第2話 金髪姉妹と地味な男(全10話)

新学期が始まるとソフィアさんは転校先の学校にすぐ馴染むことが出来たらしく、女の子たちと遊んでいる姿を時々見かけた。


アリスさんはまだまだ日本語になれていないらしく、僕の母以外の日本人と話しているところはほとんど見たことが無かった。


家に日本語を習いに来ている時でさえ、僕や父と日本語で話すことは無かった。


アリスさんがやってきたときに母が出かけていたこともあったのだが、そんなときは僕が録画していたアニメを見せていると大抵は何とかなっていた。


時々ではあるが、二人の両親が仕事に追われている時に我が家で食事をとる事があったのだが、そんな時でもアリスさんはほとんどしゃべらなかった。


「お兄さんは自転車持ってますよね?」


ソフィアさんの問いかけに頷くと、ソフィアさんは満面の笑みになって続けた。


「この街には動物園があると聞きました。私もアリスも動物が好きなので行ってみたいです。お兄さんが暇な時に案内してもらえますか?」


僕は今後の予定を考えてみたのだが、予定らしい予定は思いつかなかった。


「うん、それは構わないけど、自転車で行きたいの?」


「はい、自転車で行けるのなら、パパとママがいなくても、二人で行けるので」


二人は先週自転車を買ってもらったらしく、行動範囲が一気に広くなったようだった。


もっとも、アリスさんの活動範囲は学校と自分の家と僕の家くらいしか無いので自転車はほとんど乗っていないようだった。


「自転車で行くのはいいけど、結構遠いよ?」


アリスさんはちょっと困惑したような感じだったのだが、それに気付いていないソフィアさんは僕の隣に来て手を強く握ってきた。


「ありがとうございます。美波ちゃんとナナちゃんも誘っていいですか?」


美波ちゃんとナナちゃんは時々ソフィアさんと一緒にいる女の子だろう。


ソフィアさんに連れられて何回か家にも来たことがあったと思う。


少し気になったのでアリスさんを見ていると、やや俯き加減でご飯を食べていた。


「アリスは私よりも動物が好きなので、動物園に行ったらきっと元気になると思うよ」


「………うん。………ありがとう」


「お父さんとお母さんには言ったのかい?」


「はい、パパもママも行きたがっていたけど、夏くらいまでほとんど仕事だって言っていたので、一緒に行くのはもっと先みたいです」


ご飯の途中ではあったがソフィアさんは「ちょっと待ってて」とだけ言い残してどこかへ行ってしまった。


僕もご飯の途中だったので続きを食べようと思っていると、いつの間にか横に立っていたアリスさんがシャツの裾を掴んでいた。


「あの、私、自転車乗ったこと無いので、乗り方教えて欲しいです。ソフィーは、友達と遊んで忙しいし、パパとママはもっと忙しいので」


何回か一緒にご飯を食べたりアニメを見たりしていたことはあったのだが、アリスさんから僕に話しかけてきたのは初めてだったと思う。


「教えるのは構わないよ。内緒で練習したいのかな?」


「ありがとう。内緒じゃなくても大丈夫」


そう言うと少しだけ笑ったアリスさんは自分の席に戻って食事の続きをとっていた。


僕のエビフライが一つ無くなっていたけれど、誰が取ったのか考えるのはやめにしよう。


動物図鑑を持ってきたソフィアさんも、ご飯を食べているアリスさんも幸せそうに笑っているんだから。


次の日曜日から自転車の練習をする約束をすると、ソフィアさんも手伝うと言ってくれた。


僕が知る限りではあるが、この姉妹より仲の良い姉妹を見たことが無かった。


天気予報を確認すると、雨の心配はなさそうだった。



僕たちが住むマンションから少し歩いたところにある比較的大きな公園で自転車の練習をすることにしたのだが、ソフィアさんは着いてすぐにどこかへ消えてしまった。


僕は預かってきた防具をアリスさんに手渡したのだが、着け方がわからないらしいので手伝うことにした。


最後に手袋をはめて上げたのだが、手袋くらいは自分でつけられたのではないかと思った。


アリスさんを自転車に乗せたままリアキャリアを持っていると、ペダルを漕ごうとしなかったのでそのまま押して進めてみた。


グラウンドの端から端まで押してあげると、アリスさんはこちらを振り向いて満足げな表情を浮かべていた。


よくわからない屈辱感を感じてしまったので、次は持つだけで押さない事に決めた。


自転車から降りて向きを変えると、アリスさんはドヤ顔でこちらを振り向くと真っすぐ前を向いた。


止まっている自転車を支えるのは意外と大変で、明日には両腕と背中が痛くなっていそうな予感がしていた。


体感にして三分ほど経過したころになると、アリスさんが泣きそうな目でこちらを見ていた。


僕は大人の余裕を見せるために笑顔でいたのだが、正直に言うと限界は近かった。


何だか困惑しているアリスさんがかわいそうになってきたので、一度自転車から降りてもらうことにした。


スタンドを立てて自転車を止めると、アリスさんは何か不思議なことがあったかのように自転車を観察し始めた。


時々タイヤに触れ手はいたのだが、ペダルが動くことには気付かないみたいだった。


「あの、ここに来たら、自転車進まなくなりました。………壊れた?」


買ってもらったばかりの自転車が一度乗っただけで壊れてしまったと思っているアリスさんは今にも泣きそうな顔になっていた。


「自転車は壊れてないよ。ちゃんと進むよ」


僕がそう言うとアリスさんは再び自転車の観察を始めた。


前輪を触ってみたり、ハンドルを持ってみたりしていたが、頑なにペダルには触ろうとしなかった。


イギリスにいたころは自転車や三輪車に乗っていなかったのか聞いてみると、乗ったことは無いとの答えが返ってきた。


自転車についているペダルの役割を教えて上げると、アリスさんは顔を真っ赤にして僕の胸あたりを両手でポカポカと叩いてきた。


「もっと早く言ってください。さっきのでマスターしたと思ってました。恥ずかしい」


アリスさんはそれを言うと、最後に僕の脇腹を突いてきた。


自転車の乗り方を教えることは出来たので、あとは普通に練習に付き合うことにした。


何度か往復していると、だいぶバランスをとれるようになっていたので、少しだけ手を離してみることにした。


少しだけ離してまた掴むという事を繰り返していると、アリスさんはあっという間に直進限定ではあるが自転車の乗り方をマスターしていた。


曲がるときは一度自転車を降りてから向きを変えるという独特のスタイルを確立してた時に、ソフィアさんは片手をぶんぶんと振りながらこちらに向かってきていた。


それを見たアリスさんは同じように手を振ると、そのままゆっくり倒れていった。


何事もなかったかのように立ち上がると、アリスさんは自転車を押してこちらに歩いてきた。


「今日はこれで終わりにします。次もよろしくお願いします」



次の日曜日になるとアリスさんは片手を振って挨拶できるくらいに上達していた。


僕が教えられることはもうなさそうだったので、歩いていくには少し遠い回転寿司に三人で行くことにした。

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