白目の茶色い染み

のむお

第1話

「あー!みーちゃん!目ぇこすっちゃダメなんだよ!」


 そう言うやいなや、トモカはミナミの腕をぎゅっと掴んだ。びっくりしているミナミに向かって、


「あたしみたいにね、こすりすぎると白目のとこが茶色くなっちゃうんだよ!ほら!」


と大きく見開いたトモカの右目には、確かに茶色い染みのようなものがある。


「ほんとだ……なにこれ?」


 言われてみて初めて気がついたことにミナミは内心驚いていた。トモカとは3年前の入学式以来、ずっと同じクラスだったというのに。今まで気がつかないとは。

 いったい、トモカのなにを見ていたんだろうか。

 そんなことを考えているミナミの目を、トモカはじっと覗きこんでくる。


「みーちゃんは……あ!みーちゃんにも小さいやつがあるよ!」

「うそ!」


 ミナミはランドセルの中を慌ててひっかき回し、小さな手鏡をのぞきこむ。毎朝欠かさずに鏡の前で歯を磨き、顔を洗っているのに。いつの間にそんなものが出来ていたのだろう。


「どっち!?右?左?」

「右!あ!みーちゃんから見てだから……」


 二人でああだ、こうだ、違う、そっちじゃない、と騒いでいるとクラスの男子が近づいてきて囃し立ててきた。


「おめえら知ってっかよぉ?目ん玉の白目んとこに茶色いのがある奴はなぁ、殺人ロボマシーンなんだぜ!」

「殺人ロボマシーンを見分けるマークなんだぞ!ヤバイだろ!」


 つばを飛ばしながら楽しそうに話しをしている。


「どっかの工場で作られた証拠なんだぜ!普通の人間にはついてないもんな!」

「俺たちの目にはなんにもついてないぜ!ロボ女!」


 二人はあっかんべーの要領で白目を見せてきた。確かにミナミやトモカと違って二人とも真っ白な目をしている。

 ミナミは男子が苦手だ。乱暴なところが我慢できないし、どうにも不潔な感じがするのだ。


(やだなあ……クラスの男子みんなが遠藤くんみたいなかっこいい男の子だったらいいのに。)


 そう思いつつひそかに憧れている遠藤くんの席にこっそり目を向けると、彼が真剣な目でこちらを見ていることに気がついた。


「やば……」


 目があってしまった。慌てて下を向いたが、顔が熱くなっているような気がする。


「そーなんだよぉ!ヤベーだろぉ?」

「マジヤベーんだからな!」

「キモいから死んで!」


 いまだに騒ぎつづける二人の男子に向かって乱暴な言葉を吐きつつ、トモカが蹴りを入れていた。


 ◯


 放課後。学校からの帰り道、小さな石ころを蹴飛ばしながらトモカがうなり声をあげた。


「もー!マジむかつく!殺人ロボマシーンってなんなの?ロボとマシーンって一緒じゃん!」

「あー、確かにそうかも……」


 小学生だって英語を習う時代だ。トモカもミナミも簡単な英単語ならいくつかは意味がわかる。

 記憶をたどれば、ロボだのマシーンだの授業で習っていたかもしれない。自信を持って知っている、とはミナミには言えなかったが。


「男子ってほんとバカで困るわ。汚いし」


 ぶつくさと文句を言いながら、トモカが石ころを強く蹴り飛ばした。明後日の方向にすっ飛んでいく石ころを見ながら、ミナミはトモカの意見に心の中で賛成した。確かに、遠藤くん以外の男子はみんなうるさくて汚かった。ちゃんと顔を洗っているのかも怪しいところだ。


「ねえ、あたしらがさ!ほんとに殺人ロボマシーンだったらどうする?」

「えー、どうするって……どうしよ?殺人ってついてるから人を殺すのかな?」


 しかし、人を殺すなんて恐ろしいことだ。ミナミは、お父さんとお母さんが見ているテレビドラマを思い出した。男の人が女の人を殺す場面だった。それから数日、夢に出てくるほど怖かった。

 クラスの男子を死なない程度に倒せばいいのだろうか?遠藤くんは除いて。乱暴でうるさい男子を静かに大人しくさせるには、殺人ロボパワーが必要なのかもしれない。


「やっぱ男子全滅でしょ!」


 トモカが物騒なことを平気で言ってのけた。

 もしも、本当に自分が殺人ロボマシーンだったら……

 ミナミも一生懸命考えてみるがたいしたことは思い浮かばない。そもそも、自分が殺人ロボマシーンであるわけがないのだ。そのうちバカらしくなってきたところで、


「じゃーね!みーちゃん!また明日!」


というトモカの元気な声にはっとする。

 いつの間にか家の前に着いていた。ミナミは元気に走っていくトモカに手を振った。


 ◯


 お父さんがビールを飲みながら笑っている。

『殺人ロボマシーン』の話をしてからずっとこの調子だ。そんなにおもしろい話だとは、ミナミには思えないのだが。


「ミナミのとこの男の子はセンスがないなあ!」

「ロボとマシーンって同じ意味なんでしょ?」


 ビールのおかわりを注ぎながら、ミナミが尋ねる。まだテレビのCMで見るような泡は作れないが、お父さんはミナミがビールのおかわりをするととても嬉しそうな顔をする。お父さんが言うには、厳しい修行をしないとビールの泡は作れないそうだ。


「よく知ってるなあ!父さんが小学生の時はそんな英語これっぽっちもわからなかったぞ」


 そういいながら、お父さんは人差し指と親指をぐっとすぼめてみせた。

 トモカと帰り道で同じ話をしたのだから、ばっちり予習済みだ。どういう綴りをしているのかはさっぱりわからなかったが、ミナミは澄ました顔で、まあねと答えた。


「その殺人ロボマシーンってビームとかでるの?ビーって」


 台所からお母さんがおつまみを持ってきた。白いお皿の中に、山のように積まれている枝豆。よく見ると何個かつまみ食いしてある。

 うーん、よくわからないと首を傾げるミナミの隣で、お父さんはまた笑いだした。


「ビームは男の子のロマンだからな!きっと出るぞ!」

「じゃあ私からもビームが出るってわけね」


 お母さんが右手の人差し指を突きだし、ビームを撃つ真似をしている。


「え!?」

「そんなに驚かなくてもいいじゃない」


 ミナミに向かって、突きだした指を使ってそのままあっかんべーの仕草をした。左の白目。その下のほうが茶色くなっている。


「本当だ……お母さんも目を擦りすぎちゃったの?」


 学校でトモカから聞いたことを説明すると、お母さんは首をかしげながら、


「うーん?よくわからないけど、私は『良性の腫瘍』だって話を聞いたなあ、誰からかは忘れちゃったけど……」


『りょうせいのしゅよう』初めて聞く言葉だ。どういう漢字で書くのかもわからない。ミナミにはよく理解できなかったが、お父さんは枝豆を食べる手を止め、急に慌て出した。


「それ、ガンってことか?大丈夫かい?」

「良性って言ったでしょー、大丈夫よ。ミナミも心配しなくていいの」


 お母さんが言うには、ほくろみたいなものだということらしい。

 それから二人の話は病気やら年金やら、ミナミにはよくわからない話題へと移っていった。


「さあ、ミナミ。子供はもう寝る時間だぞ」

「明日も学校でしょ?ちゃんと歯を磨くのよ」


 お母さんの視線の先には、22時を少し過ぎた時計があった。


「うん。おやすみなさい」



 ◯


 鏡に写る黒い瞳。その隣には小さな茶色い染みのようなものがこびりついている。

『目のほくろ』と言われてしまえばそんなに特別なものでもないと思える。

 しかし、一度気になると妙に意識してしまうものだ。

 自室に戻ったミナミは、手鏡を右手に持ちながら目を見開いたり、すぼめたり、とにかくぎょろぎょろさせていた。

 殺人ロボマシーンの話はどうでもよいとして、正直、あまり見栄えのよいものではない。


(遠藤くん、めっちゃこっち見てきたもんなあ……)


 そう思いつつ、目をごしごしこする。


「やばっ!」


 これ以上茶色い部分が増えたら困る。だんだん、じわ、じわ、と広がっていって、白目の部分がなくなったら……

 嫌な汗がでてくる。手鏡を覗いても、茶色い部分に変化は見られない。


「よかったぁ」

 ほっと一息つき、安心感から再び目をこすってしまう。なんだか、目がかゆい。白目が真っ赤になってもやめることができない。


「あれ?あれ?」


 どうしよう。かゆくてかゆくてたまらない。

 ムズムズする目を、恐る、恐る手鏡に写してみようと、そっと左目をひらく。

 だが、視界はまっくらだ。


「えっ?なんで?」


 鏡に写すのが怖くなったミナミは、やさしく左目に触れてみる。

 ぬめりのある液体が指先についた。

 涙とは違う感触だ。言い様のない恐怖がミナミの体を包みこむ。

 指先についた、ねとねとした液体。

 それは、なぜか鮮やかな青色をしていた。


(きもい!きもい!きもい!)


 恐怖と嫌悪感で頭が真っ白になりながらも、ミナミは手鏡の角度を徐々に変えていく。


(どうしよう!どうしよう!)


 巣穴から這い出てくる蟹……

 足がうじゃうじゃくっついていて、砂浜を素早く駆け回り……

 どこかの国では毎年大量に発生するため、道路が真っ赤な蟹で埋めつくされる……

 そんなイメージがミナミの頭の中に浮かんでは消えていった。

 ミナミの『左目』は彼女のまぶたをそっと押し上げてゆっくりと這い出してきた。

 不思議と先程までのかゆみや、目玉が抜け落ちた痛みは感じなかった。だが、ミナミにとっては逆にそれが恐怖だった。

 自分の体の中に得体の知れないモノが潜んでいるというのに、なにも感じることができない。

 鏡に写るミナミの顔は絶望の表情を浮かべてこわばっている。しかし、そんなことはおかまいなしにかつてミナミの『左目だったモノ』は、節のある小さな足をガチャガチャと蠢かせながら、ゆっくりと彼女の頬に這い出してきた。


 ぬぷっ……ぴちゃっ……


 てらてらと青くぬめる液体が、粘り気のある音を響かせて涙のように滴り落ちてくる。

 そして……

 今まで眼球が収まっていた場所。その奥から、三匹、四匹と、まるでウミガメの産卵のように『左目だったモノ』が次から次へと現れた。

 肩をつたい、腕をつたい、蠢きまわっている。

 小さなミナミの頭から、いったいあと何匹出てくるのか?

 10匹?20匹?100匹?

 吐き気をこらえながら、ミナミは歯を食いしばった。そんなに出て来てたまるか。そう言いたかったが、ミナミの頬や首筋の上を這いずる感覚は本物だ。おそらく10匹以上いる。

 ミナミは悲しくなって、声を押さえて泣きはじめた。そして、ふと気づいてしまった。

 頭の中に『左目だったモノ』が詰まっているなら、ミナミの脳みそはどこにあるのだろう?

 脳みそが無いのに『悲しい』と感じているミナミはなんなのだろう?


(ああ、そうか……)


 鏡の中に写るミナミの顔は、泣き疲れてうつろな表情を浮かべている。無機質で感情がない。


(私、人間じゃないんだ……)


 殺人ロボマシーン。クラスの男子が考えた、しょうもないイタズラ話だと思っていたのに。

 青い液体の糸をひきながら、『左目だったモノ』はミナミの腕や学習机の上を這いまわっている。見た目も大きさも全て同じ。全てに茶色い染みのようなものがついている。


(じゃあ、トモカちゃんとお母さんも……)


 思考がまとまらない。なにも考えられない。


(遠藤くんは……)


 ミナミのことを殺人ロボマシーンだと疑っていたのか?

 もうなにもかも限界だ。最後の気づきを確かめることなく、ミナミの意識は完全にシャットダウンされた。


 ◯


「みーちゃん!おはよ!」


 トモカの元気な挨拶だ。ミナミも静かに微笑んでおはよう、と返事をする。


「みーちゃんも具合わるいの?」

「うーん、なんか疲れてるみたい」


 眠い目をこすりながらそう答える。今日は遠藤くんが休みらしい。昨日、ミナミ達を殺人ロボマシーンとからかってきた二人の男子も学校に来ていなかった。

 馬鹿は風邪をひかないと聞いたことがあるが、あの話はどうやら嘘らしい。


「じゃあ遠藤くんのお見舞いは無しかー」


 笑いながらからかってくるトモカの右目には、昨日と同様茶色い染みがあった。こうして改めて観察してみると、色の濃さや形は人によって違うことがわかった。トモカのほうがミナミよりも色が薄い。


「うわー!トモカのばか!殺人ロボマシーン!」

「おまえー!」


 トモカとじゃれあいながらミナミは思った。

 親友のトモカとお揃いだと思えば、自分の目にある『りょうせいのしゅよう』もたいして気にならないな、と。

 見栄えは少し悪いが、どうせ『目のほくろ』なのだから悪い病気でもない。現に、お母さんにも似たようなものがあったが、毎日元気に暮らしている。

 昨日あれほど悩んでいたのが嘘のようだ。

 そもそも何に悩んでいたんだっけ?

 ミナミは思い返してみるが、昨日の記憶があやふやだ。きっと疲れているんだろう。もっと早くに寝れば良かった、とミナミは少し後悔した。


「ビーム出すよ、ビーム!」


 トモカが妙な構えをとる。彼女のイメージでは口からビームが出る予定らしい。口を大きく開けている。


「ビームは反則!」


 自分で言いながら、ミナミは思わず笑ってしまった。昨日の下校途中、散々文句を言っていたはずなのに、なんだかんだ言って二人とも殺人ロボマシーンを結構気に入っていることに気がついたからだ。

 殺人ロボマシーンなんて、そんなものが実際にいるわけないのに。




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