第2話

 新田がとび職の仕事を忘れられる日、自宅でゆっくりすることもあるが、外で休みを満喫したい時向かうところはだいたい決まっている。

 時間は空が夜の訪れを知らせる頃。大きなフロアは今日も活気づいたビートと激しい七色の光とで騒がしい。骨身震わすサウンドを浴びに来る者でごった返すフロアに、蛍光色を付けるスモークが充満する。

 トラックメイカーが次々に痺れるキラーチューンを流し続けており、観客は我を忘れて踊り明かす勢いである。ひとしきり音を浴びてきた新田は、友人達とフードスペースでカクテルやシャンパンなどを飲みながら雑談を繰り広げていた。

 この光景、雰囲気、すべてが楽しさに満ちていた。

 日頃の疲れを吹き飛ばしに。

 テンション上がる音楽を聞きに。

 刺激を味わいに。


「俺らあっちで楽しんでくるわ!」


「おう!」


 新田は友人とその彼女が離れていくのを見送る。

 シックな赤のソファに座る新田は、瓶ビール片手に盛り上がるフリースペースの外から観覧する。

 クラブ来る者はたいてい大音量で流れるダンスミュージックに刺激されて自分を解き放ち、脇目も振らず踊り続けている。薄暗さがより一層トランスの深みへ入ることができる。当然、享楽にふけるダンサー達だけが集まるわけではない。他のことへ意識が向かってしまう者がいるのも世の常である。

 狩りを楽しむには好都合なフィールドであり、ダンサーを着飾ったハンターが紛れ込んでいることは珍しくない。交渉に長けた者なら紳士的な態度の1つや2つくらい身に着けている。なまめかしい空気を分かち合い、それをきっかけに交友は広がっていく。新しい繋がりは新たな繋がりを引き寄せ、まったく関わりのなかった者とも未知の交遊に乗ずることができる。新田の目が留まった、この場では変わり者と呼ばれる奴のように。


 新田の視線に気づいたらしく、視線が合うや否や男はニタリと笑った。

 男はスマートフォンで自撮りをしながら新田に近づいてくる。お構いなく新田の隣に腰かけ、自身を捉えるレンズにとびっきりの笑顔を向けた。


「はいっ! というわけで今回はライブハウス『ラシック』さんからお送りしました~」


 黒縁眼鏡の男は大音量に負けじと声を張って絞めに入った。飾り気のある薄味のカジュアルテイストで口を回していく。


「この動画を見て一度クラブ行ってみたいと思ったら、フォロー&高評価お願いします! では次回の動画まで、シーユーアゲインッ!!」


 チャラさ全開の敬礼ポーズを決めた男はカメラ機能を切った。満足げな顔をしている男を横目に新田は湿った口を開く。


「よくやるよな」


 新田の呆れめいた口調をかけられた男は、顔をほころばせる。


「これが俺の仕事だからな」


「仕事ねぇ……」


 新田はビールを口に含み、苦味を紛らわす。


「お前が出てくれたら、もっと視聴数稼げるんだけどなぁ~」


 男が期待の眼差しを浴びせかけるも、このクラブの照明機材と比べれば脆弱過ぎる。


「前も言ったろ。顔出しNGだって」


 素っ気なくかわされ、男はふて腐れたように頬を膨らませる。


「俺が出なくても充分稼げんだろ。俺の年収の何倍あんだよ」


 新田は毒交じりに吐いた。だが男の反応はかんばしくない。


「んまあそーだけどさぁ、最近伸び悩んでんだよねぇ」


 会場の雰囲気からはほど遠い重みのあるぼやき。思った反応じゃなかった新田は瞠目どうもくを携えて尋ねる。


「なんだ、飽きられたか」


 不幸せな蜜の味が新田の笑みを誘う。


「正直ネタ切れだな。最近ワンパターンだったせいかもなぁ~」


 新田は思ったよりも深刻らしいぐらいにしか思わないスッカスカの相槌を打つ。

 すると、男は改まった様子で新田と相対する。


「なあ、なんかない?」


「なんかって?」


「ネタだよネタ! 面白そうな話とかなんでもいいから」


 必死だった。藁をもすがるという感じがひしひしと伝わってくる。厄介極まりないが、この萩原寛治はぎわらかんじには良い思いをさせてもらったことが何度もある。人の懐に入るのが上手いというか、無防備な感じが壁を作らせない萩原を前に、ちょっと一肌脱いでやるかなんて思わされてしまうのは、萩原の魅力なのかもしれないと、薄々感じてはいた。

 大して労力を割くお願いじゃないし、適当に答えるか、くらいの気持ちが占めてくると、新田の思考が協力の姿勢へと傾倒した。


「わらしべ長者とか?」


「え、誰がやんの?」


「いやいや、お前がやるんだよ」


「俺が!?」


 萩原は悩ましく声を漏らして考え始めた。適当に言ったのにもかかわらず真剣に悩む萩原が不憫ふびんに思えてくる。自分の倍は稼ぎのある男への嫉妬もどこかへ消えてしまいそうな間が空いた頃、苦悩の末に絞り出した声が採決を放った。


「いいんだけど尺がなあ~。もっと短いので撮れるヤツがいいな」


「注文多いな」


「まだそんな言ってねえよ。他は他!」


 子供みたいにはしゃぐ萩原がもっと欲しがってきた。


「急に言われてもそんな次々出てこねぇって」


「時間はたっぷりあるから」


 めんどくさくなってきた。煙に巻こうかと誘惑する思考が喉から出そうになる。

 面白いものなんて平凡なとび職に就く新田に早々転がっているはずもなく、行き詰まった一寸先の未来を予測した。その際におこぼれのような記憶の残骸が甦る。しかし、これを面白いとするべきか判断に迷い、口を渋らせる。


「面白いかは分かんないけど」


「お、なになに!?」


 食いつきが半端ない萩原の態度が逆に言いにくくさせる。これからわざわざ期待をへし折りに行き、果てはがっかりする友人の有様を見せつけられる。それもまためんどくさい。せっかく楽しみに来たのに気分を下げて帰るなんて御免だ。

 しかし、血迷った口が勝手に話し始めてしまった以上、飢えたエンターテイナーは後戻りさせてくれそうになかった。半ば投げやりに続ける。


「俺の住んでる近くに現れる変な集団がいてさ」


「変な集団?」


「うん、夜になると街灯の下に立って見上げてんの」


「え、なんで?」


「知るわけないじゃん。気味悪いから近づかないようにしてるし」


「もうちょっと詳しく!」


 萩原は興味を示したらしく、真顔になって欲しがった。


「仕事終わって寄り道してからだから、まあだいたい10時11時、道に街灯が1つあると、1人が街灯の前に立って、ずっと見てんの」


「ずっとってどれくらい?」


「それは分かんねぇけど、休みの日でもふらっとコンビニとかに寄ろっかなって出かけたたらあいつらいるし。深夜にもいたっけなぁ」


「なにそれ、こわっ」


「だろ?」


「なあ、案内してくれよ」


「いや、場所なら教える」


「え~。この際案内しろよ~」


 新たな繋がりはまた新たな繋がりを引き寄せる。これは厄介な流れにも通ずる。

 萩原の「案内してほしい」が、ただの案内だけで終わるわけはない。萩原の仕事に付き合わされた友人から耳にタコができるほど聞いている。要するにという項目が含まれているのだ。


「やだ」


「お願いお願いお願いお願い!」


 萩原は一生のお願いをかましてきた。あの手この手で言葉巧みに懇願する萩原。そんな奴がいたら周りの注目は必至だ。新田の気分は最悪の砂場へ滑り落ちるしかなかった。

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