ガナット・レティー 9
森林を抜けダハバラナ湖近くの開けたところまで来ると、大きな岩に腰かけた三人の姿が見えてきた。
この辺りは湖の南南西に位置する場所で、レーテルからは少し遠いが危険な魔物はあまり出現しない地域だ。
見晴がよく視界いっぱいに広がる湖が壮観で、外敵の接近にも気が付きやすい。そしてなにより湖から吹き付ける風が気持ちよくて、一時だけでもゆったりとした気持ちで休めるお気に入りの場所だ。
俺が三人に近付いていくと、バドがこっちに向かって手を振ってくる。俺が小さく右手を上げてそれに応えると、ナチが声をかけてきた。
「お~、早かったね。臭くなってない?」
「第一声がそれか。なってないから心配するな」
「えぇ…、ホントかなぁ」
ナチは座っていた岩から腰を浮かせると、近付く俺にあからさまな警戒心を向けてくる。その様子にイラっとした俺は、わざとナチの隣に腰を下ろし剣を岩に立てかけた。
そんな俺に疑いの視線を向けてきたナチは、鼻をヒクヒクと動かしてからうんっと小さく頷く。
「よしよし、ホントに大丈夫そうだね。エライエライ」
人の神経を逆撫でするその仕草に、俺は今からでも戻ってあの臭い液を浴びてきてやろうかと思案する。ナチに嫌がらせをするためだったら、多少の犠牲を払ってもいい気分だ。
スライムの食事を妨げるのは気が引けるが、その食事を用意したのも俺だ。ちょっとくらいの邪魔は許してもらおう。
「お疲れ様です、どうぞ」
「ん? あぁ、ありがとう」
俺がナチと刺し違える覚悟を決めていると、バドが苦笑いを浮かべつつ水袋を差しだしてきた。
それを受け取りひとくち水を口に含むと、喉を鳴らして飲み下す。さらにひとくち。喉を通り胃に下りた水が、全身に広がっていくように感じる。
どうやら自分で思っていた以上に、喉が渇いていたらしい。
そのせいでイラついていたのもあるのだろう。喉が潤った俺からは、さっきまでの刺し違えてもいいという覚悟が嘘のように消えていた。
やっぱりあの液を浴びにいくのはやめておこう、一時の感情に流されるのは愚者のすることだ。
俺はふうーっと細く息を吐きだし、さっき仕留めたスライムを袋から取り出した。すると、それを見ていたオルトが「ん?」っと声を漏らす。
「なんだ、ガナもスライム取ってきたのか」
言われて顔を向けると、オルトも小さなスライムを手に持っていた。
オルトはそれをナイフで薄くスライスすると、ツルっと口に含み残りをバドに手渡した。
「あれ、オルトも取ってきてたのか」
「あぁ、取ったのはバドだけどな。まぁ、その一匹じゃ足りないかなと思ってたところだし、丁度いい」
「そうか、それならよかった」
俺はもぐもぐしているオルトに頷いて見せると、取り出したスライムをナイフで薄くスライスする。そしてその透き通った切り身を口に咥え、オルトと同じように一息で吸い込んだ。
グラトンスライムは全身が筋肉のように弾力があり、なめらかな舌触りでコリコリとした食感をしている。
野生でも飼育下でもグラトンスライムはほとんど味がしないので、調理をしなければ美味くも不味くもない。そのぶん色々な味付けが楽しめるので、街の飲食店では人気の食材の一つだ。
しいて気になる点を上げるなら、野生のグラトンスライムには少しだけ生臭さがある。食材として飼育されているものはほとんど臭いがしないから、恐らくは餌の問題なのだろう。
もっとも、それも気になるほどじゃない。
それより魔素の塊のような存在であるスライムは、栄養価が高く疲労回復の効果がある。繁殖地の多さや捕獲の容易さもあって、長期間の依頼を遂行している冒険者にとっては非常に重宝する魔物なのだ。
俺は二切れ目のスライムを口に運びながら、視線でナチに「喰うか?」と尋ねる。するとナチは餌を求めるひな鳥のように、口をあーんと大きく開け俺に無償の奉仕を要求してきた。
「いや、自分でやれよ」
「いいからいいから、あーん」
「いいからいいからって、食わせてもらう側のセリフじゃないだろ」
「分かった分かった、はい、あーん」
ナチがクリっとした目でこちらを見つめ、無垢な存在を演出してくる。
ナチの体格は小柄というほどでもないが、短く切りそろえられた明るい髪が少し乱れていて、正面から見ると本当にひな鳥のように見えてしまう。
一歩間違えれば保護欲が掻き立てられる姿なのだろうが、俺の目にはあざとさしか映らない。むしろイラっとする。
一瞬スライムを丸のまま口にねじ込んでやろうかと思ったが、そんなことをすればまたキレられるだろう。
その面倒くささと無償の奉仕を行う屈辱を天秤にかけた結果、俺は迷いなく後者を選び取った。
「はぁ…。ったく、しょうがないな」
俺がぶつくさ言いながらスライスしたスライムを口元に運ぶと、ナチはそれを吸い込みもぐもぐする。
それから俺の分ナチの分と交互にスライムをスライスしていると、スライムを持っていた左手が少しベタついてくる。
スライムは死ぬとすぐに身体が溶けだし液体となり、そのまま放置しておくとどんどん消えていってしまう。この大きさなら、半日もかからずに消滅してしまうだろう。
このべたべたも放って置けば蒸発――というのが正しいのは分からないが、すぐに消えてしてしまう。洗う必要がなくて便利ではあるが、逆に水で洗ってもなかなか取れないのだ。
特に匂いがあるわけでもないが、慣れていないと嫌がる者もいる。俺も以前は少し気持ち悪いと思っていたが、いまではすっかり慣れてしまった。
もしかしたら、ナチが俺に奉仕を求めてきた理由もそれなのかな? と思ったが、ナチは普段鼻歌交じりでスライムをスライスしているから違うだろう。
可能性でいえば、ただの気まぐれという線が一番濃厚だから、あまり深く考えても意味はない気がする。
ナチを相手にするときは、深読みしても無駄になることが多いのだ。
そう思いつつ俺が奉仕に徹していると、黙々とスライススライムを食べていたナチがぼそりと呟いた。
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