第557話黒マスクVS細マッチョのアマジ その2
ガガガンッ!
ザシュッ
「ち、まだ
裂けた胸当てを意に介さず、最大限に周囲を警戒するアマジ。
無数に襲い来る攻撃を、手甲で受け、弾き、捌き。体術で避け、躱すが、その全てを防ぎきるのは不可能だった。
何せ、周囲を覆う、桃色の霧に視界を奪われ、頼りとなる気配の感知さえも、黒マスクの能力で封じられていたからだ。
目の前に現れた時には既に攻撃を喰らい。
気付いた時にはとっくに被弾していた。
その結果、攻撃を避けきれずに、防具と衣服を切り裂かれ、この場に足を踏み入れた姿とは、大きく様変わりしていた。
『『あら~ん、随分と扇情的な姿になってきたわねっ! もう少しで鍛え上げた逞しい太腿も、日に焼けた厚い胸板も、全部丸見えになっちゃうわねっ! だからまだまだいくわよっ!』』
桃色の濃霧の中から、甲高い愉悦の混じった声が響き渡る。
そんな黒マスクは、気配と手応えで、戦場を把握しているようだった。
「ふむ。やはり付け焼刃ではどうにもならんか。いや、アイツはあの時確か、目を閉じていたな。そして――――」
余裕を見せる、相手の声など無視し、アマジは集中する。
あの時を再現するかの様に、あの時の蝶の言葉と、あの技を思い出す。
シュッ
ザシュッ
「く、まだ足らぬか。もっと追い込まぬとダメかっ。それとこれも邪魔だな」
壊れかけの胸当てを外し、更に集中する。
目を閉じ、脱力し、無防備になりながらも、強くイメージする。
想像するのは、身が竦むほどの圧倒的な恐怖。
その先で待ち受けるは、逃れられない己の死。
一撃がそのまま命の喪失に繋がる、絶対的な負のイメージ。
それこそが――――
シュッ
『『えっ!?』』
「………………」
シュッ ×2
『『ま、まさか』』
「………………」
シュッ ×3
『『アタイの攻撃が見えているのぉっ!』』
「………………」
数度に渡って華麗に躱す、アマジの動きに驚愕する黒マスク。
槍先が触れた瞬間、今までとは全く違う動きで躱し始めたからだ。
――――それこそが、死に抗う、生物の本能を利用し、超絶反応を可能にする技『spinal reflex 改』(脊髄反射)だった。
「はぁはぁ、これでようやくと言ったところか。それでもまだまだ甘いようだな。ふぅ」
乱れた息を整えながら、被弾した箇所を目視し、ゆっくりと息を吐き出す。
黒マスクは、全て躱されたと感じたようだが、衣服の数か所が
だが、戦闘に影響するダメージは皆無だった。
出鼻で最初の一撃を肩口に受けて以降、身体は無傷のままだった。
『…………にしてもこの技は、自分で使って分かったが、そう連発出来るものではないな。精神を著しく疲弊し、その影響で頭と体が重くなる。だというのに、アイツは難なく披露し、その後も平然としていたな。この辺りに俺とアイツとの差があると言う事か……』
意識を保つように、軽く頭を振るアマジ。
この技が優れている反面、諸刃になることを理解した。
使用するには、桁外れな集中力と、絶望に打ち勝つ強靭な意志、それと膨大な体力と経験が不可欠なのだと。
『『もう、なんなのよさっきからっ! もう少しで丸見えになるのにっ!』』
シュッ
そんなアマジの葛藤などつゆ知らず、黒マスクは攻撃を仕掛け続ける。
霧の中から気配を殺し、己の欲望を前面に出し、正面を避けて移動を繰り返しながら。
黒マスクの能力は、単体でもかなり強力なものだ。
そこに、長柄の武器と死角からの攻撃で、更に脅威度が増していた。
だがこれ以降、黒マスクの攻撃が当たる事はなかった。
本人が気付かないうちに、能力が消えかけていたからだ。
その訳とは、
シュッ!
『『一体どうなってるのよっ! アタイの攻撃が全然当たらないじゃないっ! なんで、なんでなのよーっ!』』
苛立ち、声を荒げながら、鋭い突きを放ち続ける黒マスク。
異様な事態に混乱しながら、それでも執拗に攻撃を繰り返す。
シュッ!
「む? そこか?」
視界を塞ぐ霧の中に、アマジは何かを察知する。
今までは感じ取れなかった、黒マスクの微弱な気配を。
ガッ
「ふぅ、ようやく捉えた」
『『なっ!?』』
背後から襲ってきた槍の柄を難なく掴むアマジ。
その光景を唖然とした顔で見つめる黒マスク。
「どうやらお前は自分に負けたようだな」
『『な、なにが、何の話よっ!』』
「お前は最初、俺に恋慕の情を抱いていたようだが、今は違うと言う事だ」
『『それが何よっ! 何が違うってのよっ!』』
「俺は死の恐怖に打ち勝った。だがお前は違う。俺に対する恋慕の念より、俺への恐怖が上回ってしまった。その結果、能力が消えかけていると言う事だ」
『『っ!?』』
黒マスクの能力。
現代風で言えば、特殊な“フェロモン”なる分泌物を纏い、存在を薄くする能力。
だが今の黒マスクは、そのフェロモンが途切れている状態。
アマジに対する感情が、得意の能力が破られかけ、恋から恐怖に上書きされてしまったのが原因だった。
「だから今の俺には、お前の位置が把握できる。暗闇や視界の効かない戦闘など、今まで散々こなしてきたからなっ!」
グイッ
握っていた槍の柄を強く握り、黒マスク共々、一気に引き寄せるが、
『『わっ!』』
小さな悲鳴と共に、手ごたえが軽くなり、槍だけが手元に残る。
「む、武器を手放し、霧の中に逃げたか。その判断は間違っていないが、もう見失う事はないぞ」
ビュンッ
アマジの手から、蛇のようなものが放たれ、消えていった黒マスクの姿を追う。
それはマジックポーチから取り出した、狩猟用のムチだった。
『『きゃっ! な、なによこれっ!』』
黒マスクを追ったムチが、正確にその腕を捕らえ、ピンと張る。
『『まさかその細腕で、アタイと力比べしようってのっ!』』
グ、グググ――――
巻き付いた左腕と、右腕でムチを掴み、力を込める黒マスク。
単純な力勝負なら、筋肉の量と体格で勝る、自分に勝算があると判断したようだが、
「ふんっ」
グイッ
「へっ!? わ――――っ!」
一秒も踏ん張り切れずに、巨体が引っこ抜かれるように宙を舞い、桃色の霧の中を突っ切りながら、アマジに向かい飛んでいく。
「既に勝負はついているが、このまま一撃入れさせてもらうぞ」
ムチを強く引き、迫る黒マスクの腹部に、無手での一撃を放つ。
ドゴォッ!
「う、ぐぅっ!」
強烈な一撃を鳩尾に受け、その威力で数メートル飛ばされ、地面に倒れ込む黒マスク。
「が、はぁ、はぁ、な、なんて重い攻撃なの、そ、それにその筋肉で、アタイを投げ飛ばすなんて……」
膝を付き、顔を歪めながら、投げ飛ばしたアマジを、信じられないと言った様相で見上げる。
「今のは筋力のせいではない。俺は身体能力を、魔力で増幅する事が出来る」
「ま、魔力で? 魔力にそんな使い方があるなんて知らないわ」
「それは仕方のない事だ。元々この大陸で会得したものではないからな」
「それって、このシラユーア大陸以外で覚えたって事?」
「ああ、そうだ。俺は―― いや、俺たちは、絶対的なチカラを得る為に、各大陸を渡ってきた。この技は魔法大国で知られた、メアリカ大陸の、とある国で会得しものだ」
黒マスクを見下ろしながら、アマジはその経緯を話す。
「そ、それは驚いたわ。でもアタイだって、この能力を覚えてから、今まで負けた事なかったのよ?」
「それは今まで、己より強い者と戦ったことがないのだろう? お前の戦い方を見てそう感じたが」
「アタイより強い者?…… そ、そうかもね。アタイはこの能力のせいで、逆に臆病になってたのかも。破られることが怖くって……」
強力な能力を持つ故に、起こりうる弊害。
黒マスクはこの能力を使いこなし、ある程度の者にも勝ってきたのだろう。
だが、絶対破られない能力や、未来永劫通用する技など存在しない。
いつかは破られるものだと、心の底では理解していた。
その結果、絶対的な信を置く、自身の能力を守るために、自分よりランクが低い者や、見るからに体格で劣る者などを無意識に選別し、ここまで勝ってきたのだろう
自身の個性や切り札ともいえる、この能力を守るために。
「大層な事を言っているが、俺もお前と似たようなものだ。見た目に惑わされ、自身の力に過信し、つい最近、大敗したばかりだからな」
「大敗って、こんなに強いあなたが?…… それにまだ色々隠してるわよね? あ、見た目に惑わされたって事は、もの凄い美男子なのね? それか、素晴らしい筋肉の持ち主が相手だったとか?」
「美男子? いや、ん? そうだな。ある意味では男前だともいえるな。筋肉はわからないが」
敵対した、自分と家族を救った挙句、何の見返りも要求しなかった、幼くも、凛々しく気高い、あの横顔を思い出す。
「もしかして、それって――――」
「ああ、この街で、蝶の英雄と呼ばれるものだ」
「やっぱりそうなのね。だからアタイたちと戦ったんだものね。でもその蝶の英雄ってのに、ちょっと嫉妬しちゃうわ」
「そうなのか?」
「ええ、それにそれほど男前なら会ってみたい気持ちもあるわ。あなたが相当惚れ込んでるみたいだから」
「いや、別に俺は、あのような子供には――――」
「さて、そろそろ終わりにするわね? もうこれ以上続ける意味はないもの。それに負けても得するのはアタイだけだからね」
「得?」
「それじゃ、『参りました。今後、蝶の英雄の名を騙る事はしません。ですから許して下さい』 はい、これでいいわね?」
アマジを見上げながら、さらっと敗北宣言を終わらせる。
「ああ、それで合っている」
「それと、これで終わりだけど、覚えてるわよね? あの約束」
頬を両手で包み、潤んだ瞳で視線を送る黒マスク。
何かを期待しているのか、そわそわと体を揺らしていた。
「約束? ああ、確かお前を好きにしていいって事だったな? ならお前には、今回の騒動を起こした贖罪として、この街のギルドで無償で働いてもらう」
「はっ! えっ!? ちょっ、意味がちが――――」
「それと、その能力に興味が湧いた。暫くは監視がてらに、俺たちの練習相手になってもらうとしよう。寝床はこちらで用意する」
「………………」
思いもよらない話に、一瞬文句を言いかけた黒マスクだったが、二つ目の話を聞いて、口を
『あらん、寝床を用意してくれるって事は、ある意味同棲ってやつよね? ならアタシにもまだチャンスがあるって事だわっ! ただ蝶の英雄ってのが、何気に邪魔くさいけど』
男らしく、精悍でいて、どこか優しさを感じる、アマジの横顔を見て決心する。
どちらが本妻に相応しいか、いつか雌雄を決する必要があると。
こうして、黒マスクとアマジとの最終戦は、黒マスクが敗北宣言をした事で、アマジの勝利となった。
※
ちょうどその頃、とある建屋の2階の一室では、
「くしゅんっ! あ、ヤバい」
思わず出たくしゃみに、慌てて口を塞ぐ、一人の侵入者がいた。
「なんだろ? こんな時にくしゃみなんて。アバターだから風邪とかじゃないと思うけど…… もしかしたら、誰か私のこと噂してる? うん、これでいいや」
ベッドの上に用意した、下ろしたての短パンとシャツに着替え、元の装備は、腰のマジックポーチに収納する。
ガララ
「よし、それじゃ、隠密行動と行きますか?」
ポフと帽子を頭に乗せ、窓枠に足を掛けながら、MAP画面を開く。
「ん~、やっぱり冒険者ギルドに人が集まってるね? ってか、人が多過ぎて、マーカーだらけになってんだけど」
予想以上の数を前に、一瞬呆気に取られる。
ギルドだけならわかるが、その周辺まで人が多いのは何故だろうと。
「なに? なんかイベントとかやってるの? ま、行ってみればわかるか。え~と、みんなもちょうど集まってるみたいだしね」
タンッ
帽子を片手で抑え、窓枠を蹴り、一気に屋根の上に跳躍する。
目的地は冒険者ギルドで、任務は、誰にも気づかれずに、メンバーの安全を確認し、急いで撤退する事。
「うん? みんなの周りにも、数人集まってきたな。もしかして、こいつらが例の奴らかな?」
シュタタタタタ――――
MAP消して、足元に集中しながら、屋根から屋根を疾走する。
装備の恩恵を受けられない今、今の私はただの美少女だ。
「……なんか楽しくなってきたかも。本当はスキルを使えば楽なんだけど、それじゃ、いつもと変わらないから、なんかつまんないしね」
グイと帽子を目深にかぶり、足早に先を急ぐ。
自然と、頬が緩んでいたが、それは仕方のない事。
いつもの装備を脱ぐと同時に、色んなものから解放された気分だし、装備を変えたと同時に、不安と緊張感も増したけど、それ以上に――――
「そう、今の私は蝶の英雄じゃないから、誰にも注目されないしね」
別の自分になったみたいで、久し振りにワクワクした。
まるで初めてログインした、あの時の感覚を思い出すかのように。
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