3-27 退院

『差出人:綱田毬 Re:無理しないでね

 七瀬ちゃん、退院おめでとう。身体の具合はどうですか? もう学校には行けるようになった? 何回も言うけど、本当に気にしないでね。七瀬ちゃんが元気になったら、その時にまた会おうね。

 あの日、袴塚西中の子が来たからびっくりしました。七瀬ちゃん、他校にも友達が多いんだね。

 あと、袴塚西中の雨宮撫子ちゃんが、七瀬ちゃんと話したいみたいなの。七瀬ちゃんの携帯に電話をかけさせてほしいって言ってたよ。

 それじゃあ、またメールするね。七瀬ちゃん、お大事にね。


 追伸:あのね、遊園地の割引チケットを、前にも話したミヤちゃんっていう学校の友達からもらったの。七瀬ちゃんが元気になったら、一緒に行きませんか?

 あの、もし一緒に行ってくれるなら……二人までしか入場の割引が利かないから、私と二人になっちゃうんだけど、よかったら。』


 つい、何度もメールを見てしまう。分かりやすい浮かれ方をしている自覚はあったが、携帯の電源を切る前に、一目見ておきたかったのだ。毬とのメールのやり取りは、今日も七瀬にささやかな元気を届けてくれる。携帯を紺色のプリーツスカートのポケットに滑り込ませると、ぐっと空高く伸びをした。

「もう元気なのになあ……」

 身体を弓なりに反らせてから、ぱっと手をほどいて背中で組む。青空の下で、春風にそよぐセーラー服の襟の近くを、桜の花びらが掠めていった。

 どこから飛んできたのだろう。午前中の仄白い光に包まれた灰色の住宅街を見回すと、「あっちみたいだ」と男の子の落ち着いた声が聞こえて、隣から黒い学ランの腕が伸びてきた。骨ばった指先は、丁字路ていじろの突き当り、色の鳥居と石段辺りを指している。

「もうすぐだね、坂上くん」

「ああ。三浦が言ってた通り、本当に住宅街の真ん中にあるんだな」

 感嘆の声を漏らした坂上拓海と、七瀬も気持ちは同じだった。周囲を住宅にぐるりと囲まれた小さな御山おやまは、開発の波から取り残された陸の孤島のように見える。木々は桜色の薄化粧をしていたが、ところどころ新緑が瑞々しく萌えていた。

「散っちゃうのって、あっという間だよね。あんまり楽しめなかったなあ」

「いいじゃん。葉桜でも綺麗だよ」

「じゃあ、後で駅前に行こうよ。桜並木、見たい」

「うん」

 その返事が嬉しくて、七瀬は拓海の手を握った。途端に、拓海は人の良さそうな顔を狼狽で赤らめる。そろそろ慣れて欲しいと思う。七瀬は抗議を込めて少し睨んだが、そんな七瀬を見下ろす拓海が、ふと気遣わしげな顔になる。

「篠田さん、今日はもう平気? 熱が下がるまで結構かかったから、心配した」

「坂上くんまで。平気だって言ってるのに」

 七瀬は軽い調子で笑ったが、確かに言われた通りだった。まさかこれほど長引くとは、七瀬も思っていなかった。

「あーあ。三日も学校に行けないのヤだったなあ」

「なんで? ゆっくりできてよかったじゃん。三浦と雨宮さんも、見舞いに来てくれたし」

「それはもちろん、嬉しかったし、楽しかったけど。でも、今の時期に学校に行けないのは寂しいよ」

「ん?」

「もう」

 どこまで鈍いのだろう。七瀬は唇を尖らせた。

「席替えまで、あと二週間くらいでしょ? せっかく隣なのに。お休みしちゃった所為で、もったいないことしちゃったなって思ったの」

「あ……」

 やっと分かってくれたらしい。拓海はぎこちなく頷いて余所見をした。本当に、こちらが言ってばかりだった。怒りたくもなったが、まあいいか、とも思う。

 今は、目先のことに集中した方がいい。

「それじゃ、ちょっと待っててね」

「……俺、一緒に行かなくて本当に平気?」

「うん。私のことだしね。……でも、来てくれて嬉しかった」

 話しながら歩いていると、あっという間に鳥居の前まで辿り着いた。角が丸く削れた石段は御山のてっぺんまで伸びていて、春の日差しをたっぷり吸い込んだ草花が、青々と豊かに匂い立つ。七瀬が一人で歩き出すと、花の香りを運ぶ風が、さらさらと前髪に触れていく。「気をつけて」という背後からの声に振り向けば、少年の優しい笑顔が、七瀬を見送ってくれていた。

「行ってきます」

 休日に制服姿で出かけた二人は、笑い合う。拓海は鳥居の前で待ち、七瀬は右側で結った巻き髪を翻して、頂上にあるもう一つの鳥居を目指して、歩いていく。

 呉野神社を目指して、歩いていく。

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