357話 静かなる院内、一つの疑念
賢者に続き、さくら達は病棟の廊下を進む。窓の外では、中庭に植えられている大きな木がカサカサと柔風に吹かれている。
そんな僅かな音が聞こえてしまうほど、廊下は静かであった。後は、自身らが歩く音のみ。
その理由に、さくらは薄々気づいていた。人が、いないのだ。
正しくは、他の病人達や見舞いに来ている親族友達といった人々…そういった人達を見かけず、声すら聞こえないのである。
いやそれどころか―、看護師や医者らしき人もほとんど歩いていない。時折すれ違うが、明らかに数が少なく、まるで全てが竜崎のために用意された人員と言っても良さげなほど。
気になりはするが、問うことは出来ずに黙ったままとなるさくら。しかし賢者はまるで心を読んだかのように、口を開いた。
「人があまりいないことが気になるかの?さくらちゃん」
「えっ…!は…はい…」
彼女が驚きつつも頷くと、老爺はゆっくりと答えた。
「単純に言えば、人払いをしているからじゃ」
確かに、その必要はあるであろう。箝口令を敷いたが、臥せった竜崎を誰かに見られてしまったら意味がないのだから。賢者は、更に続ける。
「この病棟は他の病棟と比べ小さく、離れておる。それには理由があってな。そもそもここは、『有事の際の要人用特別病棟』なんじゃよ」
「有事…の…要人用?」
「左様。王族にもしものことが起きた場合、秘密裏に治療を施すための場所じゃ。その時は、入院している者達を他病棟に即座に移せる仕組みとなっているんじゃよ」
と、彼はそこで一呼吸置く。そして手にした杖で、軽く自分を叩いた。
「―そして、その『要人』とは、ワシら【勇者一行】も含まれるんじゃ」
なるほど。つまり、今回のような事態を見越して作られていた建物ということらしい。だから即座に竜崎の治療を行え、安全に入院させることができたということか。
納得するさくら。しかし彼女は、ほんの僅かに引っかかりを覚えた。だがそれは、賢者の軽い笑い声で霧散した。
「もっとも、ワシらがここを利用したのは数回程度。入院までとなったのは、これが初じゃがな。さて、着いたぞい」
さくら達が立ち止まった部屋の入り口には、入院者を示す名札がついていなかった。代わりに、精霊の絵が描かれた紙がさりげなく張り付けてあるばかり。
周囲の壁と同じ白い引き戸をゆっくりと開けると、中は広めの病室。そこには、一台のベッドが。
その上で、入院着のまま小さく寝息を立てているのは…竜崎。そしてそんな彼の片手と自らの両手を繋ぎ、ベッド奥の椅子に腰かけ見つめているのは、一足先にいなくなった
「竜崎さん…!!」
「キヨト…!!」
さくらとソフィアは、全くの同時に駆け出す。アリシャとは反対側、ベッドを挟むような形で、竜崎の顔を覗き込んだ。
「――――」
しかし彼は…何も答えない。深い、深い眠りに囚われているようである。幸いなことに、彼が先程まで浮かべていた苦悶の表情は、完全に消え失せていた。
「ニアロン曰く、初めに呪いを受けた際は、数日は目覚めなかったとな。あの時と比べれば呪いは弱いじゃろうが、何分呪いの解放前から瀕死の重傷を負い、魔力も体力も底を尽きかけておった」
賢者は静かに歩き、ベッド横のカルテを捲る。そして続けた。
「この時のために用意していた聖魔術で痛覚軽減、侵食阻害して辛うじて生き永らえることができたが、それも本人の強靭な精神力あってのこと。常人ならば、とうに事切れておったかもしれぬ」
カルテを戻すと、彼もまた竜崎へと歩み寄る。そして、子か孫を撫でるかのように優しく竜崎の頭を撫でた。
「ワシとニアロンの見立てでは、目覚めるまでに数週間はかかる。アリシャ、その間は…」
「わかってる。 キヨトは、絶対に私が守る」
賢者の言葉に食い気味に、かつ、確とした頷きを見せるアリシャ。と、ソフィアが賢者に問うた。
「ニアロンは?」
「あやつもよほど力を使ったからのぅ。今はリュウザキの中で寝ておるよ。起こさぬようにな」
そう答えた賢者は、ぐぅうっと伸び。そして踵を返した。
「ワシは少し調べることがある。ちょいと離れるぞい」
そのまま彼は病室を後にしようとする。…が、それを呼び止める者がいた。
「待って、ミルスパール」
一瞬でピシリと空気が張り詰めるような、静かな、それでいて強い一言。発したのは、アリシャ。
彼女は握っていた竜崎の手を細心の注意を払い戻すと、すっと立ち上がる。そして―。
キンッ
剣を引き抜き、賢者へと突きつけた。
「えっ…!ちょっとアリシャ…!? 何してるの!」
「アリシャ…さん…!?」
困惑するソフィア達。しかし、賢者は何故か落ち着き払っていた。
「なんじゃ? アリシャ」
一応そう返す彼の口ぶりは、まるでこれが想定内かのよう。一方のアリシャは、彼を睨みつけながら口を開いた。
「なんで、すぐにキヨトを助けなかったの?」
「え…」
「は…?」
唖然とする、さくらとソフィア。しかし賢者は否定をせず、問い返した。
「なぜ、そう思うんじゃ?」
「そうよアリシャ! 聞いたでしょ? ナディちゃんがキヨトの書置きに気づいて、エルフリーデちゃんやオズヴァルドくんと相談の上、おかしいと思いミルスの爺様に報告。それから暫くして、あの場所の防衛装置の破壊反応が出て、初めて異常に気付いたって!」
ソフィアも、賢者を擁護する。だが、勇者は首を振った。
「いつものミルスパールなら、もっと早く気づいたはず。キヨトが突然いなくなる時は、大体誰かを守る時だから」
「じゃから、ナディちゃんの報告の時点で気づいたんじゃないか、ということかの? 信頼してくれているのは嬉しいが、買い被りすぎじ…」
「ううん。ミルスパールなら気づく。それに、私、
賢者の言葉をぶった切り、そう続けるアリシャ。すると、彼は俄かに眉を歪ませた。
「むぅ…あやつ、ワシが呼んだことを伏せとけと頼んだのに…」
「詰め寄ったら、教えてくれた」
「待って…! どういうことなのミルスの爺様!」
賢者の呟きを疑うように、声を荒げるソフィア。ふと、彼女はハッと息を呑んだ。
「そういえば…爺様…。朝っぱらから訪ねて来て、『最新式の機動鎧はどれかの?』って聞いてきたわよね…? それが動いているとこを見てみたいとか言って、引っ張り出させたし…!」
思わずジリっと詰め寄る彼女。そして思考を反芻するかのように、声を漏らした。
「あれがあったから、キヨトのために機動鎧をすぐ動かせたのよ…。今考えると、キヨトのことを察してたような動きとしか思えない…!」
(……!)
さくらもまたその瞬間、先程の違和感の原因に気づいた。それは、竜崎が運び込まれた際、既に病棟の全ての準備が整っていたということだった。
初めから他患者の声は聞こえず、いたのは医者や看護師、魔術士のみ。しかも準備を完全に終え、竜崎の後に続くように手術室へと入っていったのだ。
竜崎と魔術士達が戦っていた時間は、どう計っても一時間もない。…つまり、賢者が転移装置防衛システムの異常に気付いてからも一時間は経っていないということ。
その間に彼は勇者と発明家を武装させ、病棟に指示。そして病棟の担当者達は、その一時間で全ての患者を他病棟に移送し、緊急手術の準備を終わらせ待機していたのだ。
見事なる対応…で済むには迅速過ぎる。本来ならば別の仕事や研究をしているはずの、学園教師や学院魔術士達までもが万全な態勢であったのだ。確かに怪しい。怪しすぎる。
そう、ソフィアの言う通り…。まるで、竜崎の動きを知っていたかのような動き…!
一瞬にして、訝しむ視線が賢者に集中する。と、アリシャは、止めのように言い放った。
「キヨトが、神具の剣を見て…。私がキヨトに預けてたこれを見て、『バレてた』って言った。キヨトは気づいてたよ。ミルスパールが気づいていたことに」
事実か否かは竜崎本人にしかわからない、しかし絶対にそうだと断言するかのようなアリシャの一言。しかし賢者はそれで腹を据えたのか、大きく息を吐いた。
「詰めが甘かったかのぅ…。ワシも、多少は動転していたやもしれん…」
「…! じゃあ、本当に…!」
驚愕の色を浮かべるソフィア。賢者は、こくりと頷いた。
「そうじゃ。ワシは、初めから…リュウザキとさくらちゃんが暁闇の時分から、転移装置の元へ発ったことに気づいていたんじゃ」
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