340話 最期の時

「ぐぁっ…」


突然の獣人の強襲、今の竜崎が躱せるはずもなかった。彼は小さく呻き、今いる場から吹き飛ばされてしまう。その際、引き起こされた事象が二つあった。


一つは、弾みでこめかみに当てていた魔術弾の狙いが逸れたこと。獣人の攻撃の直後、弾丸は放たれはしたが、竜崎の額の肌をほんの僅かに撫でるだけで、あらぬ方向に消えていってしまった。


そしてもう一つ。竜崎が身体を飛ばされたということは、今いる場から強制的に移動させられたということである。…つまり、竜崎の懐に入っていた魔術士の腕が、引き抜かれてしまったのだ。


当然、その魔術士の手には…あの、魔導書が。表面に竜崎がつけた焦げと、彼の血がべっとりとついた、魔導書が。




「…! フッフッフ…!リュウザキィ…!お前の…負けだ…!」


獣人の蹴りが上手く決まった『偶然』、あるいは獣人に呪薬注射を渡していた故の『必然』か。ともかく、拘束されたままに魔導書を手にした魔術士は勝鬨をあげる。


「くっ…うぅ……が…」


一方で、受け身もとれぬまま地に転がされた竜崎は苦悶の声を漏らす。それは苦痛によるものだけではないのは明らかであった。


「…か…返…せ……」


立ち上がることはおろか、身体を起こすことすら出来ぬ彼は、魔術士に向け必死に手を伸ばす。もう片方の手では、同じように自らを撃ち抜くための魔術弾を作ろうと試みていたが、もはや指先に力を集めることすら叶わない。


たった一瞬の隙、死を恐れてしまったあの瞬間、愛する者達を残して逝くことへの恐怖に身を竦めたあの刹那が、命運を分けてしまったのだ。




「うォらァア!」


魔術士に纏わりついていた拘束も引きちぎり、肩で呼吸をする獣人。そんな彼に礼一つ言わず、魔術士は手にした魔導書をペラペラと捲りだす。


「フッ…クックック…リュウザキィ…ここまで良い状態で保管してくれてありがとよ…!」


確認が終わったのか、魔術士はパタンと本を閉じ笑う。そんな彼の片手には、神具ラケット。


全てが、奪われてしまった。彼らに襲われ、大切な物を…『神具の鏡』と『魔導書』を奪われてしまった。竜崎がいくら悔いようが、彼はもう、何も出来なかった。



「ハァ…ハァ…ふぅ……。兄弟、もう目的は果たしたんだ。さっさと帰っちまおうぜ…」


呼吸を整えた獣人は、魔術士の肩に手を乗せる。そして、倒れ伏す竜崎をチラリと見、こう続けた。


「…あいつの『呪い』がいつ噴き出すかわからねえんだ。無駄なことはしないで、な?」


暗に竜崎の身を気遣うようなその台詞。その真意を知ってか知らずか、魔術士はチッと舌打ちをした。と―。


「…お?なんだ? 持ってろってか?」


無言のまま、片手に持っていた神具ラケットを獣人へと押し付ける魔術士。片手が自由になった彼は、魔導書を懐に仕舞いながら、どこかへと歩を進める。そして、拾い上げたのは…。


「なあリュウザキ…。死にたいならば、殺してやるよ…!魔導書のお礼にな…!」


先程投げ捨てた、魔術製の黒槍であった。








時同じくして、岩天井隔てた外、空中。さくらの頭を、ニアロンは掴み揺さぶっていた。


―早く戻れ!さくら!早く! 清人が…!清人が死んでしまう!!―


ボロボロと大粒の涙を零し、懇願するニアロン。勿論、さくらも動き出していた。反射的にシルブに指示を出し、地面である岩天井へと向け―。


「―! ケエンッ!」


その時だった。突然、シルブが急ブレーキをかけ、風の障壁を張る。直後…。


ドドドッ!


「きゃっ…」

―なっ…―


岩天井より突出した岩棘から、何かが放たれる。それは、尖った石の欠片であった。何者かが近づけばそれに反応し、撃ち出されるという魔術式が組み込まれているようである。


未だ周囲で群れている魔物達への対策、そして…さくら達を寄せ付けぬための防衛策。竜崎はわかっていたのだ。彼女達が再度の侵入を試みようとするのを。



―早く突っ込めシルブ! あれを清人の墓標になぞ…したくない!!―

「お願い…シルブ!」


主達に急かされ、シルブは再度接近を試みる。しかし、またも撃ち出されるは岩の針。恐らくはそう弾数はない、このまま待っていれば弾切れ起こすであろう。


しかし、その数秒足らずが分水嶺。下手したら、もうこの瞬間に竜崎の命は…



―クソッ…! さくら!シルブに無理やり突撃させろ!―


と、ニアロンは大人体へと変化し、シルブより前に出る。突撃に合わせ岩天井を砕き、竜崎の元に飛ぶ気である。


しかしそれは、下手すればニアロンも命を失う。中の様子がわからないのだ、竜崎の身にたどり着けず消滅するかもしれない。さくらが撃ち落とされ死ぬかもしれない。既に中は呪いで満たされており、全員が死ぬかもしれない。


だが、それしか無い。その埃のように小さな可能性に賭けるしかない。それしか、竜崎を救う手段がない。


さくらは思考を固めぬまま、シルブに指示を出す。そして突撃しようと目論んだ…。


その時で、あった。







ゴオオオッ


さくら達の耳に入ってきたのは、ジェット音。この魔術の世界では聞き慣れぬはずの、スラスターの音。


そして、続けざまに聞こえてきたのは…くぐもり気味の女性の声と、老爺の声。


「間に合っ…てないわねこれ…! キヨト…!」


「さくらちゃん、ニアロン。無事かの?」


更に、間髪入れず…


ゴッッ


という何かが消し飛ばされた、大きな異音。さくら達がハッとその音の発生源を追うと―。


「天井に…穴が…!?」


先ほどまで完全に塞がっていた棘付きの岩天井。その一部をくり抜くように、人1人が通れる穴が、開いていた。











またも場所は変わり、時はほんの数十秒遡る。地下、黒槍を拾い上げた魔術士は、それを魔術で空中に浮かべる。その矛先は勿論…動けぬ竜崎であった。



…今回はどうだ? あぁ…!そもそもあの時は、クソ幽霊ニアロンが防いだんだったか。なら…あのより弱そうな今のお前が、防げるわけないよなァ!?」


「あの…時…? ……!! もし…かして…お前…お前達は…!」


息を呑む竜崎を軽く嘲笑い、魔術士は槍を撃ち出す。獣人が止めようとするのも間に合わず、それは、竜崎の頭目掛けて…!





ゴッッ 


突如、屋根から異音が響く。それと全く同時に、何者かの影が竜崎の目の前に着地。そして―。


ギィンッ


と、高速で飛ぶ槍を…叩き落した。





「は…?」

「な…!?」


目を疑い、口をあんぐりと開く魔術士と獣人。彼らが驚いたのは、槍が切り払われたこと…ではない。それを行った、乱入者の正体であった。



手にしているのは、無骨ながらも輝く一本の剣。飛槍を討つほどの、鋭俊豪傑なる技の冴え。その身は闇を秘めた…ダークエルフたる、褐色の肌。


その者の背を見た竜崎は、の名を、安堵の息と共に呟いた。


「アリシャ……」


そう。そこに立っていたのは『勇の者』…勇者、アリシャであった。

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