第4話
黒きベールに包まれる建物達は夜に目覚める。各建物の眼光がそこら中に点々と見えている。街に設置される監視カメラよりも多いはずだ。見下ろされる建物の間を進んでいくシルバー車は、不自然な遅いスピードで走っている。
それがどうだ。今や自宅のある周辺をウロウロしている。いつも通ってる道のはずなのに、変な緊張を覚えていた。
角を曲がるたびに鼓動が高まり、一気に急降下する。何度も繰り返していくうちに、萩原のテンションは今にも消えそうな火のように
新田にも協力したい気持ちはあった。だが彼らは神出鬼没だ。
新田が知っているのは自分の住んでる周辺の街灯のそばで見上げている人達がいる、ということ。そう、周辺なのだ。特定の街灯に必ずしもいるわけじゃない。錆のあるあの古い街灯に昨日はいたのに今日はいないなんてことがあるのだ。そうなると、同じ道を行ったり来たり、周辺を何度か回ってみるなどのかったるい方法で探すしかない。時間的には現れてもおかしくないが、かれこれ30分くらいは探している。
新田は毎日いるものだと思っていたが、実は毎日じゃないんじゃないかと、自分の説に自信を失くしてきていた。
そろそろ本格的にめんどくさくなってきたところだった。角を曲がってすぐ、街灯が目に入った。2人の目が街灯を捕捉するのは早かった。そして、そこにいる1人の男。2人は息を呑んだ。新田は車を止める。
「あれじゃね?」
「ああ……」
新田はフロントガラスの向こうに佇む人影を見ながら相槌を打つ。間違いなかった。男はしっかり街灯を見上げていた。だが、たまたま街灯を見上げている可能性もある。もしあの男が街中にある街灯を見上げているお目当ての人物であるなら、あの男は集団の1人ということだ。
薄暗い車内で「他にもいないか見に行こう」と、萩原が催促する。車は少し前に進んで街灯を見上げる男がいる手前で右に曲がる。街灯という街灯、形も光の色も関係ない。道中にある広場の街灯にもいる。次々にカメラで捉える萩原の声も興奮に色づいていた。
それからもう1つ、萩原は確かめたいことがあると言い、新田に指示を出した。
数分後、車は最初に男を見た道に戻ってきた。まだいる。最初に見つけてから40分はたっていた。
「何してんだろ」
萩原はそんなことを言い出した。動画を観るであろう視聴者に。
何が目的か。そこが一番の謎だった。
こうしてじっくり考えたことはなかったせいか、新田の思考が少しずつ深淵へ踏み込んでいく。
街灯を仰ぐ人達を見て気づいたことがある。普段それは漠然とした違和感でしかなかった。だが、こうしてあの人達を探す機にあたり、彼らの姿にその違和感はあった。
例えば目の前で街灯を見上げる男。サラリーマン風の40から50代くらい。やせ形の小顔と見える。会社帰りだと思われるのだが、その男の肩にも手にも、鞄らしきものはなかった。何にも持っていないのだ。
会社勤めなら何かしら荷物を持っているのが普通じゃないだろうか。
洞察。新田の視界は狭まり、男の背景に想像を膨らませていく――――。
軽い音だった。突然新田の横で窓が鳴き声を上げた。
大きな音ではなかったが、ほぼゼロ距離で窓をコツコツされれば驚きもする。窓の外にはかしこまった帽子と制服を着るおじさんがいた。
新田は重い気分になって窓を開ける。
「ごめんなさいね。ちょっと免許証見せてくれます?」
ポケットから財布を取り出し、カード入れの中から免許証を手にして警察官に渡す。
数秒、免許証を見ると、警察官は「はい、ありがとうございます」と言い、免許証を新田に返した。
「こんなところに車止めて何してるの?」
いきなり来た。今一番困る尋問だ。
妙な人がいるので見てましたなんて言いづらい。すぐに返せずにいると。
「変な人達がここらへんにいるって聞いたんで、撮りに来ました」
助手席からスマホを警察官に見せつけながら言う萩原。
「撮影だったの?」
「はい」
「ちょっと見せてもらっていい?」
「あ、はい」
「んじゃ、色々聞きたいから降りてくれる?」
厄介な頼み事を聞いたからだろうか。厄介なことは往々にして重なるらしい。と、興奮がどん底に落ちていく気分を味わいながら車を降りる。
車の後方からもう1人の若い警察官が来ると、助手席から出てきた萩原に近づき、改めて動画の再生を頼んでいる。
「ここ駐停車禁止だから。まあ今回はそこまで時間たってなかったみたいだから大目に見るけど、次見かけたら切っちゃうね」
「はい、すみません」
新田は街灯を見上げている男性の方をちらりと見る。こっちでは警察から職質を受ける見世物になっているのに、気にする素振りも見せない。5、60メートルは離れているが、気づかない距離でもないだろう。
すると、萩原と話していたはずの警察官がやってきて警察官のおじさんに耳打ちをする。2人は新田から少し離れ、内緒話に乗じた。目の前でされる内緒話というのはいろんな意味で居心地の悪いものだ。放っておかれた者は想像を膨らませ、不安に陥らせる。すると、一通り内緒話をした警察官2人が新田に向き、
「大丈夫だと思うけど、クスリとか葉っぱとか、やってないよね?」と間髪入れず聞いた。
ストレート過ぎる質問に不意打ちを食らわされた気分だった。
まったく縁のない善良なる市民は疑われることを心外に思い、語気を少し強めた。
「してませんよ……」
「そう」
警察官はニヤリと笑ってそれだけ言う。冗談だよと言わんばかりの口ぶりだった。優しそうな顔してゲスらしい男のようだ。
それから警察官の男2人は萩原の撮っていた動画を再度確認した後、「じゃ、運転気を付けて」とフランクな声かけをして去っていった。
妙な気疲れを感じながら車に乗り込む2人。小さなため息が2つ零れ、視線が真っすぐ向けられる。あの男はまだ街灯を見上げている。おそらく一度も動いていない。
本当に人形のようだった。
「今日はもうやめとこう」
萩原と同意見だった。
「ああ」
車は目を光らせ、少しずつ男の方へ走っていく。
最接近の画を撮ろうと、萩原はスマホを助手席側の窓に向ける。
車は男に近づくつれスピードを落とす。人が歩くスピードよりも遅い。車は男の後ろを通り過ぎていく。大して珍しくもない、貧相な体の男性の背中を拝み、車は夜の住宅街を突き進む。
車のタイヤが地面と擦れる音が遠ざかって間もなく、男の首が傾く。顔がシルバーの車が走り去る方へわずかに向き、右の瞳が目尻に寄る。後ろで左右に分かれた2つの赤い光を灯すシルバーの車は、黒々とした瞳にはっきりと映っていた。
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