ガナット・レティー 8

「こいつは俺だけで十分だ、さきに休んでいてくれ」

「え、大丈夫ですか?」


 バドの言う「大丈夫ですか?」とは、スネイルイーターの相手が一人で大丈夫かということではなく、ここで一人になって大丈夫かということだろう。

 確かにさっきまで採掘をしていた辺りで一人になるのは危険だが、この辺までくれば問題はない。


 心配そうにするバドに、俺は小さく左手を上げて答える。


「あぁ、大丈夫だ。もうすぐそこだしな」

「分かりました、気を付けてください」

「じゃ、お願いねー。あ、そいつくさい液だしてくるからくらわないでよ」


 俺の言葉に素直に従うバドと一緒に、ナチも少し心配そうにしながらその場を離れていく。

 もっとも、俺の身体を心配してくれるバドとは違って、ナチは休憩時の環境を心配している様子だったが。


 それでも返事をしてくれただけまだましだ。

 俺だって臭い奴と一緒にいるのは嫌だし、そこを咎めるつもりはない。オルトなんてこいつの姿を確認したら、さきに休めと言う前にさっさといつもの休憩場所へ向かってしまった。


 ま、それはそれで、信用されてるといえるのかもしれないけど。


「それじゃ、その信頼に応えないとな」


 俺はそう呟くと、離れていくパーティーメンバーの気配を背中で感じながら小さく息を吐きだした。


「ふー……、防壁」


 呟きと共に、俺の身体を闘気が包み込む。

 全力をだすほどの相手じゃないが、舐めすぎてもいけない。必要以上の警戒は判断力を鈍らせるが、最低限の備えは必要だ。


 距離はまだ5メートルほど。甲虫系は固い外殻を持つ代わりに、それほど敏捷性の高くないものが多い。スネイルイーターはまだ素早いほうではあるが、この距離なら安全圏といえる。


 俺が扱う主力の武器は刃渡り1メートル程度の直剣で、両手でも片手でも扱えるバスタードソード系だ。

 魔導付与はされていないただの合金製だが、全力で切りかかれば一刀で大木を両断できる自信がある。


 俺が刀身を地面と水平に構え一気に距離を詰めようと機会を窺っていると、俺より先にスネイルイーターが飛び出してきた。

 短いスプーンのような形状の身体を露わにし、持ち手部分の小さい頭部が勢いよく迫ってくる。


 俺は瞬時に方針を変えると、剣を上段に構え迎え撃つ。


 スネイルイーターの鋏が手の届く距離に迫ったところで、右足を後ろに引き攻撃を躱しつつ振り下ろしの一刀で小さな頭部を切り落とす。

 頭部を失ったスネイルイーターは、勢い余ってそのまま背後の木に激突した。


 俺は転がった頭部を一突きすると、剣を構え直し周囲の気配を探る。

 こいつらは基本単独で生活しているが、この騒ぎでほかの魔物が寄ってくるかもしれない。


「……よし、大丈夫そうだな」


 虫獣類は非常にしぶとく、頭を落とした程度じゃ簡単には死なない。

 木に激突した衝撃でひっくり返ったスネイルイーターも、まだ足をわさわさと動かしている。

 もう襲ってくることはないだろうが、こんな状態でも不用意に近付けば尖った足で反撃されることもある。


 それに、だ。下手にこいつの胴体を傷つけると、ナチの言ってた臭い液が飛び出してくる。あれが付くとなかなか匂いが取れないのだ。


 しかもこいつは、黒い光沢のない身体の両脇に白い線が入っている。

 これはハノクスネイルイーターという種類の特徴で、特に臭腺が発達している種類だったはずだ。


 俺がまだ新人だったころ、違う種類のスネイルイーターの胴体を剣で一突きしてしまい、全身にあの液を浴びたことがある。

 その時は着ていた服を一式駄目にしてしまい、数日匂いが取れなかったのだ。目に入れば失明の危険もあるし、正直なところ、脚の反撃がどうこうよりあれを食らいたくない。


 それに、ひっくり返った虫って気持ち悪いし。

 近くで見ると、なんかこうぞわっとする。


 このまま放置しておけば、すぐにほかの魔物に喰われるだろう。明日の朝には骨だけに――いや、この辺りはスライムが多いし、骨も残らないかもしれない。それなら、わざわざ危険を冒して止めを刺す必要もないだろう。


「さて、俺も休むか――って、おぉ?」


 俺は兜の前面を上にスライドさせて開けると、剣を鞘に納めながら再度周囲を見渡した。すると緑色のスライムが数匹、さっき倒したばかりのスネイルイーターに近付いてきていた。

 この反応の速さには、いつものことながら少し驚いてしまう。


 こいつらはグラトンスライムという種類で、冒険者には緑の奴とか森の掃除屋などと呼ばれている。

 どこにでもいる一番ポピュラーなスライムで、薄い緑色の透明な身体で目や臓器は全くない。陸生スライムとしてはもっとも大きくなる種類で、ときおり10メートルを超える個体も発見されている。 

 

 雑食性で動物の死骸や排泄物、朽ちた倒木などを好んで食べるが、一定以上の大きさになると生きている生物を襲うことも増えてくる。

 もっともこの辺りにはこいつらの天敵も多く、1メートル程度の個体しか見かけていない。その程度のグラトンスライムなら、冒険者じゃなくても比較的簡単に捕獲できる。


 小さいうちは柔らかく弾力のある身体で意外と俊敏に動くが、小さい子どもが吹っ飛ばされて泣かされるくらいのものだ。


 ちなみに、俺もそんな経験のある一人だったりする。


 ガキの頃から冒険者になると豪語していた俺は、親や兄弟にスライムに泣かされるやつには絶対無理だと馬鹿にされたものだ。

 

 あの時の屈辱は今でもはっきりと覚えている。


「こいつら、目も鼻もないのにどうして獲物の場所が分かるんだろうな」


 そんな疑問を口にしながら、俺は鞘から剣を引き抜きグラトンスライムに近付いていく。そして20センチ程度の小さなスライムを突き刺すと、予備の袋に押し込めた。

 俺はぞくぞくと集まってくるスライムを横目に剣を鞘に納めると、足早にその場を離れたのだった。

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