2-18 真相

袴塚こづか市名物の異人さんから電話が掛かってくるなんて、珍しい事もあるもんだな』

「ほう、異人と仰いますか。民俗学的で大変興味深いですね。貴方くらいですよ。そんな酔狂な呼び方をするのは」

『まあ、蔑称っぽい感じするからな。嫌だったらちゃんと呼ぶぜ?』

「お好きなように呼んでいただいて結構ですよ。実はその呼び名、気に入っているのです。キョウジさん、貴方には先見の明があるのやもしれません」

『何だそりゃ? ま、人の名前をちゃんと呼ばないのは、お互い様ってことだな。で、なんで民俗学?』

「貴方が知らないわけないでしょう? 実は読書家のキョウジさん。僕を異人と呼ぶからには、『遠野物語』辺りを読まれたのでは?」

『おお、それそれ。ずっと前に和装のイズミ君を見た時に、正直似合うんだか似合わないんだかよく分からんって思ったけど、山とか神社とか鳥居とか、日本の自然を背景に据えて立つと、凄い調和してんなあ、って感動したんだよ。キレイ過ぎて現実味もなかったから、昔話に出てくる天狗とか人攫いって言われても、案外ころっと信じられそうな雰囲気もあったしな』

「和装は、またお披露目しますよ。ですが、僕は天狗でも人攫いでもなく、ただの呉野和泉です。人を攫うだなんて、そんな大それた犯罪。到底できませんよ」

『あんた、やっぱり面白い奴だな。話してて退屈しねえ』

「それはどうも。僕もキョウジさんとのお電話、好きですよ。ただ、今日は雑談を楽しんでばかりもいられないようです。昨日のお話、よろしくお願い致します。できる限り、目を離さないであげて下さい」

『俺にはどうしてイズミ君が心配するのか分かんねえけど、何か事情があるんだろう?』

「おや。追及はしないのですね」

『したら答えるのか?』

「さて、どうでしょうね」

『ほらな。まあ、ハルちゃんの暮らしを気にかけてくれる気持ちは有難いから、別に根掘り葉掘り訊いたりしねえけど。分かんねえなあ。イズミ君は、人の恋路なんかに口挟むような出しゃばりじゃないはずだ』

「滅相も御座いません。僕は出しゃばりですよ。そうでなければ、中学生の友人ができたりはしなかったと思います。良い御縁をたまわりました」

『へえ? 歳食ってくとさあ、若者とどう付き合っていけばいいのか考えさせられるよな。結局悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなって、いつも地でいってるけどさ』

「キョウジさん、そんなお話をされるにはまだ若過ぎますよ。三十七でしょう」

『あんたに歳の事を言われたくないな。イズミ君、いくつだっけ?』

「二十六です。若造が出過ぎた事を申しました」

『二十六の若造の喋り方じゃねえよ。ガキの頃のイズミ君は、外国の油彩画に描かれた天使みてえだったのに、変な奴になりやがって』

「ところでキョウジさん。妙な訊き方になりますが、首尾は如何いかがなものでしょう」

『……五分五分ってとこか。いや、多分何回かはフラれる』

「そうですか」

『そうですかって何だテメェ』

「他になんと申せば良いか分からなかったものですから。申し訳ありません」

『謝られると余計傷つくわ! やめろ! ……まあ、諦めるつもりはないけど』

「ああ。やはり勝算はあるのですね。安心致しました」

『一緒になりたいとか、そういうのはさあ。俺はどうでもよかったんだ。そこまで望むのは駄目だろう。それこそ出しゃばり過ぎだ。俺は『義兄さん』だしな。色々壊れると思うし、単純にそれが怖かったのもある。元々ある幸せに分け入るっていうのは、どう考えても無粋だ。俺はあの家族の『愛』を見てるだけで、結構幸せなんだ。だからイズミ君の頼みでも、絶対突っ撥ねたと思うよ。同じ話を先に、甥っ子に言われてなかったら』

「おやおや。子供は不思議ですね。大人が思うよりも遙かに多くのことを思考して、時折思わぬ行動に出る。案外大人よりも観察眼が優れているのやもしれません。見抜かれていますよ、キョウジさん」

『二十六ならイズミ君だって子供だ。あんた老成し過ぎて笑えてくるな。……今回の事は、真剣な話として受け取っとくよ。どうせ理由を教える気はないんだろ?』

「教えた場合、僕が狂人呼ばわりされる未来が見えますね」

『それなら心配無用だ。あんたもう結構な狂人っぷりを発揮してる。……でもまあ、信じてやるさ。見守る以外の『愛』なんざ初めてだけど、形は違えど『愛』は『愛』だろうよ。……はあ、それにしても『愛』ねえ。愚弟が甘ったるい奴だった所為で、抵抗なんかどっか行ったわ』

「その弟さんと、惚れた女性の為に、安産祈願のお守りを血相変えて買い求めに来られた方のお言葉とは思えませんね。その御縁でのお付き合いには、感慨深いものがありますよ」

『イズミ君、それ、言いふらしたら殺す。……っと、しまった。言葉遣い直さねえとな。俺の口が悪い所為で、シュウゴまで最近言葉遣いが乱れてるんだよ。あいつ、ハルちゃんの前では純朴そうに喋ってるくせに、友達の前ではやっぱりちょっと口がりぃから。こないだついに友達と電話してるところを聞かれて、殺すとか言ってるのがバレたらしい。俺までハルちゃんに怒られた』

「それはまた物騒な……いや、道理でと言うべきですね。彼はその容貌から連想される性格よりも、ずっと純朴で優しい少年ですから。殺すという言葉は似合わないと思っていました。貴方が原因なら納得です」

『……。やっぱりさっき言ってた中学生の友人。シュウゴか。同じ日に二人の人間から同じことを言われるなんて、絶対おかしいって思ってたんだよ。なんだ、お前ら結託しやがって。若者が大人をからかうな』

「その台詞。貴方の愛しい人と同じですね」

『ん? 何か言ったか?』

「いえ。それより、僕らは結託などしていませんよ。これは本当に偶然です。ただ、彼に伝えそびれた事があるので、少々困っておりまして。キョウジさん、彼はもうこの事を知っていますか? 間に合えば良いのですが」

『ああ。シュウゴは帰った後だったけど、夜に電話で伝えてやったよ。……あいつ、何かあったみたいなんだよな。ちょっとびっくりした』

「何か気になることでも?」

『土下座されたんだ。普通科の高校に通わせてほしいから、金出してくれ……って。いきなり家に押しかけてきたのにも驚いたけど、その時のシュウゴの格好も凄かったしな。制服を汚したとかでジャージでさあ、顔も腕も擦り傷まみれで。運動する奴だから、それくらいじゃあ驚かねえけど……なんか、目つきが変わってたんだよな。生き生きしてるっていうか。まあ、何であれそんな理由で土下座されるのは腹立つから、ちょっと喧嘩になってな。その後で全額出してやるって言ったけど』

「お優しいのですね。貴方は」

『これくらいで優しいなんて言うな。当たり前のことだろう。あ、あとシュウゴの奴、妙なこと言ってたな。俺、あいつに難しい本を貸してたんだ。学校の課題でいるとかで。でもさ、急いで読むんじゃなくて内容をしっかり理解したいから、なんて言い出してさ。課題は結局、別の本で済ませたらしい。しかも貸してたその本、欲しいって言われたんだ。買ってやるよって言ったけど、俺の本がいいんだと。イズミ君、どう思うよこれ? 詮索も野暮かと思って訊かなかったけど、何があったんだろうな』

「それは、貴方への感謝の気持ちに他なりませんよ。あとは――『武器』ですかね」

『は? 武器?』

「知識が時に武器となり得ることを、柊吾君は知ったのです。あれは初めて柊吾君が、大人からの教育が現実に対して役に立ち、戦いに使えるものなのだという確信を掴ませてくれた物ですから。記念の品、もしくは覚悟の意味合いもあるのでしょう。買った本では駄目なのです。貴方の本が良いのですよ」

『……。何、シュウゴ、俺に惚れてんの?』

「遥奈さんにフラれますよ、キョウジさん。柊吾君にも怒られるかと。……ああ、病院に到着しました」

『ん、そうか。……まあ、お大事にな。何て言ったらいいのか、よく分かんねえけどさ。事情は適当にしか教えてもらってないから。相当そっちが悪いみたいだし、もしシュウゴに累が及ぶなら、俺、こっちの味方するから。悪いけど、そのつもりで』

「勿論ですよ。ご迷惑をおかけしました」

『ん。じゃあな、イズミ君』

「それではまた。恭嗣さん」

 ――ぷつん、と。

 通話を切って、そのまま電源も落とした携帯を、スーツのポケットへ滑り込ませながら――呉野和泉は、迷いのない足取りで歩く。

 病院のエントランスを抜けて、エレベーターに乗り込んだ長身痩躯は、あっという間に整形外科の入院患者が過ごす病棟へと辿り着く。和泉は目的の扉の前に立つと、ノックの姿勢で動きを止めた。

 ――扉の向こうから、少女の声が漏れていた。

 低く紡ぎ出された少女の声は、抑揚と人間味を欠いていて、聴く者のいないラジオか、あるいは唱えられた経文のようだった。

 しばらく立ち止まっていた和泉は、やがて扉を、スライドさせた。


「殺す、殺す、殺す、殺す…………」


「……」

 室内に入った和泉は、扉を後ろ手に閉めて、肩を竦める。そうして軽い笑みを浮かべると、ラジオを解体ばらして捨てるように、少女の読経を途切れさせた。

「まるで呪詛ですね。幽鬼のようですよ、氷花さん」

 一人部屋の窓際で、水色の入院着姿の呉野氷花が、ベッドで上体を起こしていた。長い黒髪は帯のようにシーツへ広がり、前髪の向こうで殺意を滾らせた双眸は、言葉通り幽鬼のようなおどろおどろしさで、ひたと兄を捉えていた。

「……何しに来たの」

「見舞いです。ですが、見舞いではありません。退院ですよ、氷花さん。貴女の怪我は元々、入院するほどのものではありません。速やかにここを出て、ベッドを他の患者さんに明け渡して下さい」

「嘘よ!」

 氷花は噛みつくような勢いで和泉を睨み、激しく身体をよじった。しかしそんな動作がよほど身体に響いたのか、ぎりぎりと悔しげに歯噛みしている。

「こんなに痛いんだもの! 罅が入ってるって言われたのよ! ……三浦柊吾、許さない。殺す、殺す、殺す……」

「つまらない呪詛は後にして頂けませんか。退屈です。もう一度言いますよ。貴女の怪我は入院するほどのものではありません。確かに肋骨に罅は入っていますが、ごく小さなもので、検査の結果、臓器を傷つける危険もないと判断されました。湿布とバンドの自宅療養で安静にしていれば治るものです。見苦しく痛がって図々しく居座り、病院を困らせるのもいい加減にして下さい。貴女の名前、ブラックリストに載ったと思いますよ。いくらごねようと、これ以上居座るのは不可能ですから。さ、荷物を纏めましょう。手伝いますよ」

「あんたが全部やってよ」

「貴女の荷物でしょう」

「信じらんない! 入院患者にさせるなんて!」

「僕はどういうわけだか、貴女の事は『分かりません』。それでも、貴女が必要以上に痛がって我儘を言っていることくらいは簡単に見抜けるつもりです。そんな悪党にかける慈悲などありませんので、悪しからず。あと、入院患者を名乗るのもおこがましいかと。貴女は病院に齧りついているだけですから」

「やっぱりあんた、嫌いだわ。死ねばいいのに。……『弱み』、晒してよ」

「効きませんよ。何を言われても。諦めが悪いですね」

「……ふん。まあ、いいわ。……いいのよ、別に、ふふふ……」

 瞳いっぱいに嘲りと憎悪と怒りを湛えた氷花が、口元を震わせて笑った。狂気を病室中に振り撒きながら、氷花はベッドをまさぐり、シーツから携帯を取り出した。

「情報網を駆使して、調べたのよ。……三浦柊吾。あいつの『弱み』が分かったわ」

「大層な執念ですね。形ばかりのご学友から、一体何を訊き出したのやら」

「三浦柊吾は、母子家庭よ。小六の時、父親が事故死してるわ。以来、あの家族はずっと二人。……あいつの『弱み』は『母親もいなくなる事』よ。……三浦遥奈。十四歳の息子を持つには若いわね。綺麗なお母さん。羨ましいわ。……まあ、もうすぐいなくなるけどね。……消してやる。三浦君。残り短い家族で過ごすひと時を、精々楽しめばいいわ。殺す、殺す、殺す……」

「……。そんなことだろうと思っていました。貴女は外道で、小物ですから。卑怯者の手口は実に分かりやすいですね」

「小物っ? ふふ、三浦遥奈がどうにかなった後で、同じ台詞が言えるかどうか見物だわ!」

「手なら、既に打ちました。まずは貴女の転校です。袴塚市内ですが、学区は柊吾君や撫子さん達の通う袴塚西からは最も遠い。中学生活を送る貴女が、遥奈さんに手を出し辛いようにしました」

「それが何? ふふ、それくらいが何なのよ! あはははっ、お兄様、馬鹿なんじゃないの?」

「あと、貴女は誤解していますよ。柊吾君は母子家庭ですが、あの家は二人だけではありません」

「はあっ?」

「少なくとも、家族という括りでは三人です。柊吾君は学生なので、遥奈さんにぴったりついて守り続けるのは確かに不可能です。ですが、柊吾君の目が届かない所で、遥奈さんを守れる人は存在します。相手も社会人なので時間の制約は柊吾君と同じですが、何かしら知恵を絞ってくると思いますよ。ここは一つ、『愛』ある三浦家の方々の言葉をお借りしましょうか。――大人の恋『愛』に、中学生で十四歳で真っ盛りの『クソガキ』が、どこまで健闘できるのか。それこそ見物ですね。貴女、柊吾君にも言われていましたね。グロテスクだと。僕もそう思いますよ。貴女が『愛』を語るには、些か早すぎたようですね」

「……うるさいわ。死ね。俗っぽい言葉を放つお兄様なんて、醜くて大嫌いよ」

「借り物の言葉では、美しく響かなくとも道理でしょうね。ああ、折角ですので、種明かしをもう一つ。今まで僕は、貴女が小学五年の時の事件について、知ることが出来ませんでした。理由は、僕が当時の事件を知る少年少女と出会わなかったからです。ですが、僕は三浦柊吾君と出会いました。――ようやく分かりましたよ。事件の概要と、その記憶。そして、紺野沙菜さんの事が。やはり、貴女の仕業だったのですね。確信はしていましたが、残念です」

「私は、なかなか面白かったわよ?」

 悪びれもせずに、氷花は威張る。和泉は病室に来た時から薄い笑みを浮かべていたが、この時だけは、顔色が僅かに曇った。

「柊吾君は、犯人に気づいているようでしたよ。撫子さんも。……貴女達が小学五年の時に、ナデシコの花を全て切り取った犯人は、紺野沙菜さんですね」

 和泉は、言った。淡々とした声だった。

「貴女は、紺野沙菜さんに〝言霊〟を使いましたね。彼女の『弱み』はたくさん見当がつきますが、おそらく、一番心に刺さる言葉は――『雨宮撫子』。違いますか」

「あら。さすがね」

 ご明察とばかりに、氷花はにやにやと笑った。

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