、呉野和泉。呉野氷花。呉野國徳。藤崎克仁。イヴァン・クニノリヴィチ・クレノ」

「ま、待って下さい! ……最後のっ、誰ですか!」

 拓海は、思わず和泉に叫んでしまった。

 藤崎が隣で、小さな溜息を吐く。相変わらずの和泉の態度に呆れているのだろう。救いを求めて藤崎を見ると、藤崎は苦笑しながら「イズミ君の父上ですよ。ロシア人と日本人のハーフです」と拓海の疑問に答えてくれた。

「イヴァン・クニノリヴィチ・クレノ。イヴァンが名前で、クニノリヴィチがミドルネーム。クレノが姓に当たります。奇妙な名前に思うかもしれませんが、ロシアではミドルネームに、父上の名を頂くのです」

「……そう、なんですか……」

 呆ける拓海に、藤崎が鷹揚に頷く。

「イヴァンの父上は、呉野國徳さんです。イヴァンは『クニノリ』という名前を頂いて、イヴァン・クニノリヴィチ・クレノになります。ざっくばらんに言えば、男性であれば『ヴィチ』、女性であれば『ヴナ』が父上の名前に付き、父称ふしょうと呼ばれるれがミドルネームとなるのです。なので、イヴァンのミドルネームは『クニノリヴィチ』。大雑把な説明になりましたが、分かりましたか?」

「……はい。何となく」

 拓海は頷いたが、軽い驚きで力が抜けたままだった。国が異なるだけで、名前にはそんな常識が加味される。それが単純に不思議だったのだ。

 だが、突然の外人名に気を取られている場合ではなかった。理解が及んだ拓海は、おそるおそる訊ねた。

「和泉さんのお父さんも、その……〝霊感持ち〟なんですか?」

「ええ。……そうですね。そうでした。父だけは、もうどうだか判りませんが……父もまた、『分かる』人でしたよ」

 和泉は、淡く笑った。

 意味深な、言葉だった。意味深な、笑みだった。

 微かな引っ掛かりを覚えたが、和泉は拓海に質問の隙を与えなかった。すっと居住まいを正した和装姿の異邦人は、拓海と真っ直ぐ向き合った。

 ――雰囲気が、少し変わった気がした。

「拓海君。僕は今から、九年前の話をします。夏の盛りの出来事です。……『左様さようなら』、と。十八歳の青年が、六歳の少女に、別れの言葉を告げました」

「青年? ……少女?」

「ええ。高校三年生の青年です。青年は実に生真面目な性格でして、遊びも知りませんでした。同年代の友人はそこそこの数いましたが、丁寧な物腰を煙たがられたのか、深く付き合う間柄の友人は一人もおらず、大人とばかり深く心を通わせていました。それでも彼が周囲と調和できたのは、彼が異邦人だったからです。日本人離れした髪の色と瞳の色。異国の人間への興味と関心。それらが周囲の人間との絆となって、彼を学園に繋ぎ止めていました。そんないつ千切れるとも分からない危うい絆の正体に気づいていながら、己が呼吸し易くなるものには都合よく乗っかろうという、少し怠けたところもありますね。小狡いところもある青年ですが、根は純情です。融通の利かない若者らしい情熱と、己の信義を持っています。同年代の少年少女との接触をいい加減にしたことで生まれた、偏った人間関係と、人付き合いの希薄さが……そんな初心うぶさを、十八歳の心に残したのかもしれません……」

「……」

 何となくだが、分かった気がする。

 和泉が今、誰の話をしているのか。

 拓海が「和泉さん」と口を挟みかけると、腕が引かれた。一瞬、視界に花が躍る。硬い手の平はすぐに離され、花は幻にかえっていく。振り向くと、藤崎が唇に指を当てていた。制されるのは、二度目だった。和泉が、静かに言葉を続けた。

「……さて、これよりお話させて頂きますのは、九年前の夏の惨劇です。消えていく妹、止まらない狂気、次々と死にゆく家族の姿――そして。僕が呉野和泉として、この世に生まれ直すまで。その誕生秘話を、今ここにひもときましょう。……ですが、その前に」

 青色の瞳に、外光の澄んだ輝きがぼうと灯る。拓海と相対した和泉は、たのしげに笑っていた。

「坂上拓海君。先に君の疑問を、この場で全て片付けてしまいましょうか。君は僕に、幾つか質問を用意してきましたね? さあ。答えましょう。もう一度言いますよ。――何でも、訊いて下さい」

 呼吸が、つかえた。胃の辺りに浮遊感を覚え、心臓の鼓動が早まっていく。

 分かってしまったのだ。拓海の質問が終わった時、何かが始まり、変わってしまう。もう後戻りは出来ないのだ。この知識は劇薬で、破滅を孕んだ諸刃もろはつるぎだ。

 七瀬の顔が、脳裏を掠めた。声を、思い出そうとする。拓海を呼んで、拗ねて、怒って、甘えて、笑って、少しだけ泣き出しそうな顔をした七瀬の様々な声を、拓海は思い出そうとする。

 拓海が無事に帰らなければ、もう二度と聞けなくなる声。

 拓海が役目を放棄すれば、いずれ聞けなくなるかもしれない声。

 そこまで、思い詰めた時――最初の質問は、自ずと決まった。

 すっと、息を吸い込む。拳を握り、手の震えを殺し、覚悟を決めて、顔を上げて――拓海は一つ目の質問を、和装の男に向けて叩き出した。

「呉野氷花さんは、篠田七瀬さんを狙っていると聞きました。それは、今もですか?」

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