358話 老爺の告白
「ぇ…。 ……嘘…… …そんな……」
賢者の告白に、さくらは声を掠れさせる。気づかれていたのだ、あの出立の一部始終を。知られていたのだ、自分達が転移装置に向かったことを。
誰にも悟られぬように、誰にも迷惑をかけないように、竜崎はさくらを連れ出した。その行動を、賢者ミルスパールは把握していたというのである。
一体なぜ。そして、ならばどうして止めに入ってこなかったのか。さくらの内に動揺と共に湧き上がったその疑問へ答えるように、老爺は静かに口を開いた。
「かの転移装置を起動させるための、禁忌魔導書が一冊。リュウザキがさくらちゃんのために持ち出し、あの魔術士共に奪われたアレにのぅ…。少し、細工をしておいたんじゃ」
と、賢者は空中に魔法陣を浮かび上がらせる。その一部はまるでモニターのようになっており、点が幾つかチカチカと輝いていた。それはまるで、ナビの如く。
「端的に言えば、『追跡魔術』じゃ。リュウザキに気づかれぬよう、幾重にも隠蔽を重ねた代物をな。…最も、当の本人は薄々察していたようじゃがの…」
そう付け加え、チラリと眠る竜崎を見やる賢者。そのまま、彼は続けた。
「魔導書がクローゼットから出され、移動を始めたのを検知してな。隠れて探りを入れてみれば、丁度シルブがアリシャバージルを離れる瞬間じゃった。…後は、行く先を見守っていたという訳じゃよ」
方法は話した、と言わんばかりに息を吐く賢者。が、そこに待ったをかけたのはソフィアだった。
「え…ちょっと待って爺様…! あの魔導書、追跡魔術があったのはわかったわ…。 …でもそれを、奪われた…。 …まだ、その魔術は機能しているの…?」
その問いかけに賢者は答えず、浮かび上がらせた魔法陣を見やる。―その動作だけで充分だった。ソフィアは、震え声で問いかけた。
「…じゃあ…もしかして…爺様…。 キヨトがやられて…魔導書が奪われるのも…
彼女の責めるような語勢に対し…賢者は、目を伏せた。
「…正直に言うとなれば、『そんな考えなぞ無かった』―、とは言い切れぬ、のぅ…」
「ワシらが駆け付けた時には既に、魔導書は魔術士の胸の内じゃった。しかし…リュウザキへの応急処置を行う隙に、奪い返す機会が幾度かあったのも事実じゃ」
その賢者の言葉に、さくらはハッと思い返す。それは、魔術士の顔を明らかにした時である。
確かに正体看破は重要なことであろう。だがそれよりも、危険物の回収の方が大切なはず。
あの時の魔術士は弱り切っており、ソフィアの機動鎧に拘束されているという絶好のチャンス。抜け目のない賢者ならば、幻惑魔術の解除と共に魔導書の回収をしていてもおかしくはない。
だというのに、彼はそれをしなかった。てっきり魔術士の正体に驚愕しているのだと思っていたが…まさか、『わざと』であったとは…。
「あの時リュウザキがやられていたおかげで、魔導書は魔術士の手に渡った。目的を達成したヤツが、即座に逃げてくれることを期待しておったが…。獣人の方がああも暴走したのは誤算じゃった」
淡々と語る賢者。―と、彼に剣を突きつけていた勇者の周囲が…歪みだした。
「…つまり、キヨトを勝手に囮にしたの…? 死ぬかもしれなかったのに…!」
先程まで獣人に…竜崎を傷つけた相手に向けられていた闘気―、否、殺気。それが、勇者の身から立ち昇っていた。それが、賢者に向けられていた。
…だが、そうとしか思えない。そのために賢者は、勇者達を動かしていたとしか。竜崎を犠牲に、魔術士達を追いこむために―。
その瞬間だった。賢者は、カッと正面を向いた。そして一点の曇りなき口調で答えた。
「いいや!誓って言おう。ワシはリュウザキを囮にしようなぞ、考えてすらおらんかった。お前さん達を即座に動ける態勢へとそれとなく促したのは、『もしもの事態に備えて』じゃ」
「先日、この都でひと悶着が起きた。幾人かの兵が、とある誘拐犯達を連れ現場検証に出たのじゃが…。そやつらは狂って…もとい洗脳魔術を受け、戻って来たんじゃ」
突然に妙なことを口にする賢者。しかし、さくらは息を呑んだ。それは―。 と、賢者はさくらへと目を視線を移した。
「…その洗脳された1人が、さくらちゃんを襲ったんじゃ。リュウザキが駆け付け事なきを得たが、明らかに『神具の鏡』を狙って来ていたらしくての。恐らく、奪取命令を受けていたのじゃろう」
間違いない。先日、『元の世界へと帰れる可能性』を発見してしまう発端となった、あの事件である。賢者はさくらへと集まったアリシャ達の視線を引き戻すように、少し声を張った。
「幸い大事には至らなかったが…そやつらから感知した魔力は、先程までワシらが戦っていたあの魔術士のものじゃった。その騒動がヤツの本気の策か、戯れかはわからぬ。じゃが、ヤツはアリシャバージル近郊でその様子を見ている可能性は高かった。以前もそうじゃったからな」
と、賢者はそこで一旦大きく息を吸う。そして、細く吐いた。
「そこから半日も経たぬうちに、リュウザキはさくらちゃんを連れアリシャバージルを発った。…嫌な予感がしたんじゃよ。そこでワシは、なるべく大事にならぬ形で策を講じた」
「それが…私達ってこと?」
ソフィアの言葉に、賢者は頷く。そしてアリシャとソフィアへ改めて目を向けた。
「『観測者達』にもリュウザキの監視を頼み、お前さん達を招集しやすくした。…こういう時の予感は当たってしまうものでな…。あの場の防衛魔術破壊の報と観測者達の報が重なり、急ぎ動いたというわけじゃよ」
後は、知っての通りじゃ―。そう言葉を締める賢者。さくらとソフィアは何も言えなくなってしまう。
しかし勇者は―、突きつけたままの剣を一切揺らすことなく、竦むような眼光で再度彼に問うた。
「…じゃあ、なんでキヨトを止めなかったの? なんで…止めてくれなかったの?」
…勇者アリシャにとって、賢者がどう竜崎を見張っていたかは争点ではなかった。何故、知っていたのに止めなかったのか。気になっていたのはその一点であった。
転移装置を起動する際のリスクは、彼女も承知の上である。待ち受けている結果は、『竜崎がこの世界から去ってしまう』か、『竜崎が死ぬ』か。
どちらとなっても、待ち受けるは悲しき運命。だから、勇者は怒っていたのだ。最悪の結末しかない竜崎の自滅的行動を、知っていたはずの賢者は何故無理やりにでも阻止しなかったのかと。
「『なんで』…か…。そうじゃなぁ…」
と…賢者は魔術で椅子を作り出し、ギィッと腰かける。そして神に告解する罪人のようになりながら、ゆっくり呟いた。
「『親心』、と言うやつじゃろうなぁ…」
「「「親心……」」」
さくら、ソフィア、そして勇者アリシャは同時に反芻する。賢者はこくりと頷いた。
「左様。勝手じゃが…ワシはお前さん達を実の子同然に思っておる。その内の1人が…見知らぬ世界へと投げ込まれ、恐ろしき呪いを耐えきり、皆のために戦争へと身を投じてくれ、世界の平穏のために尽力し続けてくれておる
常に平静を保っている賢者が、珍しくも感情的に発したその言葉。内心の葛藤を吐き出すようなそれに、さくら達は言葉を詰まらせる。
そんな彼女達へ…『勇者一行』のメンバーへ、賢者は逆に問い返した。
「のう…ソフィア、アリシャ…。返すようで悪いがの…、お前さん達はリュウザキの…キヨトの行動を止めきれたか? 完全に止めることが、出来たか?」
「それは……」
「……。」
「―そういうことじゃ。ワシほどではなくとも、完全に止めることは出来なかったじゃろう。『キヨトの意思を尊重したい』。そう思ってしまうんじゃからな」
至る所に包帯を巻かれ、眠り続ける竜崎を、賢者は見つめる。ふと、彼は呟いた。
「…一つ付け加えさせて貰えるならば。ワシが行かなかったのは、キヨトの覚悟を無駄にしないためじゃ」
「ワシが行けば、ニアロンと…さくらちゃんの後ろ盾となってしまう。そうなれば、『試すのを止めろ』とキヨトを無理やりにでも引き止められてしまう恐れがあった。 …いや。行ったらワシが、ニアロン達の助力となって止めさせたじゃろう。それが分かっていたから、あえて見て見ぬふりをしたんじゃ」
神父に罪を吐露するように、自らの想いを語る賢者。最後に、彼はぽつりと漏らした。
「…じゃが、こうなるのであれば…ついていった方が良かったのぅ…」
自らの選択を悔いる賢者に、誰も声をかけられなかった。勇者もまた、彼に向けていた剣先を静かに床へと―。
そんな折だった。聞きなじみのある、済んだ声が病室内に響いた。
―なるほどな…。私の流した涙も、全てお前の予測の範疇にあったってことか。…やはりお前は、『悪賢い』の賢者だな。ミルスパール―
そんな揶揄するような言葉と共に姿を現したのは…童女姿へと戻ったニアロン。しかし、その身体はほとんど透け、足は幽霊のように消えていた。
竜崎と一心同体の彼女には、彼の容態が色濃く反映される。加えて呪いを鎮めるために総力を尽くしたこともあり…霊体のその身は消えかけギリギリの状態であったのだ。
「ニアロン…! しっかり休まなきゃ…!」
―休めると思うか?ソフィア。 こうも騒がしくて―
ソフィアの気遣いを、鼻で笑い返すニアロン。そんな彼女は、竜崎の上に腰かけるようにし、勇者へ頼んだ。
―アリシャ、剣を収めてくれ。 ……心底、認めたくはないが…。 私は、ミルスパールの判断が最善だったと思っている。 …結果的に、だがな―
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